初茜啐琢同時(そったくどうじ)の桜草
年明けと同時に咲いた一輪の桜草、冬ざれで花のないベランダにおいては可憐でありいとおしい。啐琢同時は仏教用語、始めてこの言葉を知ったのは、禅宗のお寺で新入社員を引率して座禅を組んだときの、住職の「参禅の心構え」という講話のなかであった。呼応の様々に使えると思ったが、使ったのは初めてである。
年明けと同時に咲いた一輪の桜草、冬ざれで花のないベランダにおいては可憐でありいとおしい。啐琢同時は仏教用語、始めてこの言葉を知ったのは、禅宗のお寺で新入社員を引率して座禅を組んだときの、住職の「参禅の心構え」という講話のなかであった。呼応の様々に使えると思ったが、使ったのは初めてである。