とある日

大道芸、喫茶店、蝋梅、街歩き、映画、京都など。

SNSについてふと

2015-09-30 20:48:25 | 大道芸じゃない呟き
あらゆる所で片時もスマホを触ってしまうのはそれも大きな原因。
タイムラインが常に動いている。漏らさず追うためには空いた時間にすかさずチェックしなきゃ。
特に大道芸は情報が大事である。
けれども、ふと我に返ったりする。本当に大事なんだろうかと。
一人の時間を上手く過ごせてないだけなんじゃないかと。

今日でfacebookをやめると宣言した芸人さんが居られる。
現実世界でお会いしましょうと。
とても潔い決断であり、強いと思う。
どこかで繋がっているという安心感がやはりそこにはある。
そこは現実と同じように気も使ったりするし。
ただ変な世界でもある。
広げるためなんだろうけど、会ったことも聞いたこともない人が友達かもと候補に現れて、
私はめったに無いけど見知らぬ人から友達申請が来る。
割合、facebookは顔や本名が出ているから、写真入りの投稿をしやすい訳だけれども、
知り合いって言ってもどの程度なのかということである。
他にも、ネットで知り合った人が急に変貌して怖くなったとか。
イヤだねボタンが出来るという話もあるけれど、イイネがだんだん辛くなってくる。
どういう時に押せばいいのか、既読として押したい時となんとなくいいかと思う時と。

そんなこんなで世界に責任があるtwitterの方が好きな今、
でもどこか気兼ねのない場所、知っている人に見られてない場所で本音は吐き出したい衝動もある。
そんな疲れた人がmixiに戻るのかもしれない。
より閉鎖された守られた感はある。でもどこかつまらない。
twitterはまだ会ったことのない人も居るし、大道芸で知り合った人も。
不思議と現実世界で会ってる時の方が楽しいのに、twitterでは闇を感じる人も居る。
そんな時にもまたその人をわかったつもりになっちゃいけないと思う。
本質を見極めるのはなかなか難しい。
社会人になって現実世界で知り合った人でさえ大きな勘違いをしてしまった事がある。
私に関しては、憧れから入ると本質を見抜きづらい。
おかしいなと思いつつ付き合って行って、ある日顔も見たくなくなる。
そう思うと宴会や酒の席で本音や素性をさらけ出すっていいことかもしれないなぁ。
深く付き合うならば、ね。
浅く広くもちゃんとお互いに思いやりがないと成り立たなくて重くなるものなんだろうな。
ふと思うこと。