本当にそうですね。
この言葉は身につまされます。
「愛」それは他者を愛する心、
誰かに優しくする気持ち、
人を見て、幸せになってほしいと思う心、
人として愛おしく思う気持ち。
そういう心の状態を慈悲心というのだろうか?
人を愛するとき、
自分が得するとか、損をするとか考えていると、
人を愛することは出来ないと思う。
自分自身を考えていると、それは不可能だ。
だから、
母性は貴重なのだ、父性は無上なのだ。
その母性とか父性とかを、
自分の子供ではなく、まったくの他人に働かせるとき、
その行為は至誠(しじょう)のものとなる。
そして、
彼は聖者への道を歩み始めることとなる。
動物(けだもの)は、己のためにこそ生きる。
それを辞めるとき、私達は聖なるものへと変容する。