六枚目のコイン

つぶやき、趣味,占星術,

彼女が自殺を依頼したのはなぜ?

2019年02月06日 10時50分24秒 | 未来
高3カップル、2人きりの自宅 震える彼女に手をかけた:朝日新聞デジタル


こういう記事を読んで、あまりショックを受ける人は多くないかもしれない。
またかと思うからね。
本当に悲惨な時代になったものだと思う。

世の中が変わると、生命の大切さなんて、大きく変わってしまっている。
そういうように、私たちの感覚さえ変わるのだから、
人間というものも,実にいい加減な生き物ではないか。

そこで、本題になるのだが、
普通、高校生というと16歳から18歳である。
いまどきの高校生の感覚は正直にいって理解できない。

だから、自分自身が高校生だったときの感覚で判断するのだが、
生きることに対する絶望感なんて、少しも抱いたことがなかった。
あるのは、性に対する悩み、人間関係の悩み、自分に対する劣等感なんかの悩み。

すべて、生きてる上での範疇の悩みで、
生きることに飽きるとか絶望するとか、生きたくないということではなかった。
それが、生命への失望を早くから味わうなんて、
まったく理解できないしかわいそうだと思う。

そこに、わたしは現代の不幸があると思うし、
多くの人もそれは同感だろう。
彼女は何が一体気に入らなかったのか?

そう思う人もあるでしょうが、
以前に、
「前世からのカルマと解消法4」でも書きましたが、
抑圧意識がこの彼女に大きく関係しているのは間違いないんです。

普段、私たちは自分自身がその抑圧意識によって操作され動いて、
そして生きている。
いや、生かされていると言ったほうが適切ですが、
そういったことを実感することは、普段、あまりないと思うんです。

ですが、
釈迦のバイブレーションを実際に受けるようになると、
これが本当によく体感できるようになるんです。
仏陀=釈迦は清浄そのものの存在ですから、
不浄な想念を浄化する働きがあるわけです。

仏陀のバイブレーションがどれだけで強いかというと、
あるとき、
そのバイブレーションがあまりに強くて、
バイブレーションを眉間のアジナーチャクラに受けた後、
立っていられなくて、しばらく横になっていたほどなんです。

この点が素晴らしいところなんですが、
仏陀の心はパワーそのものですから、私たちの不浄を飛ばしてしまう。
私たちの悪念=煩悩を吹き飛ばしてしまうんですよ。
それができるのは涅槃に到達した仏陀だけで、
どんな高級な神霊でもなかなかできないことです。

そういう体験をしていると、自分自身の奥底にひそむ自分でない心、
つまり、抑圧意識というものを観察するようになるんです。
それは実にすごい体験なんですが、
そこから私は自分というものに、そして人間存在にめざめていったのですが・・・。

そこに仏陀の偉大さがあるわけで、ほかの神々も敬服せざるを得ないわけです。
その最高の存在の仏陀に、
私たちは、まず、ご縁を結ぶことから始めないといけないのです。
そうでなければ、
まったく人間は救われない存在だということになる。

彼女も、仏陀と縁ができていれば、こんなことにはならなかった。
そして、
彼女を深層意識から操作されていた抑圧意識を解消していれば、
こんな人生を歩まないでもよかったのに。

このことが、つくづく私には残念なことです。
こんな大変なことに、どうして人は理解を得られないのか。
本当に残念ですね。
人々の偏見と先入観と無知に、私はとても残念な思いです。

私たちは人間として、もっと素直になるべきだと思う。
大都会の生活者は、他者との利害関係に敏感になって、
容易に人を信じることができなくなっている。

私は昨年、ある用事でミャンマーにいったのだが、
同行した人が台湾に住んでる人だったんです。
その人がミャンマーの人を評して、台湾人よりも善意にあふれていると。
そう言った。
人が好いと彼は言ったわけですね。

日本人は無意識のうちに、ミャンマー人を未開人だと思っている。
冗談じゃない、信仰心なんかは現在の日本人よりもずっと厚いし、
それに考え方なんかとても知性的でしたよ。
私は現地の人と話して、そう実感しました。

そう彼が言って、その後、
私は初めて自分自身の自我意識を再認識したんです。
田舎者の自分だけど、
都市生活者となって、人を容易に信じなくなっていることや、
他人をネガティブに見つめている自分がいることを反省したんです。

なるほど、
もう一度私は人に対する見方を改めないといけないと。
もっと他人を善意に見るようにしないといけない。
疑い深くなっている。
もっと他人に寛容にあるべきだ。
先進的な現代人になろと考えるんじゃなくて、謙虚な人間であるべきだと。
そうあることのほうが、
よほど人間として大事なことなんじゃないかと。
そう反省したわけです。

これらはみんな、人生を歩んでいくうちに、
自分自身の悪い業のために、辛い目に会った結果、
自衛手段として身に着けたものばかり。
みんな自分を守ろうとして、自分が傷つくのを恐れるがゆえに。
身に着けた防衛心ばかり。
生きていくうちに身に着けた悪い考え方をして、自分の心を汚してきている。

ここに問題があるんだな。
人を信じられないことは大きな不幸だ。
だって、
人は人との関係が良好であって、初めて幸せが実現できるものだから。
人と人と仲良くできるのは、本当に幸せなこと。
そして、それは他人を信用できて初めて仲良くできるんだから。

そこの点を考えなきゃいけないと思う。
私たちの幸せは一人では実現できないのだ。
だから、
多くの人が詐欺被害に遭っている現代は、大変不幸な時代なんだと思う。

騙されるほうがまだいいというけど、
騙された結果、文無しになる老人のことを考えると、これまた悲惨だと思う。

ですが、
私たちは人間として、自分の心が汚れることのほうがよくないことです。
きれいな心を保つことを一番大切なこととして、生きていくことを選ぶべきです。

そのことを、やがて私は知ることになるです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする