豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

俺は永遠に悟れない

2012-11-07 01:20:04 | 日記
今日は仕事前にメールで記事を投稿しました。

タイトルを記入していなかったが、携帯投稿だと日付になるんだね。

てっきり『タイトルを記入してください』かと思ってた。


さて仕事の休憩時間は主に賢者テラさんのブログを読んでいました。

『いつもベストを尽くすあなたへ』という記事が良い。

感動するので読んでみてください。

人間ベストを尽くしていない人はいないって素晴らしいことだ。


僕は、今日思った「俺は永遠に悟れない」

つまり人格は悟れない。

つまり自我は悟れない。

つまり真大は悟れない。

悟った人間はこの世界に存在しない。

悟った瞬間に、人間卒業してしまっているはずだ。

自分自身が死んだときに残るものが真実の悟りだろう。

自分自身だと思っていたものの理解が変化することだ。

他者は自分の心の内にある。

本当に自分の心の中にだけある。

そこに人の身体、感覚、心、意識があると思うのは、自分自身の感覚と感情を投射するからだ。

当たり前だが、自分の感情と感覚が喪失したら他者はいない。

そして、この感覚、感情機能は『全ての人が同等に生まれながらに備えている本能・本質』である。

感覚と感情の双方が本質的に変わってしまうと他者の自分への態度も変わると思われる。

これがよく言われている変容とか覚醒とか言われるものだろう。

感覚と感情とをどのように変容させるか。

これらは死後に失われる機能である可能性が高い。

生きるということは、意識が感覚と感情を味わっているという状態ではないだろうか。

これらはどちらも神経を通してやってくる。

神経に僕がくっついている!!

しかし、私自身が私の内にあるとは一体どういう不思議だろう!

世界自体が私の内にある。

世界も私も一緒になって、この現実世界を創りあげているのだ。

この私は普段思っている私=ではない。

身体、感覚、心、世界に属さない私である。

人格から見ると対象化されうる。

無を感じることで、対象化される。

つまり完全に世界は夢であると言い切ってしまった人が悟った人なのだ。

世に執着が完全になくなってしまった人。

他人=自分、自分=他人になってしまった人。

そんな人がいたというのは信じられないが、どうもそういうことのようだ。

私自身の存在が夢なのだから……。


だが、これはまだ2極化されている。

意識と自己=他者を含んだ世界の2極に別れている。

この2極を中和させる要素が何か分かれば凄いことになりそうだ。

まあまた考えてみよ。


さて、食事休憩前には千鶴さんと電話します。

なんか外国人の方が演歌歌ってる番組見ていておもしろいと言っていた。

今日は機嫌が良さそうで嬉しい。

千鶴さんにも色々とたいへんなことがあるだろうけどベストを尽くしていない人はいないのだ。

この考え方めっちゃ気に入った!


食事中、食事後は色んな人と、今後の仕事のお話しや、結婚のことや、たくさん話しました。

みんな心配してくれたり、元気づけてくれて、良い人ばかり。

矢沢永吉は1万円とギター持って、横浜へ行ってバイトしながら頑張ったらしい。

僕も東京行ったけど、頑張ったのは新聞配達と飲み会だったな(笑)

音楽するはずやったのにねー。


まあ人間、才能というものがあるので無闇矢鱈に夢見ると、たいへんな目に遭います。


仕事が終わってからは、すぐに家へ帰ってブログ更新をしています。


賢者テラさんのさっき紹介した記事に『ロビンソン』が貼ってあったので聴いている。

昔、好きだった子にスピッツのCD貸してもらったのを思い出す。

僕は『チェリー』が1番好きかな。


ちょっと聴いてよー。



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