六枚目のコイン

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Lord to holiness ! (1)

2019年02月03日 20時44分31秒 | 未来
聖者への重荷、とは如何なることであるか?

キリスト教には「原罪思想」というのがありますね。
一番大切な原理です。
人間には元々、生まれる前から背負っている「罪」があるんだという考えです。
人は罪深い存在なんだとする考えですね。
その原罪をイエスキリストに全て背負っていただくことで、
自らの罪から逃れて、罪を許していただくと、そういう考えですね。

そんなものはあるものか、単なる迷信だよ。俺達はそんな偏見や迷信にとらわれないで、自由に人生を生きて行くんだ!
そう主張する人も、もう大変に多くて、こう考える人の方が大半でしょう。
しかし、
そうではありませんね。

仏教では、キリスト教のいう「原罪」を悪業と考えます。
またはカルマ。日本的概念でいうと、「不徳」ですね。
善徳により良きこと・喜びごとが生まれ、悪しき行為からは不徳が生まれて、
その人の後の人生を決定してゆく。

「業論」と言います。
因果応報とか自業自得とか言いますね。
まったくその通りであります。

そんな面倒くさいことなんかしないで、
もっと簡単に人生を生きれないの?
至極もっともな考えですね。
私も最初はそういう考え方をしていたと思います。

ところが、そんなことを言って入られない事件が起きたんですね。

(続く)
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