雨もよいの二月尽。
今年の6分の1過ぎました。
ミシン、いつ着いても「さぁやるぞ〜」と取り掛かれるように
母の着物を解き始めました。
暗い日にはもって来いの仕事です。
しみじみ母と対話しながら…
解いているのは大島つむぎです。茶色っぽいです。
妹にベストなどはどうかな?などと思いながら。
表地を縫ってある絹糸は、引っ張るだけでポロポロ千切れて
裏を縫ってある木綿糸の方が強いです。
私は、着物仕立てはしたことありません。
ちょっと年上の人たちは、着物仕立ては嫁入り修行の一つでしたから
否が応でもやったはずです。
着物も簡単に手に入らない時期でしたから、
この大島も、イトコから「縫わせて下さい」ということで
縫い直しをした着物だと古い記憶が蘇りました。
妹は、2年ほど前、脳溢血で倒れて左半椎不随となり
車椅子の生活です。身の回り一切自分では出来ず
その夫さんの手や、介護の人々の手を借りながら毎日を過ごしています。
その夫さんも体に変調があり、とても大変な時期に差し掛かりました。
でも泣きの涙ではなく明るい妹です。
あれだけ体のダメージがあると、もう人任せ、人に頼るしかないと
思っているようで、ドンと構えていますので、
見に行っても泣くような場面はありません。助かります。
週3回、ディサービスに出かけますので、
ちょっとはこじゃれた物ににでもなればいいな。
以前、妹は母が嫌いだったと言いました。
三人きょうだいの末っ子で、私とは8この差があります。
8この差は大きく、思い出話も食い違っていますし
私の昔話は全然覚えていないと言います。
なんで母が嫌いだったのか、理由は少しわかりますが
甘えん坊と思ったいたのに、脳天をがツンとやられた気がしました。
私が母側だったんでしょうね。
もうどうでも良いことなのですが、
着物解きつつ浮かんだマボロシを語って見ました。