まかろんのお茶会

日々の小さなことを詩モドキにしてます。
皆さまのお茶菓子代わりに楽しんでもらえたら嬉しいです。

金魚に取り憑かれた男: 芸術家とエロス

2022-01-03 19:19:16 | 思うこと。
あけおめでございます〜。

世間さまがお屠蘇気分でいるうちに、

先日ご紹介しました、「金魚鉢、地球鉢」展で
もう一つ、思ったことを書きます。



上野の森美術館(東京) 2022年1月31日まで開催


前回ご紹介しましたように、
この作者の深堀さんという方は、金魚に取り憑かれたような人でございます。

ありとあらゆる器(になりうるもの)に金魚を視るのですね。

そうして、器にアクリル樹脂を一層、流しては金魚の一部を描き
また樹脂を、といった形で金魚を立体的に “描く” のだそうです。




(再掲:撮影可の作品です)



さてさて、ここまでは前回書いたことですが、
実はまかろん、もう一つこの展示会で

ヤベーなこの人、と思ったことがございます。



それは、「デス・ノート」です。



展示を歩いていましたら、「デス・ノート」と書かれた説明板が目に入りました。
(残念ながら、会場のほとんどは撮影不可なので、写真でお見せできないですが)

なに?漫画とのコラボ?と思いましたら、違いました。


ガラスケースの中に
金魚のデッサンを描いたノートがいくつかありまして。


説明書きを読みますと、こんなことが書いてありました。


深堀さんは、生きている金魚のデッサンはしないのだそうです。

ただ、毎日水槽の前に座り、金魚を眺めるだけなのだそうで。


「しかし、その愛する金魚が亡くなった時だけ(略)その姿をデッサンをします」

「動かなくなったからこそ」

「体の特徴や細部を自分の脳に焼きつける作業」


「脳に宿った金魚たちは 次からの私の作品に 確実に影響をもたらします」



・・なんという、エロス


ヤバくないですか、この人?
(芸術家への褒め言葉と受け取ってください)


一人の男が、毎日まいにち、
ゆらめく金魚たちをただ眺めるんですよ。


そうして、彼女らが動かなくなったときだけ、紙に残す。
次の作品への、糧にする。


それはある種の・・捕食ではないかと思うのです。



ものを創る、というのは、ある種の、捕食だと思うんです。

たとえば詩は。


舐めても、噛み砕いて呑みくだしても、
それは “わたしのもの” にはならないから。


だから、書く。
言葉で、それを、絡めとる。


そういう側面があります。


たぶん、絵も、音楽も、踊りも、他の創作も。



深堀さんがどこまでそう思っているのか分からないし、
ただのど素人の勘ぐりだ、失礼な、と言われるかもしれません。


けど、この説明に、まかろんは
芸術家のただならぬ、秘めた情熱とエロスを感じました。



個人的には、まかろんは自分の作品に
エロスを組み込むことは避けております。


なぜなら、男性にとってはワンダーランドな性の世界は、
往々にして、女性には隷属と蹂躙と搾取の、地獄の世界であったりするからです。

(多くの宗教で、性がタブーになるのはこのせいかと思っております。
 人を蹂躙しておいて、清い者として神事などできないですからね)


ですけれど、深堀さんは金魚を蹂躙しているわけではありません。



・・エロス、ってなんなのでしょうね。

人を傷つけないエロスというものはあるのでしょうか。



そういったことを新しい年には考えてみたいと思った、
そんな昨年末に観た、展示会でした。


1月末までやっているそうなので、良かったらご覧ください。



↓良かったらこちらも、ぽちっと。
人気ブログランキング
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする