六枚目のコイン

つぶやき、趣味,占星術,

雨の星まつり祭典

2022年02月15日 09時41分31秒 | 未来
今年も、
第49回目の星まつりが挙行されました。

私は久しぶりの星まつりだったので、
感慨深い思いで、
祭典に参加することができました。

正直、
あれだけの大柴燈護摩を見るのは、
なかなか有るもんではないですね。

今年は特に思ったんですが、
炎の勢いが凄かった。
そんな気がしました。

相変わらず、
炎は本当に生きているようで、
その生きている炎は、
神仏が現形していると思うと、
すごい光景に、
改めて、
言葉の出ない偉業を感じたわけです。

神仏が仏界から神界から降臨されて、
我々の祈りに感応されて、
この護摩壇の炎にお姿を現されている。

そう思うと、
この場にいることに、
改めて特別な体験をしているのだ、
そう思いを新たにするのでした。

ちょうど、
30数年前、雨が降り続けた星まつり会場に、
私は傘をさして、一日中いたのでした.

そしてその数年後、
結界内で護摩壇に向かって、
人々が書いた祈りの護摩木を、
投入していたのでした。

なんだか、初心に戻ったような気がして、
もう一度頑張らなきゃと、
そう思いを新たにしたしだいでした。

ちょうどその数日後に、
ユーチューブ都市伝説のタイトルの中で、
イルミナティカードの解説をしたものが載っていたので、
それを見ていたのでした。

ちょうど、
ナターシャ先生という方が天からの直感によって、
そのカードの解説をされていたのです。
その内容は事実かどうか、それは分からないのですが、
まんざら嘘ではなさそうだという想いを持ちました。

そして、
その内容はことごとく非常に悲惨な内容でした。、
例えば、
今流行っているコロナは合計第十波まで予定されているとか、
その計画は、
C国の新しい世界秩序を作るための一連の戦略であるとか、
中東での新しい兵器によって、
ドバイが真っ黒こげになってしまい、
その次には、
(多分)中東からインド方面全体を、
その新しい兵器でやられてしまうというものです。

日本も東京は直下型地震でつぶれるという、
イルミナティカードの解説。

あまりに大変な出来事の解説に、
私は、今、全国で照耀行脚を行っていることの意味、
それを実感したのです。

開祖は言われた。
東日本大震災が起きた時、
あれだけ凄まじい天災だったのにも関わらず、
破滅のカルマはこんなもんじゃない、
これはまだ序の口だと。

では、
本当に破滅のカルマが始まれば、
一体どんなことが起きるのだろうかと、
多分、私だけじゃない、
それを聞いた殆どの人が思ったに違いない。

おどろおどろしい人を怖がらせるような話は、
ようなもういい加減にしたいと思っていた私は、
これはそんなわけにはないかないなと。
覚悟を決めなければいけないと思うのだ。

暑い夏だから、
ひとつ涼しくなるような幽霊話でもして於いてやろうという、
そんな単なる幽霊話では済まないことだ。

もっと現実味のある、
近未来において起こる、
我々人類の出来事なのだということだ。

それを私たちは、もういい加減に自覚しようじゃないか。
私たちは、身を捨てて人々を救わねばならない。
❝身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ!❞
という言葉が有るだろう。

私たちが、自分の周囲の人々や、
愛する者達を救うには、
自分が犠牲になるのを覚悟して、
行動を起こす以外にないのだ。

そういう状況が今、
私たちの目の前に現前している。
あの壮大な星まつりのお護摩を見ながら、
私はそれを教えられたような気がする。
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七分獲一の法

2022年02月08日 14時30分02秒 | 未来
七分獲一の法という考え方があります。

亡くなった亡者に供養したお供え物が、
七分の一だけ得るという意味です。
残りの七分の六はどうなるのか、
それは何とも分からないんですけどもね。

とにかく、
亡くなったご先祖に差し向けたお供物が、
向こうに届くのは、七分の一だけなんだというのです。

例えば、
籠いっぱいにリンゴを盛ってお供えしても、
向こうのご先祖様にいただくのは、ほんのわずか。

ごちそうを一杯乗せてお供えしても、
届けられたごちそうをいただけるのは、ホンの少しだけ。

ふーん?
内心、不思議だなあなんて。

そのうってつけの話に、
お盆で定番の木蓮尊者のお母さんの話があります。

神通力第一と謳われた目蓮尊者が、
まず初めにしたことは、
亡くなったお母さんが、今ごろどこにいるのか。
それを探すことでした。

自分を育てるのに一生懸命に働いて、
我が子を一人前にしてくれた、優しく愛おしいお母さん。
今ごろは、
さぞかし良いところにいらっしゃるだろうと思って、
仏界から菩薩界そして天上界を、
ざーっと見渡したのですが、
これといってお母さんらしい姿を見つけることが出来なかった。

そこで、
まさかと思いながら、
さらに下方のほうを見渡して探したのですが、
なかなかお母さんらしい姿を見つけることは出来なかったんです。

そこでさらに、
ようく目を凝らして見てみると、
賽の河原で目を泣き腫らして、
大声で泣いている老婆を発見したのでした。

目蓮尊者はさらに目を凝らすと、
確かに見覚えのある姿なのです。
そうです、
あれは確かに自分の母親である。
なぜ私のお母さんがこんなところに、
変わり果てた姿で泣き叫んでいるのだろうか。

目蓮尊者は大変混乱した頭で考えました。
そして、
急いでそばに駆け寄って、
得た神通力でお水を作り出して、
母親の口元に水を持って行ったのです。

母親はひったくるようにして、
その水を飲み干しました、
水は喉元を通りすぎると、
たちまち火となって、お母さんの喉はやけどするのです。

アチチチチ、
お母さんは水を放り捨てて、
声を上げて泣き叫ぶのです。

次に、
木蓮尊者は御馳走を神通力で作り出して、
母親の口元に現出するのですが、
彼女はそれをひったくるようにして口に持っていくと、
がつがつがつと食べるのですが、
喉元を過ぎると、
またおなじように、
火と変じてしまうのです。

お母さんは泣き叫んで、
空腹が一向に満たされないことに、
いっそう泣き叫んでしまうのでした。

目蓮尊者は一体どうしたものかと思案しましたが、
良い解決策は思い浮かびませんでした。
結局、
お釈迦さまの元を訪ねて、
母親を助ける良い方法は方法はないかと聞いたのでした。

お前の母親は、
お前を一人前に育てるために、
一生懸命働いたが、
高利貸しをして、人々を苦しめたのだ。
お金を貸したのは良いが、
お金を返せない人に対しては、
無理矢理踏んだくるようにしてお金を持って行ったし、
お金のない人には、
着ている着物まで剥がして持って行った。
そんな無慈悲な高利貸しをして、
お前を育てたのだ。

その報いとして、
お前のお母さんは今、あのように苦しんでいるのだよ。
そうお釈迦様はおっしゃるのでした。

では、
あの私の母親が救われるには、
一体どうすればよいのでしょうか?

この夏の安居に、多くの坊さんたちがやって来る。
その坊さんたちに修行の慰労や衣類を布施して、
供養するのだ。
その供養が功徳となって、
お前のお母さんに届くだろう。
そして、
その功徳はお前のお母さんを餓鬼界から救うてくれるだろう。
そうお釈迦さまはおっしゃられたのでした。

そして、
木蓮尊者のお母さんは救われたのでした。
めでたしめであたし!

そんなお話でしたね。
七分獲一の法も同じで、
どのようにご先祖を供養したいと、
いろいろな御馳走やお供え物をしても、
ご先祖にそれらのお供え物を受け取る徳がなければ、
一切受け取ることができないのだということですね。

その反対の話として、
七分全得という言葉があります。
これは、
他人のために追福をすれば、
他人には一つの部分、
おのれには七つの部分を全く得るという。
(『随願往生経』、『地蔵本願経』などによる)

他者救済のための供養は、
まさに大変な功徳をおのれに生み出すのだという、
大きな証明になるのではないでしょうか。
(つづく)

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山羊座13度(自己存在に目覚める!)

2022年02月02日 12時45分56秒 | 未来
大いなる人々よ、
これからの時代に備えよ!
これからの展開を創造せよ!

我々は光の戦士となり、
あるべき道を指し示すのだ。

闇に覆われている人々を、
そこから救い出すのだ。

光の世界は闇へと変わる。
闇の世界が光の下に曝け出される時が来る。

私たちはその時のために準備する。
『三千仏明経』にある未来星宿劫とは、
現在の時を指している。
具体的には21世紀を言うのであり、
もっと大きい時代では、
アクエリアスの時代を指している。

護摩法で、
初めに火天を招来するが、
その火天は童子ではなく、老人姿となっている。
それはなぜか?というと、
水瓶座のイメージは、老人が水瓶を持って、
その水瓶から水を注いでいる。

その老人こそ、
護摩法で招来するところの火天なのだ。
火天とは、仏の智慧の象徴なのである。

おわかりだろうか?
まさに今、
私たちは、金剛界曼荼羅の時代を生きようとしているのだ。
そう、レジェンドの時代、
神話の時代を生きようとしている。

それが今なのだ。
心底から生きたかった時代、
それがこれからの時代であり、
それを生きる人が「金剛薩埵」であり、
宇宙時代の「光の戦士」なのだ。

覚醒せよ。
どんなに時が流れても、
何度人生を繰り返しても、
私たちの魂は生き続けて、
果たされることのなかった、
真の夢を実現しようと志す。

私たちは光の戦士たちだ。
金剛薩埵だ。
それを思い出そう。

《金剛薩埵》=光の戦士より


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