ただいま坂口恭平さんの『PRACTICE FOR A REVOLUTION』を流しています。
千鶴さんは、隣の部屋で『龍が如く2』をプレイ中。
さて昨日はあれから仕事へ。
途中で銀行へ寄り、支払いを済ませておきます。
めずらしく千鶴さんにメールするのを忘れていた。
休憩時間は、同じように携帯でツイッターやブログを見ている。
阿部敏郎さんの記事が凄く良かったです。
「諸法無我よ!」の流れがいいね。
あんたもわたしもないんよ!って感じですかねー。
うん、うん、一心同体であることはなかなかできないけど、ハッとなるよね。
雲黒斎さんもハートを開くことについてタイミング良く書いている。
身体と感覚と心と意識の全てで他者と自我の分かれがなくなることだろう。
他者というか、他=対象がなくなる。
意識の介在の仕方が変わると全体的に変容するのではないかと思います。
感情体という考え方はおもしろい。
実はこの世界は心の投影でしかないと言うとき、感情・体からの投影ということを考えなくてはならない。
身体→感覚→心(感情体)→世界(環境)というふうに繋がりがあり、感情単体では存在していない。
だから、感情は感情のことだけで扱っても、うまくいかないのだろう。
そして感情の在り方が、身体、感覚、世界に影響を与える度合いはとても大きい。
もちろん、そこには他者も含まれている。
個という感情体があると考えるとおもしろいのではないだろうか。
注意が思考の枠から飛び出して、身体感覚に戻り、鋭敏になることで、世界と私の感覚的隔たりが少しなくなってくる。
そうして無抵抗な物には完全に出たり入ったりして、一無位の真人が自由に飛び回る。
三昧の境地である。
しかし抵抗ある他者というのは感情が分離しているので、一体になることができない。
ので、感情体が鋭敏にならなければならない!
思考の枠から外れて感覚に戻ったように、自分の心に還ってゆくのだ。
この時の心は『感情体』である。
あいまいな形のない心であるが、それは身体のようにしっかりと存在している。
完全に物理的な現象なのである。
『私も他者も存在しない』という思考を持ち込む必要はない。
ただ純粋な生まれたまんまの心に還るのだ。
そうすると「諸法無我よ!」
「あんたもわたしもないんよ!」となる(笑い)
諸法無我って最高やね!
努力とは全く反対のことが必要だ。
何かを為そうとして意識的な介在をさせることが自我意識を活性化させる。
感情へ還る場合も無意識に落ち着いている状況にいることが必要だろうと思う。
感情も身体と同じなのだ。
ハードワークすると疲れるし、リラックスすると元気になる。
エネルギーが不足すると空腹に襲われる(渇愛する)
この身体を忘れてしまっているから、うまくリラックスできないでいる。
心に注意を当てて、エネルギーを補填するには無努力であることが必要だ。
ただ愛を与える。
安心感を与える。
そうやって自分を許すことができる具合で他者との壁が少しづつ溶けていく。
他者への批判は自分への批判である。
僕は、意識の介在の仕方が最大の問題だと思う。
これが為に人と人が争う世界が永遠に続いているのだろう。
なぜに争ったり拒絶し合ったりして短い人生を生きなければならないのか!!
まったくもっておかしい世の中である。
エックハルトトールが『ペインボディ』が原因だと言うが、僕も賛成!
っていうか、ペインボディという命名も良い。
感情は身体と同じようで更に繊細な管理を必要としている。
身体が傷ついたら消毒をしてガーゼ被せて、止血をして、定期的に消毒して、ガーゼ変えて、自然が治してくれるのを待ち、安静にしておく。
これと同じ事を感情にしなければならない。
苦行や虐めはいらない。
身体は緊張しないようにする努力がいる。
心もリラックスさせる努力がいるというが、『努力』という言葉がもうすでに負のイメージを背負っている。
普通、みんな精神世界とかを学び始めるときに「今の自分ではダメだ」と感じている。
なぜなら、この世界の仕組みも生まれた意味も何も分からないから、ダメな自分未成熟な自分が成長することが精神世界の勉強だと思ってしまうからだ。
でも、この「今の自分ではダメだから努力して良い方向へ、認められる方向へ行こう」という態度が永遠の失敗を産む。
例えば、ある人が「ただ心を開いて、あの花を見つめてごらん」と言ったとする。
しかし、この人は毎日心を開いている瞬間があるにも関わらず、心を開くことがとても難しいことで、とてつもない修行をしないと手に入らないものだと勘違いしているので「どうやって?」と方法を聞く。
そして何か苦行を通して心の開き方を身につけようとして、ドンドンと心を閉ざしてゆくのであった(笑い)
意識的に何々をしようという態度の放棄が良い。
「わたしは生まれながらにして完全無欠。天上天下唯我独尊」である。
なぜなら私とは全宇宙であるから、そして形もないものだからだ。
うーん。
でも、ここまで行くとやりすぎだろうと感じてしまう。
想像の入り込む余地を残しすぎている。
難しく何かを追い求める心を放り出して、ただ笑って生きていようよって感じが良いね。
これ以上、何も手に入らないところに制限を設けるのが人間の本性なんだろうね。
制限があるから生きている感動を味わえるわけだから。
その意識の介在を無くすってだけで主義主張も、達成も、何もいらないんじゃないか。
ただ、ここを生きている。
来るべき物がきて、ただそれに反応している。
意識は眠っており、無努力である。
ということで、感情のケアと身体のケアをしっかりして、永遠の宇宙を楽しみましょう。
って何書いてたか忘れたよ……。
えーっと、食事休憩は仕事の話をしていましたね。
これから、どーすんのかいなって感じです。
仕事が終わってからは昨日ツケで飲んでいたので支払いに行きました。
警察官が飲酒検問をしていました。
僕は飲んでいなかったので無事セーフでしたが、年末にかけて、検問が増えると聞いたので飲酒運転注意であります!
いろいろお話しして帰宅する。
朝は8時半くらいに起きる。
朝食を食べながら母親と会話。
お祝いのお金をもってきてくれた母の友人の方が見えて教えてくれた。
感謝します。
それから千鶴さんと電話して、また眠ってしまい、起きたら12時半です……。
いつものパターンやないかあ(笑い)
急いで準備してお出迎え。
本当は12時に行くはずが13時半に到着して、コンビニで買い物をして、ガソリンスタンドで給油して名古屋へ。
途中で御在所S/Aで休憩して唐揚げ食べる。
名古屋では結婚指輪を見て回りましたが、とても高価なので作戦を練り直すことにします。
プラチナだと二人で20万円近くしている。
【Samantha silva】にある指輪が気に入ったみたいだけど……うーっ、厳しいっ。
まあ、考えます!
なんとかしますよ、あなた!(笑い)
で、それから名古屋市公会堂にて坂口恭平さんのトークライブを聞く。
いまは鬱期ということで終始落ち着いた語り口で淡々と話されていました。
今、やっている活動の紹介が主でしたが、これからドンドンやってくぞーという雰囲気は鬱なのでありません。
でも可能性を提示するというやり方は、それでも良いのかなとは思います。
彼のお話のすべてが視点の変換ですね。
別レイヤーの存在を常に考えていくことで生きることの自由が広がるのであります。
でもね、、、常識ってもんがあるので、自分がどこをやぶっていくかってところが肝心だと自分に置き換えて思います。
やっぱり何かを全体的に変容させてしまわなければならない。
これから自由な時間が出来ると思うので徹底的に変えて行かなくてはならない。
人生見つめ直すチャンス到来!(苦しいけど笑)
最後は坂口さんが質問に答えて終わりました。
会場にてCDアルバムを購入。
帰宅途中にまた御在所S/Aにより、ラーメンを食べる。
塩ラーメン(千鶴さん)と台湾ラーメン(僕)
家へ帰ると妹と結佳ちゃんが遊びに来ていたので、話したり、遊んだりしました。
子供は意識を介在させないので元気で自然です。
それからブログ書いて、千鶴さんはゲームですね。
お風呂に入って、のんびり煙草吸いながら、恭平さんのCD楽しんでます。
これから徹底的にやってかねばー。
がんばるぞー
でわでわー
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千鶴さんは、隣の部屋で『龍が如く2』をプレイ中。
さて昨日はあれから仕事へ。
途中で銀行へ寄り、支払いを済ませておきます。
めずらしく千鶴さんにメールするのを忘れていた。
休憩時間は、同じように携帯でツイッターやブログを見ている。
阿部敏郎さんの記事が凄く良かったです。
「諸法無我よ!」の流れがいいね。
あんたもわたしもないんよ!って感じですかねー。
うん、うん、一心同体であることはなかなかできないけど、ハッとなるよね。
雲黒斎さんもハートを開くことについてタイミング良く書いている。
身体と感覚と心と意識の全てで他者と自我の分かれがなくなることだろう。
他者というか、他=対象がなくなる。
意識の介在の仕方が変わると全体的に変容するのではないかと思います。
感情体という考え方はおもしろい。
実はこの世界は心の投影でしかないと言うとき、感情・体からの投影ということを考えなくてはならない。
身体→感覚→心(感情体)→世界(環境)というふうに繋がりがあり、感情単体では存在していない。
だから、感情は感情のことだけで扱っても、うまくいかないのだろう。
そして感情の在り方が、身体、感覚、世界に影響を与える度合いはとても大きい。
もちろん、そこには他者も含まれている。
個という感情体があると考えるとおもしろいのではないだろうか。
注意が思考の枠から飛び出して、身体感覚に戻り、鋭敏になることで、世界と私の感覚的隔たりが少しなくなってくる。
そうして無抵抗な物には完全に出たり入ったりして、一無位の真人が自由に飛び回る。
三昧の境地である。
しかし抵抗ある他者というのは感情が分離しているので、一体になることができない。
ので、感情体が鋭敏にならなければならない!
思考の枠から外れて感覚に戻ったように、自分の心に還ってゆくのだ。
この時の心は『感情体』である。
あいまいな形のない心であるが、それは身体のようにしっかりと存在している。
完全に物理的な現象なのである。
『私も他者も存在しない』という思考を持ち込む必要はない。
ただ純粋な生まれたまんまの心に還るのだ。
そうすると「諸法無我よ!」
「あんたもわたしもないんよ!」となる(笑い)
諸法無我って最高やね!
努力とは全く反対のことが必要だ。
何かを為そうとして意識的な介在をさせることが自我意識を活性化させる。
感情へ還る場合も無意識に落ち着いている状況にいることが必要だろうと思う。
感情も身体と同じなのだ。
ハードワークすると疲れるし、リラックスすると元気になる。
エネルギーが不足すると空腹に襲われる(渇愛する)
この身体を忘れてしまっているから、うまくリラックスできないでいる。
心に注意を当てて、エネルギーを補填するには無努力であることが必要だ。
ただ愛を与える。
安心感を与える。
そうやって自分を許すことができる具合で他者との壁が少しづつ溶けていく。
他者への批判は自分への批判である。
僕は、意識の介在の仕方が最大の問題だと思う。
これが為に人と人が争う世界が永遠に続いているのだろう。
なぜに争ったり拒絶し合ったりして短い人生を生きなければならないのか!!
まったくもっておかしい世の中である。
エックハルトトールが『ペインボディ』が原因だと言うが、僕も賛成!
っていうか、ペインボディという命名も良い。
感情は身体と同じようで更に繊細な管理を必要としている。
身体が傷ついたら消毒をしてガーゼ被せて、止血をして、定期的に消毒して、ガーゼ変えて、自然が治してくれるのを待ち、安静にしておく。
これと同じ事を感情にしなければならない。
苦行や虐めはいらない。
身体は緊張しないようにする努力がいる。
心もリラックスさせる努力がいるというが、『努力』という言葉がもうすでに負のイメージを背負っている。
普通、みんな精神世界とかを学び始めるときに「今の自分ではダメだ」と感じている。
なぜなら、この世界の仕組みも生まれた意味も何も分からないから、ダメな自分未成熟な自分が成長することが精神世界の勉強だと思ってしまうからだ。
でも、この「今の自分ではダメだから努力して良い方向へ、認められる方向へ行こう」という態度が永遠の失敗を産む。
例えば、ある人が「ただ心を開いて、あの花を見つめてごらん」と言ったとする。
しかし、この人は毎日心を開いている瞬間があるにも関わらず、心を開くことがとても難しいことで、とてつもない修行をしないと手に入らないものだと勘違いしているので「どうやって?」と方法を聞く。
そして何か苦行を通して心の開き方を身につけようとして、ドンドンと心を閉ざしてゆくのであった(笑い)
意識的に何々をしようという態度の放棄が良い。
「わたしは生まれながらにして完全無欠。天上天下唯我独尊」である。
なぜなら私とは全宇宙であるから、そして形もないものだからだ。
うーん。
でも、ここまで行くとやりすぎだろうと感じてしまう。
想像の入り込む余地を残しすぎている。
難しく何かを追い求める心を放り出して、ただ笑って生きていようよって感じが良いね。
これ以上、何も手に入らないところに制限を設けるのが人間の本性なんだろうね。
制限があるから生きている感動を味わえるわけだから。
その意識の介在を無くすってだけで主義主張も、達成も、何もいらないんじゃないか。
ただ、ここを生きている。
来るべき物がきて、ただそれに反応している。
意識は眠っており、無努力である。
ということで、感情のケアと身体のケアをしっかりして、永遠の宇宙を楽しみましょう。
って何書いてたか忘れたよ……。
えーっと、食事休憩は仕事の話をしていましたね。
これから、どーすんのかいなって感じです。
仕事が終わってからは昨日ツケで飲んでいたので支払いに行きました。
警察官が飲酒検問をしていました。
僕は飲んでいなかったので無事セーフでしたが、年末にかけて、検問が増えると聞いたので飲酒運転注意であります!
いろいろお話しして帰宅する。
朝は8時半くらいに起きる。
朝食を食べながら母親と会話。
お祝いのお金をもってきてくれた母の友人の方が見えて教えてくれた。
感謝します。
それから千鶴さんと電話して、また眠ってしまい、起きたら12時半です……。
いつものパターンやないかあ(笑い)
急いで準備してお出迎え。
本当は12時に行くはずが13時半に到着して、コンビニで買い物をして、ガソリンスタンドで給油して名古屋へ。
途中で御在所S/Aで休憩して唐揚げ食べる。
名古屋では結婚指輪を見て回りましたが、とても高価なので作戦を練り直すことにします。
プラチナだと二人で20万円近くしている。
【Samantha silva】にある指輪が気に入ったみたいだけど……うーっ、厳しいっ。
まあ、考えます!
なんとかしますよ、あなた!(笑い)
で、それから名古屋市公会堂にて坂口恭平さんのトークライブを聞く。
いまは鬱期ということで終始落ち着いた語り口で淡々と話されていました。
今、やっている活動の紹介が主でしたが、これからドンドンやってくぞーという雰囲気は鬱なのでありません。
でも可能性を提示するというやり方は、それでも良いのかなとは思います。
彼のお話のすべてが視点の変換ですね。
別レイヤーの存在を常に考えていくことで生きることの自由が広がるのであります。
でもね、、、常識ってもんがあるので、自分がどこをやぶっていくかってところが肝心だと自分に置き換えて思います。
やっぱり何かを全体的に変容させてしまわなければならない。
これから自由な時間が出来ると思うので徹底的に変えて行かなくてはならない。
人生見つめ直すチャンス到来!(苦しいけど笑)
最後は坂口さんが質問に答えて終わりました。
会場にてCDアルバムを購入。
帰宅途中にまた御在所S/Aにより、ラーメンを食べる。
塩ラーメン(千鶴さん)と台湾ラーメン(僕)
家へ帰ると妹と結佳ちゃんが遊びに来ていたので、話したり、遊んだりしました。
子供は意識を介在させないので元気で自然です。
それからブログ書いて、千鶴さんはゲームですね。
お風呂に入って、のんびり煙草吸いながら、恭平さんのCD楽しんでます。
これから徹底的にやってかねばー。
がんばるぞー
でわでわー
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