Wind of Mind

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自作の音楽や美味しいものなど気ままにアップしていきます!^^ゞ

盛岡とんこつラーメン事情sono2

2006年07月22日 | 食道楽
お店がやってないのならしょうがない、私は向かいのラーメン屋さんへ行くことにしました。
向かいのラーメン屋さんは北海道ラーメンということで西山ラーメンの大きなのぼりが立っています。
ここも少し前にリニューアルしていたのでそのうち行こうと思っていたお店でした。
ここは北海道ラーメンということで、味噌、塩、醤油と揃っております。
そして塩がメチャクチャ濃厚という珍しいお店でした。
ダシは鳥と書いてありましたがスープの表面に膜が張るほど濃厚で、しかし、これがなかなか美味かったんです。
さらに、このお店の特徴は味だけではありません。なんと、店の中が洞窟のようになっているのです。これには最初ちょっとビックリ(苦笑)

さて、今回も塩ラーメン(600円)を注文、天然塩使用と書いてある。作っている人も女性に変わっている。さて、味はどうかな?
出てきたラーメンは量が少し少なめ、スープは透明で見た目は札幌の塩に近い感じ。あっさり系の塩に変わったかな。などと考えながらスープをすする。
やはりあっさりめでちょっとしょっぱいな。と思いながらもなかなかコクのあるスープで西山ラーメンの中太シコシコ麺によくあってる。チャーシューはバラ肉トロトロ系、結局、スープも全部飲み干してしまいました。

お勘定を払うときに、お店が変わったのかと聞くと、女将さん曰く、もともと彼女のお店で店舗を増やしたためここを人に任せ、自分は新しい店舗に行っていたのだそうです。この度その方がやめたためまた戻ってきたという話しでした。
北海道のチェーン店ではなく、女将さんが北海道出身で北海道のラーメンを出しているということでした。

前はスープがもっと濃厚だったよね。というと、やはりこちらではあまり濃厚なのは流行らないので少し味を変えたということでした。
新しく出来た「一風堂」について聞いてみると、全く興味がないようでした(苦笑)まあ、とんこつ系とは違うからなのでしょうか。
ここでも一人道産子が頑張っていました。西山ラーメン美味しいよね、とか北海道人的な話にもなり少し嬉しくもなりましたね。

さて、例の「一風堂」はまだ行列が出来ているのか?
そろそろ、行ってみようかと思っています。

今年のオールスター戦

2006年07月21日 | 気まま日記
いや~今年のオールスター戦は面白かった!
オールスター戦が面白いと思ったのは何年ぶりだろう。
実はプロ野球のオールスター戦が今日あることも知らなかったんですが(苦笑)
はるかに今年のジャイアンツ戦よりは面白かった。
ジャイアンツファンの私が言うのもなんですが。。。
しかし、藤川とクルーンて顔のつくり似てるかも不細工でも活躍してるときはスポーツ選手は輝いて見えるんだよな~悔しいが仕方ない(苦笑)
でも、あと60試合弱あるんだから頑張れよ~ジャイアンツ!!!!


盛岡とんこつラーメン事情sono1

2006年07月21日 | 食道楽
少し前に、盛岡(岩手県)でとんこつラーメンがなかなか定着しないという記事を書いたことがありましたが、昨日私が密かに楽しんでいたとんこつラーメン店へ行ってみました。
この店はラーメン屋さんではなく、夜はちょっとおしゃれな居酒屋、昼のランチにラーメンを出していました。
これがけっこう本格的で替え玉もOK!種類も白(普通のとんこつ)、黒(マー油?がかかっている熊本桂花風)、赤(坦々麺)とあり麺は完全な固めの細麺ストレート!これだけ完全な博多系とんこつラーメンを出している店は盛岡にはない!。。。多分ないと思う。。。ないんじゃないかな。ま、ちょと覚悟はしておけ。。。と思っていたのですが。。。
なんと、やってませんでした。
やはり、とんこつでは客が呼べなかったのか?
木曜日に定休日という張り紙もなかったし、昼はやめちゃったのかな~
つづく!


プロレス秘宝館(1973.7.20全日函館大会:サイン集1)

2006年07月21日 | プロレス館
さて、今日はこの時にもらったサインをアップしていきましょう。
この日は前年の大雨の教訓を生かし、色紙ではなく小型のサイン帳(写真)を購入。満を持して望みました!
前年と逆に日本人選手には沢山もらうことが出来ましたが、外人選手はあまり会場には現れず不作でした(苦笑)
このサイン帳は今でも少しずつ書き足されております。
さて、このサイン誰のだと思いますか?昨日の対戦カードを良くみて下さいね!



プロレス秘宝館(1973.7.20全日函館大会2:これがビル・ミラーの凶器だ!)

2006年07月20日 | プロレス館
試合が始まっても、私はまた前年同様選手の追っかけと興奮して舞い上がっていたせいか、試合内容はほとんど覚えておりません(苦笑)。が、記憶に残っているのはサンダー杉山対ビル・ミラー!このカードこの2年前だったらIWA世界戦です!(苦笑)
ミラーは力道山時代からの名選手で実は私は密かにこの日ミラーを生で見るのを楽しみにしておりました。試合は場外乱闘になり我々も大興奮、大いに盛り上がったのを覚えております。

メインは函館出身のグレート小鹿選手が馬場選手と組んでキラー・カール・コックス、ブル・ラモス組と対戦。試合後コックス選手がロープにもたれて休んでいたので私はリングの下からサインを求めましたが、かなり疲れていたようでハアハア息があがっていて目も虚ろ、汗が滝のように滴り落ちてとてもサインどころではない、見かねたブル・ラモスが代わりに元気よくサインをしてくれました(苦笑)

当時はまだリングサイドに鉄柵などなく、試合が終わるとみんなエプロンに上がったりロープに触ったりできた時代でした。
我々も、ザ・デストロイヤー、キラー・カール・コックス、そして往年の名選手ビル・ミラーを目の当たりにし、大満足の1日でした。

写真は当日のチケットです。
そして、当日のカードと場外乱闘のときにミラーが踏み潰したビール缶です。
ミラーは凶器にしようとしてやめてポイとほおり投げたのでした。





プロレス秘宝館(1973.7.20全日函館大会)

2006年07月20日 | プロレス館
さ~て、今日7月20日は1973年(S48年)私が中学2年生のときに全日本プロレスサマー・アクションシリーズ函館大会を生観戦した記念すべき日です(笑)。
というわけで、今日・明日とプロレス特集の予定です。
場所はなんと湯の川のスケートセンター!
前年の大雨による会場の変更を馬場が教訓としたかどうかは知りませんが、変わった場所でやるな~と思ったものでした。
当日はこのブログにも書き込んでくれているゆーまんさんと一緒にドキドキして出かけました。
会場に入ると座席はまたまたいい加減で、我々は子供なので会場内を冒険して歩いて大人しく席になんか着いておりませんでした。
今思うと、日プロが合流していた時期で決して全日の選手とうまくはいってなかった頃なのです。
日プロの選手は会場の隅のベンチ?に腰掛けて雑談。居場所がなかったのか?
お陰さまでサインはたくさんもらえました。
ただ、馬場選手は会場の後ろにドカット座っていてゆーまんさんと2人で2回ぐらいサインをねだりましたがダメ(苦笑)。
代わりにデストロイヤーがサインをしてくれました。
デストロイヤーは常に馬場の近くにいてポリスマン的な役目もしていたのかもしれません。
写真は当日のパンフレットです。米国修行中の鶴田の近況報告(なんとドリーとのNWA世界戦!)も載っていました。(×印)



絶品!稚加榮(ちかえ)の辛子明太子

2006年07月19日 | 食道楽
今日は博多の料亭「稚加榮(ちかえ)」の辛子明太子をご紹介します。
もう10年も前になりますが、福岡へ出張するときに会社の方から買ってきてと頼まれたのですが、そんなに美味しいのならばと自分でもおみやげに買ってみました。
私が買ったときは、お店から空港に届く時間が決まっており、この辺にもこだわりを感じました。
買ったのはかなり太いやつで、2本で3,000円ぐらいだったと思います。
帰ってから食べてみると、これが、あぁ~た!美味いのなんのって!
今まで食べたことのないような上品な美味しさと奥の深い辛さでした。
漬けてあるだしが違うのでしょうか。さすが料亭の味といったところ。
ほかの明太子に比べかなり値段も良いですが、福岡に行く機会があれば一度食してみる価値はある明太子だと思います。

こちらからどーぞ!
   ↓
http://www.chikae.co.jp/mentai/index.html

ロック編:クイーン4(God Save The Queen!フレディの死を乗り越えて)

2006年07月19日 | 洋楽のルーツ
クイーンはその後アルバム「華麗なるレース」、「世界に捧ぐ」を発表。
世界的なロックバンドとしてその名を欲しいままにします。
オペラ座の夜 - A Night at the Opera (1975)華麗なるレース - A Day at the Races (1976)はタイトルをみれば解かるように対になったアルバムでジャケットも同じデザインです。「世界に捧ぐ」からはご存知「ウィ・ウィル・ロック・ユー 」「伝説のチャンピオン」が大ヒット。この辺までがクイーンの全盛期といわれています。
その後も模索を繰り返しながら世界のトップバンドとして君臨し続けますが、1991年フレディの死によりクイーンとしての音楽活動は終止符を打たざるを得なくなるのです。

ここ数年、CMやドラマでクイーンの曲がよく使われてヒットしていることはみなさんご承知のとおりです。私も今聞くと懐かしく、いいな~と思います。
さらに昨年、クイーンは復活。そのボーカルに元フリー、バッド・カンパニーのポール・ロジャースが参加したのには正直驚きました。
ポール・ロジャースの参加は私の周りでも賛否両論でしたが、三十数年前のデビュー時にはよく比較されライバルとされたバンドのリードボーカルのポールがクイーンの曲を歌う。時代の流れを感じるとともに、フレディの代わりは誰にも出来ないと誰もが思っていたと思います。
そのような空気を感じたのかバンド名はクイーン+ポール・ロジャースとされました。そして去年行われた日本公演は大成功を収めたようです。フレディの死を乗り越えて、新しいクイーンの誕生です。まさにGod Save The Queen!

さて、クイーンの初来日の時、ML誌のインタビューでほかのバンドについて聴かれているのですが、ここで興味深い記事を発見。
バッド・カンパニーのポール・ロジャースについてブライアンがコメントしています。
今となっては何とも不思議な運命を感じる記事です。
 ↓


75年頃のバッド・カンパニーの写真もこの際載せましょう(苦笑)、右から2番目がポール・ロジャースです。
 ↓

ロック編:クイーン3(待望の初来日!)

2006年07月18日 | 洋楽のルーツ
1975年クイーンは初来日を果たしますが、この時すでに日本ではすごい人気でテレビにも出演。
私もすっかりミーハーになり、テレビに映るクイーンのメンバーを写真で撮ったりしました(苦笑)。
彼らも日本での歓迎ぶりには少し驚いたようです。そのくらいの大フィーバーだったと思います。
後に「Teo Torriatte」(華麗なるレース)という日本語を使った曲を日本のファンのためにプレゼントしてくれます。
写真は初来日を特集するML誌です。

さて、音楽的にはキラークイーンの世界的大ヒットで遂にロックバンドとして世界的に成功を収めることになるクイーンですが、4枚目のアルバム「オペラ座の夜」ではまさにクイーン独特の世界でオペラのような曲を披露、「ボヘミアン・ラプソディ」は名曲ですが、ステージで再現することは明らかに不可能と思われました。キラー・クイーンに物足りなさを感じていた私はこの「オペラ座の夜」にも少し戸惑いを覚えるのでした。結局その後、私はいまいちのめり込むことが出来ませんでしたが、私のいとこが大のクイーンファンでコンサートにも行くなど熱狂していたようです。

クイーンが初来日した頃のML誌のグラビアを久しぶりにめくってみると、いやもうスゴイフィーバーぶりで、3ヶ月ぐらいかなりのグラビアと記事で特集しております。しかもアイドル扱い!(×はまさにアイドルショット?)女の子の追っかけもすごかったみたいです。
確かにみんな若くてカッコイイ!ロジャーは特に可愛い!?




ロック編:クイーン2(炎のロックンロール~キラー・クイーン)

2006年07月17日 | 洋楽のルーツ
クイーンの音楽はその当時のディープ・パープルやレッド・ツェッペリンといったハードロックバンドとは明らかに違っていたように思います。
なんというか、派手でカッコイイのです。クイーンファンに怒られるかもしれませんが、1枚目を聞いたとき、まるで歌謡曲のような感じがすると思った時期がありました。それは魅力的なフレーズをたたみかけるブライアンのギターとフレディのボーカルの艶やかさはもちろんのこと、短い曲の中に色々な要素が凝縮した曲ばかりだったからだと思います。

ファーストアルバム「戦慄の王女」(写真右)はデビューシングルの「炎のロックンロール」に代表されるようにブリティッシュハードの要素を残しながらもカッコイイ曲が揃っていました。
しかし、サウンド面においての多重録音の多用などメディアからは酷評されたようです。
二枚目の「クイーンⅡ」はホワイトクイーンとブラッククイーンの啓示というプログレッシヴ・ロックバンドのような構成のアルバムでこれも賛否両論。
私は1枚目の方が好きでしたが、プログレ好きの友人はこちらの方がいいといっていました。
このアルバムの中ジャケットでは彼らは化粧をしてジャケットに収まっていました。(写真×)これも賛否両論、化粧するのはグラム・ロックとかパンクでは?彼らは何者?(苦笑)
三枚目の「シアー・ハート・アタック」(写真左)は2枚目からすぐに発売されたような気がします。
1枚目の流れを感じさせるこのアルバムからは「キラー・クイーン」が世界的な大ヒットとなりますが、仲間内やML誌ではあまり評価がよくなかったような気がします。クイーンへの期待は既に強大なものになっていたことと、ロックにしてはあまりにも綺麗過ぎるという印象だったのです。

ロック編:クイーン1プロローグ(日本から火がついた人気)

2006年07月16日 | 洋楽のルーツ
自分で作った昔のレーティングスを見て、改めてその当時のクイーンの人気の凄さを再認識しているところです。(苦笑)ここで、クイーンに触れないわけにはいかないでしょう。
では、リアルタイムでみてきたクイーンについて書いてみましょう。

クイーンがデビューしたのは1973年、私が中学2年生の時です。
クイーンのメンバーはもうご承知でしょうが、一応。
フレディ・マーキュリー(v.key)
ブライアン・メイ(g)
ロジャー・テイラー(d)
ジョン・ディーコン(b)

当時一番人気があったのはルックス的にはロジャーでした。
ジョンはオーディションで選ばれた最後のメンバーで当初はディーコン・ジョンと誤って表示されていました。また、髪を短くした頃は久米宏に似ているとよく言われていました。
当初はミュージックライフ誌(以下ML誌)のグラビアでも同じ時期にデビューしたバッド・カンパニーの方が大々的に取り上げられていたように思います。

バッド・カンパニーは元フリーのポール・ロジャース(v)とサイモン・カーク(d)、元キング・クリムゾンのボズ・バレル(b)、元モット・ザ・フープルからミック・ラルフス(g)とそのメンバーから大物バンドとして注目を浴びていました。
クイーンは最初はあまり注目されていなかったような気がします。
しかし、ML誌はクイーンの記事を毎月のように載せバックアップ。
日本のリスナーもクイーンの音楽に徐々に魅せられ、クイーンの人気は日本から火がつき世界的なバンドへと成長していったのでした。
この頃のML誌はまるで、ミル・マスカラスの特集を何十回も組んで日本でのマスカラス人気を爆発させ、ゴングのマスカラスかマスカラスのゴングかといわれたゴング誌のようでした。
写真は初期のクイーンを紹介するML誌のグラビア。「躍進」の2文字がなんとも初々しい感じ。

駅弁のお話:その5「夕刊フジ特選おつまみ弁当」

2006年07月15日 | 駅弁のお話
ありそうでなかった!?
ビジネスマンのための本格的なおつまみ弁当が誕生しました。
夕刊フジとNREの共同開発したのがこの駅弁「夕刊フジ特選おつまみ弁当」1,000円。
しかもこれから進化するという。
第一弾は50品目以上のおつまみの中から9品目を選んだが、絞り込むのに喧々囂々のやり取りがあったという。
その9品目とは、

一.鯵西京焼き
二.いかと里芋煮
三.ゴーヤチップス
四.ポテトサラダ
五.鶏肉磯辺揚げ
六.マーブルチーズ
七.半熟煮玉子
八.がんも煮
九.砂肝黒胡椒焼・枝豆のせ

三、六、七、九は普通の駅弁ではなかなかお目にかかれませんね。
なかでも、三のゴーヤチップスと九の砂肝は美味しかった。六のマーブルチーズもいい。
ご飯も黒米、青じそ、ちりめんじゃこ、あさりとバラエティに富んだ駅弁でした。
夕刊フジの読者の意見が反映されるというこの駅弁、最終版は8月1日発売だそうだ。
東京にいる方に是非食していただきたい駅弁です。

私の音楽のルーツ(高校時代)

2006年07月14日 | 音楽のルーツ
さて、音楽のルーツ、高校時代に行きましょう。
中学から聴いていたクイーンは75年の来日などで日本での人気が爆発!
その後はやはり中学から聴いていたEL&PそしていよいよYesにはまり出します。
パープルのあとに目を付けたのはハードロック不毛の地といわれるアメリカ西海岸からでたハードロックバンド、モントローズ!
日本では2枚目の「ペイパー・マネー」がなぜか大ヒット。
まさか日本で売れると思わなかったのか、レコード会社があわてて1枚目をあとから発売するという珍現象が起こりました。
モントローズはバンド名のとおり、ギターのロニー・モントローズのワンマンバンドでありましたが、私はモントローズのギターよりサミー・ヘイガーのボーカルがめちゃくちゃ気に入ってしまいました。
アメリカンバンドなのにブリティッシュロックの要素を多く含んでいたバンドで、渋谷陽一氏は1枚目のレコードの解説で、珍しく胃にもたれない野菜サラダ風のハードロック、と独特の表現で絶賛しておりました。
フォークではグレープからソロに転向したさだまさしの「雨やどり」が大ヒット。
さださんの歌を歌えば女の子にもてるという時代でした。
高校2年の時、無理矢理音楽部(合唱部)に入部させられます。
当初はコンクールに出るのに人が足りないからと言う理由で、コンクールまでという約束だったのですが。。。。
しかし、この合唱との出会いがこれからの私の人生に大きな影響を及ぼすことになろうとは、この時は知る由もなかったのです。(大げさか・・・)