六枚目のコイン

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クリスマス・イブ

2019年12月24日 10時40分25秒 | つぶやき
今日はクリスマス・イブだよ~と、
若い女の子たちが騒いでいるようです。

“雨は夜更け過ぎに、雪へと変わるだろう、
・・・きっと君は来ないj、ひとりきりのクリスマス・イヴ
silentnight,holiynight”

巷の街には、こんな歌が流れていますよね。
うーん、
山下達郎のクリスマス・イヴって、女性っぽい歌詞ですね。
山下達郎って、こんな歌を作るなんて、
本質的に女性的なのかな?

まあ、それは良いとして、
クリスマス・イヴって、
どうしてクリスマス・イヴって言うの?
てっきり、
クリスマスの前夜だから、そういうのかと思ってた。
でも、違うんですよね。

ユダヤ暦では、
当日というのは、日没から翌日の日没までを指して言うのだそうです。
だから、
クリスマス・イブというのは、
クリスマス当日という意味なんだそうですね。

はあ、そうだったんですかと、
少々驚きながら、理解したわけです。

ちなみに、
ロシア正教会では、1月7日に行うそうです。
そして、
こう断ってありました。
それは誕生祭ではなく、降誕祭を意味するのであると。
同じなんじゃないかと思ったのですが、
ここではその疑問は、不問にして忘れましょう。

とにかく、
男連中は「クリスマス・イヴ」だなんて言われても、
あんまりピンとこないと思うんですが、
特に若い女の子は違いますね。
クリスマス・イヴには、彼といっしょに食事をして、
そのあとは、
できればラブラブになっちゃおう、なんて言う。

やはり、若い!

前置きはさておき、
ところで、
イエスの創立したと言われる「キリスト教」。
人はみな「原罪」を背負っていると説きます。
では、
その「原罪」はどうするつもりなのかと言うと、
イエスが身代わりになって、
その罪を背負ってくれるという。

まことに都合の良い教義・原理ですねえ。
その原罪がどこから来ているのか?
という由来を知らないから、
そんな都合の良い話が出来上がるわけで、
原罪の由来がわかれば、
誰もそんな不思議な教義を造るほど、
楽天的な頭脳でいられるわけがないのですが・・・。

だから、
キリスト教を作った人たち、
つまり西洋の人たちは、あまり利口じゃなかったんだと、
今になって、キリスト教というものを振り返ると、
わかるんですね。

白人というものは、そんなに利口じゃないぞと、
率直に言うならば、それが結論ですね。
同じ人間として、
平等だとは思うんです。

しかしながら、
霊的な面から考察すると、
やはり、
インド人とか、日本人とかと比較するとき、
やっぱり、差が出ると思います。
その東洋人が西洋人に戦争で負けたことから、
劣等的東洋人のイメージが出来上がってしまったのは、
少々残念なことであります。

「宗教」というのは、大本の教えという意味だそうで、
あらゆる人生のバックボーンであります。
屋台骨であります。

その思想を調べると、
その民族の本質がわかるのでしょうね。
よくよく観察したいものですね。

私たちは本来の民族性に目覚めることで、
ルーツにも目覚めていける。
本当に日本人であることを気づけば、
もっともっと、
私達の持つところの伝統に自信を回復できる。

そう思います。
そして,話はもとに戻るのですが、
キリスト教で言うところの「原罪」
これを解消して、本来の完全なる存在に戻ることを説いたのが、
ブッダ・釋迦であります。
お釈迦様はそのすぐれた霊性故に、
最高の知慧を獲得されてた。
その結果、
「原罪」を解消するための修行法を編成されたのです。
そして、
それを弟子たちに指導して伝えられたのです。

それが、
本来言うところの「仏教」。
それがシャカの説いた仏教だったわけです。
それを今、回復しなければならない。

そして、
キリスト教が本来の救済の宗教になるには、
この釈迦の説いた「成仏法」を取り入れなければならない。
ブッダの説いた「成仏法」を取り入れるとき、
キリスト教は真の救済の宗教となることができる。

そして、人々は知ることになるだろう。
これが救われるということなんだと、
実感をもって理解するだろう。

今こそ、
人類は救われるための方法=成仏法を求めなければならない!
〈/span〉
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