暮れの大仕事、昔は大変でした。
今の生活からは考えられないことです。
大晦日と元旦の間には、太い大きな綱が張られて
(実際ではなくて、それくらいケジメをつけろ!の気分の綱)
暮れのことを正月に持ち越してはならないし
あれやこれやで不寝番の様相で、女性は大変でした。
早いうちから、障子や襖の張り替えや、大掃除。
大人も子供も下着から履物に至るまで新しいものを支給され
元旦の朝、真新しい物を身に纏って清々しい気分で
お屠蘇やお雑煮をいただきました。
お雑煮や、お煮しめなど、お正月にしか食べられないものも多く
食べる喜びはひとしおの感がありました。
「若水」は男が汲むもので、元旦は男が早く起き、
かまどの火も男が火をつけ、お湯を沸かしました。
元旦に一番に飲む茶はお福茶といい梅干しと共に一番に頂きました。
なにを書いてるんだ〜なにを!
年がら年中同じものを着て
(そりゃ暑い時と寒い時は違うわよ。
でも5年10年くらいの昔の物も、活躍してる昨今)
おせちも買って、お餅も買って、厳粛さなど爪の先もない
元旦。
そういえば、学校で「式」があってましたよ。
♫と〜しのは〜じめのためし〜とて
このうたを歌うために!
白い手袋をはめた校長先生が、巻紙をやおら広げ
「朕思うに我が皇祖皇宗国を……
なにを言ってんだ〜なにを!
あまり思い出したくない事が次々と脳裏に浮かびまくる昨今。
生まれて10年目に戦争に負け
文字通り天と地がひっくり返る大騒動を経験し
6年生の時、給食が始まり、最初は脱脂粉乳から
(確かに旨くは無かったさ、脱脂粉乳。
田舎の子は特になじめないで、残す者多数。
私は、朝鮮育ちのハイカラだったから飲めました)
ラ・ラ物資の配給を少し受け
6・3制の義務化の先頭を切り
真知子巻を知り(2〜3コ上の人はやってた)
ハハハハ…
おもろくない話をごめん!