初めましての方は、目次も見てみてね!
☆『ちぃ育児奮闘中♪GUN BIGLOVE♪』も宜しければ併せてお読み下さい。
こんばんは。
人間の真の姿を感じ取ることのできる皆様。
ただいま母親の家からブログの更新を始めました豊田です。
悠聖が「わあ、ぷあー」と言いながら幼児用の学習ゲーム機を差し出してくる。
「えっと12から」と結佳が言っている。
小学校の宿題をやっているようだ。
千鶴さんは「あっはっはっははは、ふっふっふ」と笑いながら教えている。
《いつも応援クリック、ありがとうございます!》
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隣の台所では妹と母親が何か話している。
「好きやでな、ふふふふふ」と聞こえてくるww
汎花ちゃんはハンカチを丁寧に畳んでバッグに入れている。
さっき食べたカラムーチョのアジが舌に残っている。
体は、いつもよりは軽い。
気持ちは落ち着いている。
頭は相変わらず働きが悪いが、見えるものは見えている。
さて今日は13時半ごろに起きてきました。
悠聖が絡んできたので、でんぐり返ししようと思ったけどできない、笑
千鶴さんがゴロゴロ転がったら喜ぶ。
更に悠聖を肩に乗せてくるんと一回転させて後ろへ倒すと、大喜びだ。
まあ、そんなこんなで、いろいろ戯れてから洗面へ。
ゆっくり洗ってから、いろいろ話したけど、何を話したか忘れてしまった。
それから座禅40分ですね。
相変わらずの妄念世界と感覚世界の行ったり来たりです。
どちらも問題ない。
でも、どちらかが見失われている。
常に、なんらかの刺激が存在するが、次が現れると前はない。
それらの奥側に不動の、ハート、つまりイエスという肯定的世界が広がっている。
広大なる世界。
で、座禅を終えると読書ですね。
コーヒーを入れて玄関わきで煙草吸いながら読みます。
悠聖が寝て行ったようで、ゆっくり読める。
が!
千鶴さんが絡んでくる、笑
まあ、徐々に、ゆっくりと読み進めます。
『新しい宇宙像』は超人の話ですね。
この観念が、刺激を与えることで、新しい世界の知覚が芽生える事が超人への最初の道なのだ。
最終的には観念も意味をなさないのだが、この、新しい考え方は、扉を開けるための鍵なのである。
例えば第3の眼や、首の後ろの円鏡、首にあるエネルギー伝達神経や、ハートの真我、太陽神経叢の本能作用、また性のエネルギー等々があるが、それらは最初は観念として知られなくてはならない。
まあ信じられないけどねwwww
でも、実際に、この超人というものが、本当に、調和された人間である。
その調和は、先にあげた人間の機能をすべて認識しなければ、知ることは出来ない。
単純ではないのである、笑
しかし、人はすぐに、簡単にしてしまう。
曰く、地球との一体体験だとか、真我一如とか、まあ特殊な体験が、悟りだと思い込むのだ。
それは実際には、ひとつの中枢の鍵が開いた状態だ。
だから、ある人が神秘体験をして、首の後ろの円鏡を見たとすると、世界は全く見方を変えて、それを悟りだと表現する。
そしてまた、別の人は第3の眼の光を感受して、これこそ悟りだと言う。
また3人目は、自動的に動く動作の起点が首にあることを見て、すべては起こっていると言い、それが悟りだと思う。
また別の人はハートが開くことで、信じられないほどの至福を味わい、それが悟りだと言う。
違う人は、本能の眼ざめによって超越的な感受性が生まれて、世界のあらゆるものは、自己であると言う。
また別の人は生エネルギーの開放によって、智慧の光、恍惚の静寂を知り、それが悟りだと言う。
と言った具合に、中枢の開放は、容易に悟りと勘違いされているのは、昨今のインターネットの発達で、そこら中に溢れている。
しかし、真の人間の開放は、釈迦が指摘したように『生老病死』の四苦からの開放でなければならない。
釈迦は悟りを開いて完全に満足をして、そのまま死のうとした。
なぜなら、もう、すべてが、完全に解決して、涅槃に入ることで、一切の苦に淑滅が与えられるからだ。
この基準は役に立つだろう。
僕なんか、今日、座禅の時、悠聖が顔を叩きに来るだけでビビっているのだwwww
またグルジェフさんの有名な言葉には『指を傷つけられたくらいで、すべてを忘れてしまうような人間に、一体、死に抵抗する何が残ると言うのだろう』という言葉があります。
その生死の問題に、微塵も疑いが残っていないか確認すれば、本当に自分が悟ったかどうかは、すぐに確認できます。
前にも書きましたがサーリープッタさんは後ろからいきなり殴られても平然と「どうしました?」と逆に相手を気遣ったらしい、爆笑
更に、良寛さんも、ボコボコにされても「私も相手もいないところで、痛みだけがある、どうして業が残ろうか」的なことを言って、ケロッとしていたらしいのですね。
まあ昔の中国の禅なんかだと、すぐに殴られたりしますwwww
臨済が『一無位の真人、汝の面目より出入りす』と言ったのを聞いた人が、臨済の弟子に「なぜ、一無位ではなく、無無位と言わないのか」的なことを言ったら「お前の体で確かめよ」と湖に投げ入れて殺されそうになっています、爆笑
このように命の問題ですので、命が、どう解決したのか。
直ぐにわかります。
僕なんかは、ビビりまくっているので、自称覚りの見本みたいなものですねwwww
さて読書を終えると、千鶴さんとお買い物。
悠聖は風邪ひいているのでお留守番。
スーパーサンシとトンカチ、ゲオという本屋兼ゲーム屋さんへ。
食材と日用品買って、ゲーム見ていて、帰りに本も見た。
なんと興味深い記事のタイトルがボーンと僕の目の前に!!!!
『古代エジプト』という文字が出てきたのだ。
日経サイエンスという雑誌が特集しているようで、どうしても読みたいので「古代エジプトやでー、やばいやばい」と千鶴さんにアピール。
1440円もしたけど、ごり押しで買ってもらいました。
読むの超楽しみ!
で、家へ帰ってきたら、妹たちが遊びに来ていたので、会話してから、悠聖のご飯。
あの野郎、全然、食べやがらないwww
もうあきらめて、途中で、僕が食べてしまった。
ほんで、また母親の家へ来て、ガヤガヤ喋っている中でブログの更新をしていたのでした。
なんかケーキあるので食べてきます。
妹と母親が作ったようだ。
うまそー!
ほいでは皆様、もはや夜ですが、どうか体の緊張を解いて、心安らかに、お休みください。
バイバイ。
⇒⇒VOICE OF JOKER 目次
☆『ちぃ育児奮闘中♪GUN BIGLOVE♪』も宜しければ併せてお読み下さい。
こんばんは。
人間の真の姿を感じ取ることのできる皆様。
ただいま母親の家からブログの更新を始めました豊田です。
悠聖が「わあ、ぷあー」と言いながら幼児用の学習ゲーム機を差し出してくる。
「えっと12から」と結佳が言っている。
小学校の宿題をやっているようだ。
千鶴さんは「あっはっはっははは、ふっふっふ」と笑いながら教えている。
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隣の台所では妹と母親が何か話している。
「好きやでな、ふふふふふ」と聞こえてくるww
汎花ちゃんはハンカチを丁寧に畳んでバッグに入れている。
さっき食べたカラムーチョのアジが舌に残っている。
体は、いつもよりは軽い。
気持ちは落ち着いている。
頭は相変わらず働きが悪いが、見えるものは見えている。
さて今日は13時半ごろに起きてきました。
悠聖が絡んできたので、でんぐり返ししようと思ったけどできない、笑
千鶴さんがゴロゴロ転がったら喜ぶ。
更に悠聖を肩に乗せてくるんと一回転させて後ろへ倒すと、大喜びだ。
まあ、そんなこんなで、いろいろ戯れてから洗面へ。
ゆっくり洗ってから、いろいろ話したけど、何を話したか忘れてしまった。
それから座禅40分ですね。
相変わらずの妄念世界と感覚世界の行ったり来たりです。
どちらも問題ない。
でも、どちらかが見失われている。
常に、なんらかの刺激が存在するが、次が現れると前はない。
それらの奥側に不動の、ハート、つまりイエスという肯定的世界が広がっている。
広大なる世界。
で、座禅を終えると読書ですね。
コーヒーを入れて玄関わきで煙草吸いながら読みます。
悠聖が寝て行ったようで、ゆっくり読める。
が!
千鶴さんが絡んでくる、笑
まあ、徐々に、ゆっくりと読み進めます。
『新しい宇宙像』は超人の話ですね。
この観念が、刺激を与えることで、新しい世界の知覚が芽生える事が超人への最初の道なのだ。
最終的には観念も意味をなさないのだが、この、新しい考え方は、扉を開けるための鍵なのである。
例えば第3の眼や、首の後ろの円鏡、首にあるエネルギー伝達神経や、ハートの真我、太陽神経叢の本能作用、また性のエネルギー等々があるが、それらは最初は観念として知られなくてはならない。
まあ信じられないけどねwwww
でも、実際に、この超人というものが、本当に、調和された人間である。
その調和は、先にあげた人間の機能をすべて認識しなければ、知ることは出来ない。
単純ではないのである、笑
しかし、人はすぐに、簡単にしてしまう。
曰く、地球との一体体験だとか、真我一如とか、まあ特殊な体験が、悟りだと思い込むのだ。
それは実際には、ひとつの中枢の鍵が開いた状態だ。
だから、ある人が神秘体験をして、首の後ろの円鏡を見たとすると、世界は全く見方を変えて、それを悟りだと表現する。
そしてまた、別の人は第3の眼の光を感受して、これこそ悟りだと言う。
また3人目は、自動的に動く動作の起点が首にあることを見て、すべては起こっていると言い、それが悟りだと思う。
また別の人はハートが開くことで、信じられないほどの至福を味わい、それが悟りだと言う。
違う人は、本能の眼ざめによって超越的な感受性が生まれて、世界のあらゆるものは、自己であると言う。
また別の人は生エネルギーの開放によって、智慧の光、恍惚の静寂を知り、それが悟りだと言う。
と言った具合に、中枢の開放は、容易に悟りと勘違いされているのは、昨今のインターネットの発達で、そこら中に溢れている。
しかし、真の人間の開放は、釈迦が指摘したように『生老病死』の四苦からの開放でなければならない。
釈迦は悟りを開いて完全に満足をして、そのまま死のうとした。
なぜなら、もう、すべてが、完全に解決して、涅槃に入ることで、一切の苦に淑滅が与えられるからだ。
この基準は役に立つだろう。
僕なんか、今日、座禅の時、悠聖が顔を叩きに来るだけでビビっているのだwwww
またグルジェフさんの有名な言葉には『指を傷つけられたくらいで、すべてを忘れてしまうような人間に、一体、死に抵抗する何が残ると言うのだろう』という言葉があります。
その生死の問題に、微塵も疑いが残っていないか確認すれば、本当に自分が悟ったかどうかは、すぐに確認できます。
前にも書きましたがサーリープッタさんは後ろからいきなり殴られても平然と「どうしました?」と逆に相手を気遣ったらしい、爆笑
更に、良寛さんも、ボコボコにされても「私も相手もいないところで、痛みだけがある、どうして業が残ろうか」的なことを言って、ケロッとしていたらしいのですね。
まあ昔の中国の禅なんかだと、すぐに殴られたりしますwwww
臨済が『一無位の真人、汝の面目より出入りす』と言ったのを聞いた人が、臨済の弟子に「なぜ、一無位ではなく、無無位と言わないのか」的なことを言ったら「お前の体で確かめよ」と湖に投げ入れて殺されそうになっています、爆笑
このように命の問題ですので、命が、どう解決したのか。
直ぐにわかります。
僕なんかは、ビビりまくっているので、自称覚りの見本みたいなものですねwwww
さて読書を終えると、千鶴さんとお買い物。
悠聖は風邪ひいているのでお留守番。
スーパーサンシとトンカチ、ゲオという本屋兼ゲーム屋さんへ。
食材と日用品買って、ゲーム見ていて、帰りに本も見た。
なんと興味深い記事のタイトルがボーンと僕の目の前に!!!!
『古代エジプト』という文字が出てきたのだ。
日経サイエンスという雑誌が特集しているようで、どうしても読みたいので「古代エジプトやでー、やばいやばい」と千鶴さんにアピール。
1440円もしたけど、ごり押しで買ってもらいました。
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で、家へ帰ってきたら、妹たちが遊びに来ていたので、会話してから、悠聖のご飯。
あの野郎、全然、食べやがらないwww
もうあきらめて、途中で、僕が食べてしまった。
ほんで、また母親の家へ来て、ガヤガヤ喋っている中でブログの更新をしていたのでした。
なんかケーキあるので食べてきます。
妹と母親が作ったようだ。
うまそー!
ほいでは皆様、もはや夜ですが、どうか体の緊張を解いて、心安らかに、お休みください。
バイバイ。