「やさしい短歌」講座の2回目に行って来ました。
自己流で単語の数合わせとしか考えなかった私の目を見開くことの数々…
講座に行くことを始めてよかったです。
第1回目は、初めてなので私の宿題はなく、先輩方の宿題の一首について
詠んだ時の情景を、先生が詳しく聞かれて添削されていく運びでした。
今回は宿題2首の他、後4首もくっつけて提出した欲張りな私。
提出したものを、添削されたのですが、並べてみます。
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原作品・やせ細る動かぬ指をまさぐればかすかに答える気配感じる
添削品『動かざる夫の指をまさぐればかすかに応えるいまわの際に』
(やせ細りと動かぬは重なるので避けたい。誰の指かをはっきりさせたい。
最期の時であることを強調したい)
はい、ごもっとも~
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原作品・ふたりきり思いこみあげ手を握るまぶた閉じられ息とだえゆく
添削品『われひとり夫の最期看取りたり誰も邪魔すな神のたまもの』
(変っちゃった~しかし原作品は感情のこもり過ぎはありますね。
先生は「私の添削と違うときは言ってください」とのことでした。が今はまだね)
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原作品・空耳と思えど部屋をまわりみる一人暮らしの日の浅きゆえ
添削品『空耳か今も亡き夫の気配する一人暮らしの日の浅ければ』
(最後の浅ければ…はそう作ったのだけれど、気恥ずかしくて浅きゆえと
したのですが、その気恥ずかしさ…もうわかりませ~ん。
文語を使い気恥ずかしさは仕舞い込み、自分を残しつつ他人の目で
詠むのが大事と思いました。間違い?)
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原作品・陽光は明るい五月窓の外言葉なき日はひとの恋しく
添削品『窓外は明るき五月の光満つ誰にも会わぬ日は人を恋ふ』
(一人でも言葉はある。はいテレビから聞こえてます)
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原作品・「ともすればぐにゃりとくずるる思いあり」一人励まし立ち直りいく
(丸がついて、添削はありませんでした。)
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原作品・シンビジューム花屋の窓に並びおり愛で育てしひと遠く旅立つ
添削品『紫の蘭の鉢植え目にすれば愛でし亡き夫憶ひ出すなり』
(シンビの色を出すことで視覚に訴えること、
愛で育てしひと=花屋の人と思われるので…)
これは、先週オットの納骨を済ませたあと、娘と
孫娘の運動会があっているそうなので、山鹿まで覗きに行って来ました。
多人数のなか、めぐり合いましたよ、奇跡のような気がしました。
で、一首
・先生となりてはつらつ孫娘運動会のグランドに立つ
物足りなくて推敲してみました。如何でしょうか。
・念願の教師となりて孫娘運動会のグランドで光る