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(写真は、久しぶりにお菓子作りました。パイシートを切ったり丸めたりした簡単パイです。)
自分が満たされないものがあったからなのか、子どもの気持ちを受け止めるということに力を入れて子育てしてきました。
いつも頭ごなしに怒って否定する子育てよりはいい気もしますが、それで私はボロ雑巾のように子どもに振り回されてボロボロになっていた気がします。
「ギャー」って泣き喚かれるのがたまらなく聞くに耐えなくて、ほっておけなくて、親の私がジタバタしてなんとか収めようとしたりしてました。
ぶどうが食べたかったー!って泣き喚いていたら、必死でぶどうを買いに行くようなところがありました。いつもじゃなかったかもしれないけど。
お母さん今は無理!あんたのためにならないから要求に応えない!って毅然とできずに、尽くして我慢してイライラして子どもにとってはわけの分からないタイミングで母親が感情的に爆発っていうことばかりしていた気がします。
子どもが学校に行かなくなった時に、娘と自分とのやりとりをノートに記録したことがありました。
そこで気付いたのは、短時間の間に、私の一言で子どもが怒り泣き喚き、こっちも負けじと怒りの言葉で返し、子どもは一層怒り狂っている。
娘の感情が少し落ち着いたと思ったら別の私の一言でまた火がついて娘は怒っている。私も負けじと怒りの言葉を返す。また荒れる。
娘はご飯を自室に持ち込んで食べている。私は受け止めたいと思っているのに娘を傷つけていると自分でしたことに落ち込んでいる。
そしてまた落ち着いたと思ったら別のきっかけで荒れている、子どもの感情の荒れに伴い私の感情も荒れている。
書き出してみた時に、こんなにジェットコースターみたいに感情の波が起きまくっているのか!と驚きました。
心理士さんに言われて知ったことは、不登校中に、「日中はゲームをしない」などのルールを示した時に子どもが荒れたとしても、こちらが毅然とした態度でいて取り合わないのが大事ということでした。
受け止めることが一番大切だと思っていた自分にとっては、泣きわめく娘を前に毅然とした態度でいるというのはすごく苦しいことでした。
しかしながら続けていくうちに、泣いて暴れていてもこちらが取り合わないと、自分で気持ちを収めることが分かってきました。
私が怒りに怒りをふっかけて、火に油を注がないことが大事なんだと体感できました。
暴れていてもこちらは落ち着いて取り合わない。
荒れてない時に一緒に楽しい時を過ごして心の交流をする。
これを続けていたら娘の情緒は安定してきたし、自分も慌てなくなってきました。
そのうち自分で機嫌を直してくるし、この子は大丈夫という見通しが持てたんだと思います。
見通しが持てないということが一番不安になります。。
人が生涯心理的にどんな成長をとげていくのか、どんなことを大切にして生きていくのか。そういうことの道標になりそうな心理学に興味しんしん。もっと知らないことを知りたいです。
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