人はこの世に生まれて、やがて老いて、そして病に臥して死を迎える。
人はそれが人生だと思っている。
死を迎えたらそこでお終いだと考える。
ところが、死を迎えた後もまた人生が続くことを私たちは知らねばならない。
肉体を亡くしても、以前として自我意識を保って生きている。
そう、
確かに「生きている」その意識がある。
純粋な意識となって、
行くべき所へ行かねばならぬという思いを持つのだが、
如何せん、家を出たのはいいが、
そこは身もきるような冷たい風が吹きすさぶ通りに出るのだ。
「阿鼻野街道」と呼ばれる通り。
阿鼻叫喚と言うように、阿鼻と言うのは八大地獄の中の一番苦しい所、
つまり、無間地獄のことを言う。
そういう苦しい通りを歩きながら、目指す賽の河原を向かう。
賽の河原を越えた向こう側に、心からやすむことの出来る場所がある。
彼らは本能的に直感する。
そこが行くべき場所だと。
そこに行けば魂の安息が得られることを。
(続く)
人はそれが人生だと思っている。
死を迎えたらそこでお終いだと考える。
ところが、死を迎えた後もまた人生が続くことを私たちは知らねばならない。
肉体を亡くしても、以前として自我意識を保って生きている。
そう、
確かに「生きている」その意識がある。
純粋な意識となって、
行くべき所へ行かねばならぬという思いを持つのだが、
如何せん、家を出たのはいいが、
そこは身もきるような冷たい風が吹きすさぶ通りに出るのだ。
「阿鼻野街道」と呼ばれる通り。
阿鼻叫喚と言うように、阿鼻と言うのは八大地獄の中の一番苦しい所、
つまり、無間地獄のことを言う。
そういう苦しい通りを歩きながら、目指す賽の河原を向かう。
賽の河原を越えた向こう側に、心からやすむことの出来る場所がある。
彼らは本能的に直感する。
そこが行くべき場所だと。
そこに行けば魂の安息が得られることを。
(続く)