六枚目のコイン

つぶやき、趣味,占星術,

神々の大海原

2019年07月17日 17時33分19秒 | つぶやき
私の霊的感性による、今のビジョンは、
神々の大海原というようなイメージが見えています。

それは、
約5年ほどの神々の系譜を調べているうち、
ふと気が付いたことでした。

あるチャクラ覚醒の本でしたが、
非常にかんたんな方法を説いていて、
それはヨガの行法を基にしたものでした。

そこで気が付いたのは、
仏教もまたヨガから出たものでしたね。
ヨガはインドにおいて、普遍的な広がりをもって
民間の宗教として定着しています。

一方、密教の作法を改めてみますと、
これまたヨガから出ていることが分かります。
で、ヨガは実は神界の法なんですね。
インドは神々の住む地であり、神界そのものなんです。

そこから、
人類の知性は、神々の世界より生まれたものであると言えるでしょう。
そうすると、
あらゆる文明もまた、
神々の世界から生まれたものであるといるでしょう。

改めて、
私たちは神界の人間であることを自覚しています。
私たちは神々の末裔!

その私たちが今、
成仏法に出会い、
その成仏法を体得すべき場にいる。

それは神々から見るとき、
大いなる期待と希望、
そして未来そのものです。

仏教の方で、“梵天勧請”というお話があります。
お釈迦様が菩提樹の下で長い瞑想の後、
深い悟りを得られた。
そして、ニルバーナを体得された。

お釈迦様は、その悟りの内容を、深く味わわれていたのですが、
あまりに難解なその悟りの内容に、
その法をどうやって人々に伝えるべきか、
悩まれていたのですね。

これはむずかしいので、
もう人々に説くのはダメかもしれない。
そう思っていたとき、
この世界の創造主である梵天が、
お釈迦様の下に舞い降りてきて、
お釈迦様に、その法を我々に説いて下さるよう懇願した。

これが《梵天勧請》というものです。
簡単に言うと、
そういうことなのですが、
この話は実に重要な意味を持っている話です。

その当時、
世界の創造主であるとされた梵天は、
いうならば、世界の王ですよ。
その世界の王が、
お釈迦様の下に直々に降臨して、
断ってのお願いであるとして、
「どうか私たちにもその悟りの内容を伝えていただきたい」
と、懇願された。

どんなにか神々も、その悟りを欲したことか。
その神々の代表である梵天の思いが伝わるようですね。

お釈迦様はその創造の最高峰から、
悟ると同時に、飛翔してしまわれたのです。
創造は行為です。カルマのそのものです。
しかし、
悟りは、カルマの消滅です。
業の消滅です。

そこに、大変な意味がある。
神々も自らが犯した悪業、
その悪業を消すことができない。

その自らが犯した悪業によって、
神々もまた滅び、
その報いを受けて苦しまなければならない。

どんなにかその法を神々は望んだことでしょうか。
神々も望んだ貴重な法を、
今、私たちは修めようとしている。
少なくとも、
修めるご縁と機会に恵まれている。

どんなに稀有なことであるだろうか。
私たちは当たり前のように、成仏法の利益を受けている。
法のありがたみを味わっている。
だが、
感謝する気持ちが少ないのは、
それほどに御法のありがたみをわかっていないからではないか?
どれほどに、神々がその法を望んだことの結果であるか。
今、私たちの間の前に提示されているのは、
神々が望んだことなのだ。

その結果、
私たちに成仏法が示されているのだ。
このことをどう考えますか?

動かないことは不徳です。
実践しないことは罪です。
過ぎた人生において、
後悔は取り戻せない。
悔やんでも、その涙はふき取ることはできない。

私たちが受け負っている荷物は、
下ろすことができない。
約束を果たすまで、
その荷物を下ろすことはできなのです。<font>


今世紀の人間性における臨界点?
そんな感覚を今、私は感じています。
私たちがこれまで歩んできて、そして築き上げて来た人間の知性。
そういうものに対する限界レベル。
上手く言えないのですが、
此処を超えないといけないんだという感覚。

あらゆる宗教が到達した時点で、みんなこのレベルに到達して行き詰まった状態。
しかしながら、
ここまで来ているという実感。
そして、このレベルを超えることが、
私たち人類の課題なんだという実感と確信。
それを胸に、
私たちは前進しなといけない。

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胃腸検査しました!

2019年07月04日 16時10分45秒 | 未来
昨日、
いつものかかりつけ医に、糖尿病用の薬を貰いに行きました。
「変わりはないですか?」と聞かれたので、
「はい変わりないです。
ついでなんですが、一度身体全体の胃腸を含めての検査をしたいのですが?」
と、軽く聞いたんです。

すると、医師は、
「ああ、良いですよ。では来週の○○日にでもどうですか?」と、
えらくスムーズにというか、軽く言うのです。
「そうですね、その日は空いてますから行けます。」なんて、
こちらも調子よく答えてしまったんですね。
それも深く考えないで。

前日から、食事の制限やらコーヒーは飲むなとか言われて、
朝早く起きて準備を済ませて、病院に伺ったわけです。
こちらとしては、もう準備万端で、
早く検査を終わらせたいなと思っていたんですが、

先ずは、二リットルの胃腸洗浄液を、
約45分かけて飲むように、看護士に指示されました。

次に、
排泄した便の状態が透明な液に変わったら、私を呼んでくれということで、
腸の中が完全にきれいになるまで、液体を飲み続けました。

そして、透明な状態に変化したので、
看護士さんを呼んで確認してもらい、OKを取りました。

そこからさらに一時間ほど待機して、
やっと検査室に入ったんですね。

胃と腸の二回の検査です。
最初は肛門から、内視鏡を入れられて、
結腸から大腸から深く深く入れられて検査したんです。

ところが、
映像を観ていると、内視鏡には輪になったものも一緒についていて、
私の腸にはどうやらポリープが出来ているようなんですね。
一回それを切除して、
最後の大腸までに合計三カ所の切除が行われたんですね。

後どのくらいかかるんだろうかと、
どのくらい我慢すれば良いんだろうか?と思いながら、
次には胃の検査に移ったわけです。

そこでもポリープが見つかって、
二カ所で切除されたんですね。
最後に、
結腸部でポリープを切除しましたが、
これはほおっておいたら、悪性に変わるものだから取っておきましたという。

密教占星術でみると、
今年は星が中宮に回座しますので、
密かに心配してたんです。

それで、良かったと安心しました。
切除しないでほおっておいたら、
やがては悪性のポリープ、
つまり癌の細胞と化していたものと思います。

たぶん、これで危機は一旦過ぎたと思います。
なってしまってからでは遅いですからね。
それを防げたのは良かった!

悪い中でも、防いでおくことは成功と言って良いでしょう。
私たちは普段何気ない中でも、
しっかりとミスや失敗を防いでおくことも、
上手く成功させることと変わらずに大切なことなんだと、
改めてそう思いましたね。


今回のことは、明らかに仏様のお陰であると、
有り難く感謝する次第です?
合掌
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動物と話す!

2019年07月04日 09時35分55秒 | つぶやき
動物と話す!なんて、
少し不思議でアンビリ―バブルなことのように思う人もいるでしょうね。

私は小さな頃から動物とよく遊んでいたのですが
ユーチューブで動物たちの動画を見ると、
本当に癒やされて、いつまでも見てしまいます。


その中でも、動物たちの心を読み取って、
彼らと会話をする人たちがいますよね。
例えば、ハイジさん。
彼女がトラブルを起こすペットに意識を集中すると、
相手のペットから、トラブルの理由となる映像や感情が帰ってくる。

その内容を飼い主に伝えることで、
飼い主とペットの間のわだかまりや溝が埋まり、
本来の信頼関係が戻り、
またさらに深い愛情が生まれて、
よりいっそう幸福な生活や関係が営まれていくという。

そこから分かることは、
心や命をを持っているという点で、
動物たちはなんら人間と変わらない。
全く同等であるということですよね。

だから、
私たち人間はあたかもこの世界と自然の支配者だと錯覚して、
自分たちの都合で他の生きている動物たちを殺したり処分したりしますが、
これはどうも正しい行為・考えではないようです。

時代は変わり、
感じ方も考え方も価値観も変わっていきます。
よりいい適切なものに変わっていくわけです。
間違ったことであるならば、
やはり私たちの幸せのために、全ての存在の幸福のために、
より良い方法を採ることは、望ましいことだと思います。

そういうことを、
動物と心の会話を交わす人たちとの動画を見て痛感するわけですね。

ところで、
最近エディマーフィー主演の『ドクタードリトル先生』ってゆう映画が、
再放送されたんですかね?

もうかなり前に出た、動物たちとの交流を描いた作品でしたが、
やっと時代にマッチしてきたようですね。

映画の出た同時、
エディマーフィーのキャラクターと動物たちとの交流を描いた内容に、
私は少々違和感を抱いたものでした。
けれども、今、
エディマーフィーの先見性を理解して、
彼を改めて見直しました。
人間と動物たちの心あたたまる良い映画ですね。
ありがとう!


そして、
どの生物に対しても、
自分と同様に扱うことを学ばないといけないように思います。

人間中心主義は間違っているのです。
同様に、
白人至上主義も男尊女卑も、
正しいとは言えない。

すべては、自分中心主義であり、自己主義です。
自分の人生なんだから、
もちろん、
自分を大切にしていきなきゃいけない。

だけど、
自分以外の利益を考えない生き方は、
結果的に、他人の人生を傷つけ、他人を困らせる。
そういう人生が、結果的に、周囲を困らせ、世界を不幸に陥れる。

そして、一番大事なことは、
周囲に及ぼした影響は、
すべて自分自身に帰ってくることです。

影響が周りの人に良いものであるならば、
良い出来事当然して自分に還元される。
反対に、
その影響が周囲の人たちを苦しめる結果をもたらしたならば、
周囲の人たちを苦しめた分だけ、
自分自身に戻って、自身もまたその苦しみを受けることのだ。

『自業自得』、『因果応報』などといる言葉があるけれど、
つまり、人に喜ばれることを行えば、
行った分のことが自分に帰ってくるというわけですが、
その法則は人間世界にのみ働くのではない。

心を持った存在に対しても、同様に働くのだということですね。

すべては、
同じ命を持った、自分と同等の存在であること。

やはり、
そこに帰着するのではないだろうか。
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