五月晴れとはいかないようですが、
5月入りしました。
と書いたところで、しばらく筆が止まっていました。
久しぶりに書きます。
で、タイトルは『邪馬台国論争』について。
今は亡き加治木義博さんの著、
『篤姫を生んだ鹿児島こそスメル八千年帝国の理想郷だった』より、
P24から、
(戦後の史学会でも、最も華々しかったのが、
邪馬台国論争だったことは、万人の常識だった。
ところが、
その全存在がかかっている国民の名、
「倭人」という文字の読み方さえ分からない人たちが、
その論争の花形だったのである。)
こういう書き出しで始まっている。
そして、
いまだに、人々はそれを平気で、「ワジン」と読んでいる。
三世紀にそれが書かれたとき、
「倭人」の読み方はウバイドだったのである。
それは漢から魏の時代の漢字の発音は、
今では研究が進んで、「倭」は「ウワイ」だったのである。
とこう書きだされている。
つづいて、
「なぜなら、『倭人が表現する「ウバイド」とは、
この地球上で一番古い地名であって、
今では世界の農耕文明の発祥の地と確認され、
政治と宗教が一体になった祭政一致の、
我が国と同じ体制を持っていた、
超原始国家の名前であることまで確認されている。」
その遺跡は、今のイラクとイランにまたがる
古代スメル、チグリス、ユーフラテス両河の旧河口に近い、
今もウバイドの名の残る地域にある。
ところが、
湾岸戦争の直前になって調査をしたところ、
6500年前と発表された遺跡の下から、
さらにさらに古い遺跡が見つかった。
その深さから、8000年はくだらないとされたが、
過去に発見された遺跡同様、
村落の中央に必ず神社と言っていいような、
「神殿跡」があり、独特の文化体系を示している。
村落の中央に必ず神社を祭る習俗を持つのは、
私たち日本人の祖先の大半が持っていた、
他に類例のない顕著な特徴だからである。
それだけならともかく、
「倭人」の文字が、「ウバイド」という地名と、
完全に同じ発言を持っていることが確認されたほか、
ぞくぞくと関連を証明する証拠がそろいつつあるのだ。
★平和の象徴=女性国家「ウバイド」
(つづく)
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