私たち大人は、こどもたちに、「ちゃんとあいさつをしなさい」って言いますね。
でも「ちゃんと」した「あいさつ」ほど難しいものはないと思うのです。
場面や相手によって、様々なケースがありますし。
私たち大人もちゃんとしたあいさつをするために、マニュアル本でにわか勉強をする時もあります。
ドッジに限って見れば、朝、会場前に集まっている所でのご挨拶。
会場に入ってから
アリーナでの出入りで
コート内で
ずうっとあって解散してからの別れ際に至るまでそりゃあ沢山ありますね

。
この間にも、例えば誰かにぶつかったときどうするか、注意されたときはどう答えるか・・・なんて事も。
顧みれば私たち大人ですら、ちゃんと出来ていないのではないかなと反省します。
私たちのような指導者は、たいていの場合、ドッジを通じてそういった社会生活を営むための学習をこどもたちに学んで欲しいと思い、接しています。
ですから、保護者のみなさんは「我が家ではこうだ」と自分の家庭内のルールに固執したり、押し通そうとしないでくださいね。





最近、他チームの指導者の方との間でよく話題になることに、チームをやめる際に、きちんと挨拶に来ない、あるいは来させない家庭(こども)が増えてきたということがあります。
こういった出来事に出会う都度、保護者側に考え違いがあるのではと想像しているのは、こどもたちにとって「つらい」ことと、「傷つく」ことを、保護者の方が混同されているのではないかと言う点です。
何らかの理由で、こえまで所属し一緒にやってきたチームをやめる(去る)のは、理由の如何に関わらず、当人(こども)にとってはつらい出来事ですし、指導者や仲間に挨拶をする場はきつい思いがするとは想像できます。
けれど、やめるにあたって最後に挨拶をきちんとチームにして、双方の気持ちにきっぱりけじめをつける作業は絶対に必要だし、それがなければ、お互いが次に異なるシーンで出会った時に、正面から向き合えない関係になりかねません。
また、こういった機会は、そのこどもが今後大人になっていく過程で、あるいは社会人になってから、社会や組織の中でしっかり生きていくために、貴重な経験の場だと思います。
けじめをつける場は当人にとってはつらい時もあるでしょうし、きつい状況かもしれませんが、決して傷つく場面でないと考えます。
こどもが傷つくから挨拶に来させませんなんて言われると
、う~~ん、最近は保護者の方も一度も顔を出さすにいつの間にかいなくなっていたりするときもあって・・・、実のところ私たちもけっこう傷ついていたりするのですo( _ _ )o ショボーン。
ですから、「傷つく」から「回避させる」やり方は本当にやめていただきたいと願います。
現に、やめた後、偶然出会った時などで、こどもの中に複雑な感情を見てしまうと、この方がよほど傷ついているじゃないかと
、まぁ何にと言う訳ではありませんがちょっと腹が立ったりもします。
翻って自分たちの職場を見れば・・・・
自分以外の人に迷惑をかけたのなら謝るのが普通で通っていたのは過去のことになりつつあります。
最近の職場事情は大変な方向に向かっております。
そこには、「傷つく」からなんていう「親」の勘違いで、「ごめんなさい」の一言を教えてもらえないままに社会人になってしまった「大人」の悲劇が散らばっているのであります。
不必要に肥大化したプライドをしょったまま大人になって、いたずらに自分をいためつけるしかない大人にしてしまわないためにも、自分の言葉として「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えるお互いになりましょう。
でも「ちゃんと」した「あいさつ」ほど難しいものはないと思うのです。
場面や相手によって、様々なケースがありますし。
私たち大人もちゃんとしたあいさつをするために、マニュアル本でにわか勉強をする時もあります。
ドッジに限って見れば、朝、会場前に集まっている所でのご挨拶。



ずうっとあって解散してからの別れ際に至るまでそりゃあ沢山ありますね



この間にも、例えば誰かにぶつかったときどうするか、注意されたときはどう答えるか・・・なんて事も。
顧みれば私たち大人ですら、ちゃんと出来ていないのではないかなと反省します。
私たちのような指導者は、たいていの場合、ドッジを通じてそういった社会生活を営むための学習をこどもたちに学んで欲しいと思い、接しています。
ですから、保護者のみなさんは「我が家ではこうだ」と自分の家庭内のルールに固執したり、押し通そうとしないでくださいね。





最近、他チームの指導者の方との間でよく話題になることに、チームをやめる際に、きちんと挨拶に来ない、あるいは来させない家庭(こども)が増えてきたということがあります。
こういった出来事に出会う都度、保護者側に考え違いがあるのではと想像しているのは、こどもたちにとって「つらい」ことと、「傷つく」ことを、保護者の方が混同されているのではないかと言う点です。
何らかの理由で、こえまで所属し一緒にやってきたチームをやめる(去る)のは、理由の如何に関わらず、当人(こども)にとってはつらい出来事ですし、指導者や仲間に挨拶をする場はきつい思いがするとは想像できます。
けれど、やめるにあたって最後に挨拶をきちんとチームにして、双方の気持ちにきっぱりけじめをつける作業は絶対に必要だし、それがなければ、お互いが次に異なるシーンで出会った時に、正面から向き合えない関係になりかねません。
また、こういった機会は、そのこどもが今後大人になっていく過程で、あるいは社会人になってから、社会や組織の中でしっかり生きていくために、貴重な経験の場だと思います。
けじめをつける場は当人にとってはつらい時もあるでしょうし、きつい状況かもしれませんが、決して傷つく場面でないと考えます。
こどもが傷つくから挨拶に来させませんなんて言われると

ですから、「傷つく」から「回避させる」やり方は本当にやめていただきたいと願います。
現に、やめた後、偶然出会った時などで、こどもの中に複雑な感情を見てしまうと、この方がよほど傷ついているじゃないかと

翻って自分たちの職場を見れば・・・・
自分以外の人に迷惑をかけたのなら謝るのが普通で通っていたのは過去のことになりつつあります。
最近の職場事情は大変な方向に向かっております。
そこには、「傷つく」からなんていう「親」の勘違いで、「ごめんなさい」の一言を教えてもらえないままに社会人になってしまった「大人」の悲劇が散らばっているのであります。
不必要に肥大化したプライドをしょったまま大人になって、いたずらに自分をいためつけるしかない大人にしてしまわないためにも、自分の言葉として「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えるお互いになりましょう。