豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

注目すべき老師との出会い③

2014-10-13 11:53:16 | 小旅行
禅道場を出て仏像の間に戻ると、皆さん、拝佛をされてお経の本を手にされます。

そのあとで整列をして、読経。

僕は家が天台真盛宗なので、作法が、かなり違います。

周囲の人の真似をしながら、やっていく。

心が真摯な状態へと導かれていきます。

あ、般若心経の読経はあったので、これは同じだなあと思いました。


みなさん真剣で清々しいお姿に見えて神々しいです。


読経を終えると、お茶とお菓子をいただきながらのお話です。

何気ない会話の中にある、朗らかさ。

心が迷いの中にあらず、スッキリとしている様子がわかります。

僕も少し話しましたが、聞いているだけで、楽しめる。

ある年配の方は言いました。

「僕もね昔は悟りたいと思ってたよ」

自然に口をつく会話の流れの中の、その空気感がとても感じられる。

住職さんらしき方が「だんだん聞くことがなくなってくるんだよね」と言われました。

これという概念ではなく、そこにある、そのもの自体の流れが、ある。

あとで聞いた話では、この方は、老師の息子さんのようです。


石でもなんでもね。

人間の心が触れたら、意識があるとも言えるんだよね。

花でも、自動ドアでも、生きていても生きていなくても。

心が触れたら、そこに命が、触れ合いの中にあるんだよね。

可愛がってあげることだよ。

可愛がってあげることの中に、生命があるんですよ。


全体的に、そのようなお話しでした。

ある男性が「今日の話は深いねえ」と笑っていた。

このところ遠方からの参加者の方がくるようで、その人たちがお茶の時間の話は「雑談ばかりでつまらない」と言われるそうです。

確かに、普通の日常に有る会話ですが、その中にある、普遍的な触れ合い。

円と円で繋がった、この、人と人があって話しをする。

ただ一緒にいるだけで、ふと、会話を交わすだけで、内容は問題にされないのである。

思考の世界に入ると「それがどうした?」となってしまうだけで、本来は、どうしたも何も無く、ただ触れ合って生きている瞬間の楽しみなのだ。

そこしかない。


お茶の話が終わると散会となり、僕も部屋を出ました。

仏像の写真や、道元さんと如浄さんの出会いの像を撮る。

お寺の門を出ると地蔵さんが6体。

にこやかに

なごやかに

さわやかに

ゆるやかに

すこやかに

やすらかに

と、足元に刻まれている。

写真を撮って、嫁様に送信する、笑


お寺をあとにするとナビで銭湯を検索して入りに行きます。

千鶴さんに電話をして、衝動的な旅の全層を語るw

彼女は、基本的に優しいので、まあ、受け入れてくれることが多い。

そのあたりで負担をかけているのだろう。


お風呂に入ってコンビニで食事を買います。

車の中で、どうしようか考えてから、方向寺へと行くことにしました。

そこは17年前に、このような問題を考える契機となった場所ですし、この現在の、状況では丁度、行くのに良かったのです。


30分ほどで到着すると、お祭りがやっていました。

たまたま来たのが、お祭りの日というのも、いいなあと思います。

そのまま歩く。

500羅漢像というのがあって、山の中に、地蔵さんが無数にあります。

なんとなく神秘的なイメージ。

お寺へ着いて拝観料400円で中へ入ってみる。

達磨さんの像や、様々文化財の展示をしていました。

お釈迦様の像を間近に見られる特別拝観がされていて、近くからボーっと眺めていました。

歩く。

無言で歩いていると花火がドーンと鳴りました。

ドーンとなる、その音が、なにか祝福してくれているように感じてしまう。


スリランカから委譲された仏舎利が収められているようで、拝みます。

高きところから山を眺める。

朝から座禅等をしたからか、心が静まって、なにやら清々しい。

お祭りのために、お坊さんや、学生さんや、雅楽をされる方々など、たくさんの方がお寺に見えているようでした。

一通り、歩いて還る。

昔、セミナーを受けた研修センターがどうなっているかを見てみようと思い、階段を上ると、そこは!

更地だった!!!!

なんと、無くなっているのだ。

ああ、ここだったかな??

と思ったが、石垣だけが残っていて、それは、その昔、そこで瞑想した石垣ではないか。

石垣だけが残っていて、消失しているとは!


これを見たときの、もう、これで、恐らく、僕は、この疑念からほんとうに解放されるのではないかと思いました。

何かの縁の流れを感じてしまうのです。


黙々と考えながら山を降りて車へ向かいます。



<つづく>

注目すべき老師との出会い②

2014-10-13 10:51:30 | 小旅行
衝動的に家を飛び出すと、コンビニでお茶を買い、Yくんへ電話する。

時間があいていたら一緒に行こうと思ったのですが、大変忙しい状況です。

神事に関する仕事の準備で、いろいろとやることがある様子でした。

ガソリンを入れて、ナビで禅寺付近へ出発します。


10月12日、日曜日の朝に座禅会があるという情報を見たので、それに参加しようと思ったのです。


ドライブしていく間は、様々な、過去の出来事を追いながら、いい気分です。

ひとりだと寂しくなるかなと思っていましたが、案外、そういうこともない。

逆に構われなくなること、日常からの脱出感があって、楽しい、楽しい。


2時間半ほど走って、目的地周辺の市街地で食事を楽しんでから、深夜に寝ます。

車中泊ですね。

5時半ごろにおきてきて、お寺を目指しますが、ナビの設定を間違えて少し迷う。


お寺が見えてきて車を止めるが、朝早すぎて、ほんとうに座禅会が開催されるのかなとか、いきなり連絡もなしで行っていいものなのかとか、もしかして一般の人ではなく、その宗派の人しか参加できないのではないかとか、とにかくドキドキしてしまう。

一応、ここであっているのかを車を降りて見てくることにした。

入り口を見ると○○寺とあり、間違いない。

その横に『仏道とは自己なり』と刻まれている!

うわっ、きた、コレ。

かっこいいじゃないかああああああああと痺れてしまう(笑い)

しかし、入り口は工事中のように止めてある。

うーん、やっぱり開いてないのだろうか??


一度車に戻って、コンビニへ行き、トイレを済ませてコーヒーを買う。

座禅中にトイレに行きたくなったら不味いという恐怖心があったのであります。

とにかく、この時点で、半端ない緊張状態にありました、笑


お寺へ戻って恐る恐る、中へと歩いていく。

うーむ、不審者だと思われたらどうしよう・・・・・・。

一般人は参加不能だったり、連絡もなしはさすがに不味いよなあ。

と、横見ると、車が2台連れ立って走ってくる。

あ、これは、禅会に参加する人たちではないだろうか。

よく目の前を見ると、大きな駐車場があるではないですか。


どうも僕はお寺の裏に止めてしまったようで、入り口は別にあったのでした。

禅堂らしきところから、女性が歩いて見えたので「おはようございます」

「あの、座禅会に参加したいんですが・・・・・・」

この時点で凄まじく、挙動不審な僕(苦笑)

MAX緊張じょうたい突入中であります!

「あ、こちらですよ」と門の向こうを指してくれる。

「あの……一般でも大丈夫ですか??」

「大丈夫ですよ」と向こうへ歩いていかれます。


おお良かった!

お寺の禅堂の入り口に立って中を覗き込む僕。

誰も居ないのかな?

ガラガラと扉を開けて中へ入ると、仏像の間です。

右横の部屋の端のほうで、寝転んでリラックスしている男性の方が居る。

これは、もしかして、そんなに気を使わなくてもいいのかと思い、賽銭箱の横で胡坐をかいて座っていた。


すると!

あとから見える方々が、みなさん、礼儀正しく拝仏をして浄銭をする。

しまったと思ったが、まあ、あとからしましたw

次々と人が見えて、初めての女性2人も来て見えるようでした。

僕はなにをしたらいいのか分からず、ぼけっと座っている。

みなさん、歩いて奥のほうへ行っているが、トイレだろうかと思っていると、親切な男性の方が「はじめてですか?」と声をかけてくれた。

「あ、はい」

「僕が説明するので着いてきてください」

「ありがとうございます」

おお、救われたと思いましたw

で、拳とパーを胸の前で合わせてくださいと言われたので、そのようにして歩きます。

階段の前で「ここからは、しゃべれませんので」

「あ、はい」

これは、本格的な雰囲気になってきたなと思っている僕。


階段を下りて、禅道場が目に入ってくる。

うわっ、めっちゃ本格的な道場があるんだと思って、緊張します。

あの面壁して座る、よく映像でしか見たことがない、座禅場です。


前の男性の所作を真似して礼を尽くして、座る場所へと昇る。

座布団を2枚重ね合わせた上に、丸い枕のようなフワフワしたものがある。

その上に座るので、家で座布団を2つ折りにしてやっていたときよりも楽である。

楽というか、気持ちいいくらいだ。

「左足を右足に乗せて、左手を右手に乗せて、あと薄目で」と男性が教えてくれます。

家でやっているときは、目を瞑っていましたが、教えられたとおりに座ります。


朝の風と鳥の声が気持ちいい。

いつもは感覚に還るという循環リラックス法をしていましたが、ここでは、なにも考えずに、ボケーっと座っていました。

静けさが凄まじい。

静けさに触れるというのは、このことかという深まった静けさ。

何の人間の動きも無い。

自然、そのままの静けさが、心地いい。

心地いい。

その気持ちよさに触れながら、ボケーっとしていたら、鐘の音が鳴る。

ああ、ここに触れる。

この、ここに鐘の音が触れるのである。

静けさと鐘の音が触れあるこの己の、そこのそれ。


ふっと振り返ると、人数が凄く増えていて、こんなにたくさんの人がいて、あの静けさかと驚嘆する。


例によって、前の人(今度は女性だった)の真似をしながら道場を出ました。



<つづく>

注目すべき老師との出会い

2014-10-04 15:27:26 | 小旅行
こんにちは。

久しぶりにブログの更新をします。

前回、9月24日に書いてからほうって置かれました、笑


この間に僕はいろいろと悩んだわけです。

何に悩んだかというと、体験を捕まえに行こうという行為です。

完璧な悟りの体験は、刻々とある、この生きることに、それだけであることです。

しかし僕は、その、端緒を掴んで、それを認識した瞬間のことを握り締めたのです。


そのあとで嫁様と喧嘩したり、まあ、様々なネット情報、本のぱらぱら読み、などをしておったわけですが、どうにも、近くにして、その、近くに行けないという苦しみが、ずっと続いていました。

今思えば、これは滅すべき自我を探している状態でしょう。

自我はないはずなのに、と頭では理解している状態でウロウロしていたのです。


ですから、いろんなお話を聞いたり、読んだりしても、その内容は、よく分かるのに、どうもシックリこないという状態です。

ここで僕は、またしても、いろいろと考え、悩み、やろうとする、苦笑

これは分かる自分が消失しないといけないのか。

無我に到達していないからではないのか。

修行を真剣にやったわけではないからではないのか。

実は大空との一体感が最終地点だったのではないか。

等々、そのほかにも、今までの知識がバーンとすべて起こってきます。


しかし、そういった諸々の活動が、自己の自然発生的な思考であるということも、同時に分かるので、何か、この認識が苦しめるわけです。

しっかりと、この自我は自然発生的に起こる、という認識、思いを掴んでいるw


ある高名な禅の老師が語っている動画を、仏教関連の動画を見まくっているときに、見つけた。

この方の話が、ほとんど、すべて腑に落ちる。

この人は、間違いなく、悟っている!


と、思ったが、会いたいという気持ちと、日常の生活との間でゆらゆらと揺れている。

悟っている人というのは、そうそう稀に現れるわけではない。

世間では、現代で悟っているとされる人の書籍が、たくさんあるわけであるが、その中でも、ほんとうに気がついた人は、少ないのです。

稀に、そういう人が、いたとして、残念ながら他界されていることが多い。

そういう、現に、ここで悟りの体現を、生で伝える人に会えるチャンスは、そうそうあるものではないだろう。

奇蹟だと言っても、いいくらいである。


10日金曜日には、仕事の後、Yくんと天の庭へ行く。

用事があるので、話しながらドライブしないかと誘われたので付いて行く。

鹿の剥製を見せてもらい、猪肉をいただいた。

会話しながらも概念としては分かる、この差別の無い世界のことが頭をよぎる。

どうしても、そこから見てしまうのである。

生のリアルの見るのではなく、その概念を通した世界、人々と、出会うのである。

しかし、この概念自体については、誤りが無いという核心もある。


11日土曜日にも状況は同じであった。

まあ9月の24日ごろの体験というか、気づきがあってから、ずっとそうだったわけだが、だんだんと煮詰まってくる。

やはり、あの禅の老師に会いに行こう。

丁度、13日にイベントがあるので、そこで法話をされるということだった。

台風がくるので、開催されるのか危ぶんで、イベントの開催されるカフェへ電話をした。

また明日の状況を見て、聞いてみるので、電話してくださいとのことでした。


まあ明日まで待つかと思い、法話の動画を見ていると、どうも確信が揺らがない。

これは間違いなく、ほんとうに、素晴らしいことだ。

人生で初めて、自らが意図して、そういう人に会えるチャンスなのだ。

まるで昔に、グルジェフさんの発言に始めて触れたときのような、新鮮な感動が沸々と沸き起こってくる。

同時に、この覚めた自己、客観視する自己が、無我の苦しみを自己に投げる。


であるからして、衝動的に旅に出ることにした。

差別が無いことに気がついたこと、嫁様が大喧嘩で悠聖を連れて出て行ったこと、禅の老師の動画を悩みの中で見たこと等々が機縁となって、若い頃のような日常からの旅にでかけたのだが、このようなことは、僕自身の最近の生活にはなかったと断言できます。


<つづく>