明けまして、おめでとうございます〜。
新年、明けて30分ほどの時間から、皆さまにご挨拶をします。
(と書きかけて眠くて寝落ち。今、朝6時です)
昨年30日に出した記事、
読んでいただきありがとうございます。
そこで、多様性に関して、もう一つ書く、と書いたのですが…
あいにく、31日はいそがしく、さらに、pixivのお題小説募集に、
締切の2時間前になってネタを思いついておおわらわで書いていて、
…こちらで言ったことを守れませんでした。ごめんなさいっっっ😣💦
(しかも締切には間に合わず・・まあ、そーだよネー)
ということで、「多様性」でございます。
まかろん、先日こんな展示に行ってまいりました。

上野の森美術館(東京)で2022年1月末まで開催中の、
「金魚鉢、地球鉢。」です。
この作者の深堀さんという方は、金魚に取り憑かれたような人でして。
ありとあらゆる器(になりうる、くぼみ)に金魚の姿を見るんだそうで。
そうして、器にアクリル樹脂を一層一層、流しては金魚の一部を描き
また樹脂を、といった形で金魚を立体的に “描く” のだそうです。

(注:これは撮影可のものです)
で、本当にいろんなものに金魚を視る人で、
逆さに開いた傘のくぼみ、とか。
古くて捨てようとした箪笥の引き出しとか。
そこまでは良いのですけど、
捨てられて、つぶれて錆びた空き缶のくぼみにも金魚が視えたらしく、
そうした作品も数点展示されていました。
正直、まかろんの目には、その空き缶の作品は汚く、
むしろ気持ち悪いものに写りました。
でも、ですね。
これが、創作者 というものなのだろうなぁ、とも思ったのです。
作品を(絵とか詩とか音楽とか)創る人、というのは
その分野でものを創らない人にくらべて、視えるものが違うのだと思うのです。
たとえば音楽を創ったり、プロ級に奏でたりする人は、
一つの音から得る情報が人より多いのではと思います。
ある種の生き物が、人間には見えない赤外線が見えたりするようなもので。
そうして創られた作品を楽しむのは、そういう特別な視野は要らないのですが、
創るには、そうした拡張された視野がないとできないもののように感じます。
(それはきっと、我々が普段目にしているあらゆるものは、
我々が感知する以上に情報量を含んでいるので、再現にはそこまで視る目が必要なのかな、
と思ったりもしますが、本題と外れますので、割愛)
で、ですね、この金魚作家さんの話に戻りますと。

(注:撮影可の作品です)
この人の作品は、本当に美しく、また幻想的であったりします。
そうしたものを創る目が、
ど素人のまかろんが “気持ち悪い” と思うものにすら、
”美” を見出してしまうのだと思います。
クリエイターはときどき、一般素人には、なんでそっちいっちゃうの?と思うものを
懸命になって世に出したりしますが、それはこういうことなのだと思います。
逆に、そういう目が、我々の目にも美しいと思うものを創り出す、
原動力なのだとも言えます。
だから・・
・自分の目には、くだらない気持ち悪い、と思うものにも、至上の美はある。
・そして、それを見出す目は
他の人がうっとりするほど美しいものを創り出す力と、表裏一体なのだということ。
・そうした目は、他の目に美しいと映るものだけ作ってろ、と
都合よくはいかないのだ、ということ。
・・そう思ったところで、人生にどう役立つのか
まかろんにはよく分かりませんが。
(ご意見があったら、教えてください🙏)
「多様性」ということで、こんなことを思ったことを思い出して、書いてみました。
明けまして、おめでとうございます。
人生うまくいっている人も、生きづらさを感じている人も。
すべての人に、”生きる場所” が得られる世界となることを、
2022年の夜明け前の世界に、願います。🙏✨
↓ 良ければ、ぽちっと! ここまで読んでいただき、ありがとうございます!!
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(と書きかけて眠くて寝落ち。今、朝6時です)
昨年30日に出した記事、
読んでいただきありがとうございます。
そこで、多様性に関して、もう一つ書く、と書いたのですが…
あいにく、31日はいそがしく、さらに、pixivのお題小説募集に、
締切の2時間前になってネタを思いついておおわらわで書いていて、
…こちらで言ったことを守れませんでした。ごめんなさいっっっ😣💦
(しかも締切には間に合わず・・まあ、そーだよネー)
ということで、「多様性」でございます。
まかろん、先日こんな展示に行ってまいりました。

上野の森美術館(東京)で2022年1月末まで開催中の、
「金魚鉢、地球鉢。」です。
この作者の深堀さんという方は、金魚に取り憑かれたような人でして。
ありとあらゆる器(になりうる、くぼみ)に金魚の姿を見るんだそうで。
そうして、器にアクリル樹脂を一層一層、流しては金魚の一部を描き
また樹脂を、といった形で金魚を立体的に “描く” のだそうです。

(注:これは撮影可のものです)
で、本当にいろんなものに金魚を視る人で、
逆さに開いた傘のくぼみ、とか。
古くて捨てようとした箪笥の引き出しとか。
そこまでは良いのですけど、
捨てられて、つぶれて錆びた空き缶のくぼみにも金魚が視えたらしく、
そうした作品も数点展示されていました。
正直、まかろんの目には、その空き缶の作品は汚く、
むしろ気持ち悪いものに写りました。
でも、ですね。
これが、創作者 というものなのだろうなぁ、とも思ったのです。
作品を(絵とか詩とか音楽とか)創る人、というのは
その分野でものを創らない人にくらべて、視えるものが違うのだと思うのです。
たとえば音楽を創ったり、プロ級に奏でたりする人は、
一つの音から得る情報が人より多いのではと思います。
ある種の生き物が、人間には見えない赤外線が見えたりするようなもので。
そうして創られた作品を楽しむのは、そういう特別な視野は要らないのですが、
創るには、そうした拡張された視野がないとできないもののように感じます。
(それはきっと、我々が普段目にしているあらゆるものは、
我々が感知する以上に情報量を含んでいるので、再現にはそこまで視る目が必要なのかな、
と思ったりもしますが、本題と外れますので、割愛)
で、ですね、この金魚作家さんの話に戻りますと。

(注:撮影可の作品です)
この人の作品は、本当に美しく、また幻想的であったりします。
そうしたものを創る目が、
ど素人のまかろんが “気持ち悪い” と思うものにすら、
”美” を見出してしまうのだと思います。
クリエイターはときどき、一般素人には、なんでそっちいっちゃうの?と思うものを
懸命になって世に出したりしますが、それはこういうことなのだと思います。
逆に、そういう目が、我々の目にも美しいと思うものを創り出す、
原動力なのだとも言えます。
だから・・
・自分の目には、くだらない気持ち悪い、と思うものにも、至上の美はある。
・そして、それを見出す目は
他の人がうっとりするほど美しいものを創り出す力と、表裏一体なのだということ。
・そうした目は、他の目に美しいと映るものだけ作ってろ、と
都合よくはいかないのだ、ということ。
・・そう思ったところで、人生にどう役立つのか
まかろんにはよく分かりませんが。
(ご意見があったら、教えてください🙏)
「多様性」ということで、こんなことを思ったことを思い出して、書いてみました。
明けまして、おめでとうございます。
人生うまくいっている人も、生きづらさを感じている人も。
すべての人に、”生きる場所” が得られる世界となることを、
2022年の夜明け前の世界に、願います。🙏✨
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