今からちょうど9年前の、平成23年(2011)3月11日のこと。
ある映像が目に飛び込んできた。
巨大な水の流れが、たくさんの自動車を流しながら、
広い川をさかのぼっていく映像。
無声映画のように、
ひたすらその映像をテレビは流していた。
9・11の世界貿易センタービル事故の際も同様に、
キャスターはまったく声を出さず、
ひたすらに映像だけを流していたが、
このときも、その映像だけが流れていた。
リアルと言えばリアルだった。
時折、その映像を映している当人であろう人の、
「ああーっ!」という声が入っていた。
そして二週間後、
私は宮城県仙台市に居た。
そこで二週間ほど滞在し、いろんなところを回って、
その被害の状況を確かめた。
ただし、
仙台市における被害状況は無事ということだったので、
そう仙台市の人々は落ちついているようだった。
だけど、コンビニ店に物はほとんどなくなっていたようで、
新入荷のパンなどが届けられる予定の日時を確認した人たちが、
朝早くから店の前で行列をなして、待っている姿があった。
私もホテルはもちろん満室というか、
一般人は泊めてくれなくて、
そのため、知り合いの家に泊めてもらった。
そして、
その間、水道もしばらく節水したような記憶がある。
救援物資が早々と届けられて、
なんとか食料については、不足することなく済ますことができた。
そして、
地震の状況を調べた。
釜石や仙台空港の海側の方面を走り、その空港の状況を確かめた。
また、他の海辺にも行ってみた。
仙台地方には、海に沿って松林がずーっと生えていて、
海岸はさながら松原だったが、
その松の木が一本の残らず、津波にさらわれて、
その松の木が内陸の2キロまで流されていた。
とても太いりっぱな松だったので、
大変に残念だったというか、
よくそんな松の大木が引っこ抜かれたようにして、
海から二キロの内陸まで流されたもんだと、
感心した。
なぜ二キロかというと、
バイパス道路?が南北に走っているのだが、
その道路は盛り土をほどこされていて、
それがちょうど、津波の逆流を止めたというわけだ。
また、ここの海辺は何人亡くなったとか、
知り合いに聞きながら見て回ったりした。
ただひたすら、被害状況を見てあるき、
知り合いの関係者の家を訪ねたりもした。
訪ねた多くの家では、被害が軽かったということで、
それは本当に良かったね!と慰労して、
また次の家を訪ねて回った。
中には、
海に面した家に住んでいる人から、
とつぜんに津波が襲ってきた話を聞いたりもした。
とにかく、
自分自身にやれることはないかと考えたのだが、
具体的なことは思いつかなかった。
あのときすでに、
死者・行方不明者の数は1万5千人を超えていたのではなかろうか。
(ついでながら、
あとで死者の霊を弔う護摩法要を修した。
その中で、
私は多くの霊が、次々と成仏していく観想を施したのである。)
幸いに、道路は自衛隊の活躍によって、
早々と押し流されてきた流木や家具等のがらくたは、道路わきに除けられて、
道路の交通状況は、さしあたり問題のない程度には流れていた。
本当にこの件については助かったと思う。
メインの道路(国道)が不通になっていたら、
これはもうどうしようもなく、当面の復興はもっと遅れたと思う。
本当に自衛隊のみなさんには助けられた。
もう東日本大災害のことだけを考えた二週間だったが、
一区切りつけて、京都に帰ってきた。
京都というよりも、関西地方では、
まったくあの悲惨な震災のことは、
誰も気にもかけなくて、
全ての人が穏やかで平和な雰囲気に包まれていたのが、
大変なおどろきだった。
なぜみんな、あの大震災に気持ちを向けないのか、
不思議だった。
また、桜の木が満開の花を咲かせていたのが、
とても印象に残っている。
それは明日にも散ろうとしているような咲き乱れようだった。
本当に、穏やかな空気に包まれていて、
なんだか、
よその土地に来たような錯覚に似た感覚に陥った。
一瞬、あれは幻覚だったのか、
と思うぐらいに、すべては平和そのものだった。
なんだか、東北の地方に起きた災害、
あれはいったい、
何だったのだろうか?と思ってしまったのだ。
1995年には阪神・淡路大震災が発生して、
そして、2011年に東日本大震災の発生。
そして、今年はその9年後の年。
また同じ七赤金星の年が回ってきた。
二度はないだろうという気にはなれない。
これらの一連の災害には、共通の問題がある。
それは、アクエリアスの時代に入ったということである。
それがすべての災害の原因の元にあるのだ。
ようやくわかったというか、
これだったのかという、今になっての遅い確信。
とにかく、
これがまた大変な時期なのだ。
歳差運動によって、
2万5,800年に一周するという時間を
プラトンは『グレートイヤー』と呼んだが、
その2万5800年振りの帰還が今年に当たるのだ。
その年のグレートイヤー元年を体験したいがために、
生まれてきた魂がたくさんいると、
アカシック・リーダーで有名なゲリーボーネルは言うくらいだから。
その最初の一年からは、
次の2万5800年が始まるということで、
まったく新しい次元の始まりなんだと、
一部のスピリチュアリストたちは言っている。
とにかく、
これまでとは違う、
全く新しい次元と波動の時代に入るというのだ。
だから、
これまでの常識はもはや通用しないと考えるべきなのである。
そういう時代に入った私たちは、
本当に無条件で、無垢の赤ちゃんに戻って、
その体験する出来ごとに臨んでいくべきなのだね。