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うめちゃんのグダグダな日

希望はないけど、不安がある。
面倒くさいで、自己完結。
眠ったままで、目覚めないことを希望する。

終戦の日に思うこと

2015-08-16 11:19:28 | 日記

昨年、まだオットが生きている頃、大胆にも今日この頃のことを

憶測していました。これがまたマッポシであり笑えます。 

http://blog.goo.ne.jp/mainitigannbaruyo/e/c31d9b663abaf8d43abd01c67919cb6d

 

昨日のお盆にお参りくださった方々に感謝します。

そして昔話で、故人および亡くなった方々を偲び、いい供養になりました。

 

終戦の日でもあり、テレビも多くの戦争時代のことを取り上げています。

そういう古い映像を見た後、現在に戻ると、どっちが現在なのか

一瞬分からなくなるのは、私だけでしょうか~

あの時10歳だった私。で70年経って…80歳??

それこそウッソーと言いたいですが、鏡を見て納得します。

 

個人的にも波瀾万丈…時代も波瀾万丈。

昭和初期に生まれ、昭和を味わった私の年齢前後の者が

一番色濃く昭和を感じ、波瀾万丈をモロに受けてきたように思います。

戦争も知っています。戦場には行かなかったけれど

兵隊さんに感謝し、兵隊さんのおかげです…を叩き込まれました。

 

父は出征し、戦場で肺結核を病み、幸運にも病院船で帰還しました。

が、伝染病ゆえに(あの頃の肺病といえば、悪魔の病気のように恐れられていました)

そのまま、入院しそして昭和22年の秋半ば、9月17日に亡くなりました。

フィリッピンが任地でしたから、帰還できて親兄弟、妻子とも会い

手を取られて亡くなりましたから、遺骨も戻らぬ方々と比べれば

幸運と言うべきでしょうか。行年39歳でした。

いや、父にすれば39歳で3人の子を残し、死んでゆかねばならない運命を

きっと「悔しい」と思ったに違いありません。

 

戦後の飢えも体験しました。

ほんと現在のおいしい唐芋とは別物の芋を腹満たしのために食べました。

農家だったので、買わねばならない人に比べれば、すこしはマシだったかも。

グリンピースが取れる時期は、ピースばっかり…

そら豆の時期はそら豆攻め、大豆攻め、トイモ攻め…

とくに料理法などない頃ゆえに、正攻法の真向攻めでしたから。

それでも食べられたのは、良かったと思われます。

 

父が生きていて守られていたら…

もっといい感じの生き方が出来たろう思います。

母が精いっぱい頑張ってくれました。

でも、母一人の手には負えないことが多かったです。

世の荒波は…

母はちょうど70歳で生涯を終えました。

今ほど健康に気を払う時代ではなく、いっぱい飲みいっぱい食べました。

脳梗塞で、入院して一週間で亡くなりました。

早かったです。

駆け抜けた人生…という気がします。

特に親孝行もせず、親不孝な娘でした。もっと優しくしてやればよかった。

    

 

思い出すことは供養になると言いますから、

オットだけでなく、ちちははのことにも思いを馳せて行きたいと思いました。