六枚目のコイン

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コロナに負けない!(Ⅸ)

2021年06月17日 06時47分46秒 | 心の法則

今回は、
心の問題について話をしてみたいと考えます。

あるチューバーさんの話を聞いていて分かったことがあります。
閃いたと言っても良いのですが、
何故、神様を私達は拝むのか。
いや、
私達人間は何故、
神を必要とするのか?

コロナのおかげで分かったんですけどね。
それは心にあるのです。
人間は肉体と心を持って生きているわけですが、
肉体だけで生きているわけではなく、
また、心だけで生きているわけでもない。

心だけで生きているのは、
すでに人間ではなく、別の存在です。
人間は心と肉体を持って生きている。 

と同時に、
相互に補い合う関係でもあるわけです。
その心は、
個人の領域の心があり、
また、家の領域の心の部分もあるんですね。

そして、
地域に関わるレベルの意識(心)もある。
それらは、
集合意識と呼ばれるものです。
規模が大きくなればなるほど、
大きい規模の心と関りがあるのです。

国の単位ならば、
日本という国の意識がかかわりを持ってきます。
民族意識と呼んでもいいのですね。

なるほど、
そういうことになると、
それぞれの集合意識には、
その集合意識のレベルと内容と、
そして強弱というものに違いが出てくるわけですね。

それが人格を持っているわけです。
我々が守られる上で大事なのは、
その帰属している「集合意識」なんです。

例えば、
昔から住んでいる人ならば、
その地域・村などの神社が有りますよね。
氏族の神社ならば、
その氏族の祀る神様の神社が有るはずです。

そして、
その神様は地域共同体の歴史を体現した方です。
あるいは、地域のカルマの象徴なんですね。
それらの質のすべてが神としてあるわけです。

だから、神社をお祭りすることは、
その地域の方、
そして関係ある者にとってとても重要なことなんです。

それはその関係者を守護する力、
心のバリア・防御力となるわけです。

だから、
よく他から力ある神様を勧請して、
鎮守のための神様として祀るのは、
そういう言う意味があるわけなんですね。

良い例として、八坂神社が有ります。
八坂神社のご祭神は牛頭天王さんです。
牛頭天皇さんは、
疫病などの祟りを抑え込む力と徳をもっていらっしゃる。

その徳と力を戴きたいために、
勧請して拝むわけですが、
それは守護していただくために、
その神様の心の中に入り込むわけです。
あるいは、
その神様の心を受け入れるわけです。

契約すると言っても良いのではないでしょうか。
その神様の力をいただくために、
神様と契約する。
あなたを信仰する代わりに、
貴方に守っていただきたいと。

具体的には、毎日お供え物を捧げ、あなたの御名を唱え、
あなたのことを敬い尊びますと。
貴方様には、このお住まいに降りていただいて、
そして、
この気持ちをお受けしていただきいと呼びかける。

これが信仰の形態ではないでしょうか。
そして、
コロナに負けないためには、
その集合的な意識のレべルから、
守っていただくことを願うことが大事だと思うんです。

それは、コロナは心の部分に深い関係を持っているからです。
コロナは人類の滅亡のカルマと深い関係を持っているので、
その滅亡のカルマに対抗するには、
心を守っていただくことをする必要が有るのです。

ただし、
守護する力が弱い神様に頼んでも、
それはあなたの願いは叶えられないかもしれない。
だから、
貴方を守る力を持った神様にお願いしないといけません。
破滅のカルマ=悪神に対抗する力を持たないといけないのです。

中には、
国を越えて、民族を越えて、
卓越した力を持った神霊もいらっしゃるわけです。
その中には、
カルマを断つ力を持った神霊が存在します。
それはお釈迦様です。

お釈迦さまは「カルマ」を断つ力と徳を備えた方です。
そして、
晴れてカルマを断って、完全にカルマを断ってしまわれた。
そして、ニルバーナに入られたのです。
もう二度と輪廻しない状態に入られたのです。

そして、
お釈迦さまは人々をすべて救済するぞ!
という強い意思をお持ちになっている。
そのお釈迦様の意思に呼びかけるのです。

どうか私たちをお救いください。
私たちをこの危難からお守りください。
そう呼び掛けるのです。

人間は愚かで弱い存在です。
その愚かで弱い存在であることを自覚する時、
私たちは神霊に祈るのです。

そこから信仰は始まるのですね。
宗教というものをよく考えると同時に、
私たちは本来のあるべき姿に立ち帰るべきだと、
私は思うのです。

良い意味での心の強化、上昇、
ひいては、人格の完成。
それが信仰するということなのではないか。

心を高め、清め、強めて、
そして肉体を強化して、
心身ともに健全なる存在となる。
それが信仰の究極の目的である。
そう考えるのです。
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