makoの喜怒哀楽

俳句は自分史・転記は禁じます

敬老日

2018-09-18 | 日記

♪♪

   ・・・秋野・・・

                 ♪♪

                                        2017/9/22

 

私の昆虫好きはいつから始まっていたのかな。

・・そう言えば、変な昆虫を見つけた頃からだったような。

まだコンデジ時代のことだった。

どこかにUPしたハズとブログを遡ってみたら。

今から6年前の記事 ←

内容はともかくとして^^;

ここに今一度、その時撮った画像を載せてみた。

蝉は背中から身を出して脱皮するのだから空蝉をみれば背中が割れている。

一体、これはなんなんでしょうね?

まさかの、新種^^?

葉っぱにつかまっている仕草がどこなく人間くさい♪

 

 

さて、昨日は敬老日だった。

「敬老日」の季語を使った句。

「角川に入選する可能性があるので推敲してください」と先生の評。

過去にはこんな入選句があった。

     「ステッキに父の名を入れ敬老日      まこ」

これは、娘と娘の子の団子threeボーイズの①を連れ立って、

父を訪ねた折りのことを詠んだもの。

父を訪ねると言っても、養父母の存命中は遠慮していたし、

その他にも思うところあって頻繁ではなかった。

久々に訪れた時に父は加齢もあって、腰を痛めていた。

家の中でも立ち上がったりするのに何かにつかまらないといけないようだった。

歩くときは剣の形をした木製のものを。家の中でもそう。

最初は冗談かと思ったことだった。

それを観ていた娘が、「ちょっと出かけてくるで、この子みとって」と言って、

団子①を私に託しどこかへ行ってしまった。

程なくして帰ってきた娘の手には、「ステッキ」が。

もうすぐ敬老の日が近づいていたので集いの時に誰かと取り違えしないように

名前を入れたのだった。

勿論、父の背丈に合わせて調節できるものだった。

「若い子は早いね、何でも」と娘の機転に驚いたことだった。

父はいたく喜んで家の中でも使っていたそう。

父が亡くなった折りの仏壇の前にはそのステッキが置かれていたのだった。

余談のこと、父の棺の中には、私が書いて入選したエッセイが入っていたのだった。

弟がそうしたのだった。

そのエッセイは私たち家族の歴史のようなことを書いたものだった。

主題は 「生きる」 ・ 副題は 「心に残る出逢いと別れ」というもの。

 

今回の先生に評価された句と言うのは、父母「揃って」登場している。

母には敬老の日などはあるはずもないこと。

それを母も登場させて12文字で物語を書いたことだった。

投稿の候補の一つに入れておこう。

思いは一切書いてないのでかえってポエムになっている。

今月投稿して入選したとしても発表は来年の1月のこと。

ささやかな楽しみがまた増えた。

来月はもっと楽しいことが待ち受けている。

颱風よ来ないで!!