393『自然と人間の歴史・世界篇』ファシズム(イタリア、1926~1945)
1926年1月の「「法に代わる命令」に関する法」の第3条で、政府は、非常時や緊急事でなくても、かかる命令を発布できると記す。
同年4月、労働関係調整法が制定される。それには、一経済部門につき、一つの労働組合だけが認可され、労働組合の二役についても政府により認可が下される。公認組合の賃率協約は、同経済部門のすべての労働者に適用される。軍隊、郵政電信電話、国鉄そして教員は労働組合を結成できないし、ストライキやロックアウトといった資本側にダメージを与える行為は禁止される。
そして迎えた同年11月、イタリア・ファシスト党以外の政党の解散が命じられる。
さらに1927年4月には、ファシズム大評議会において全30条の労働憲章が採択される。その第9条には、「国家は個人の創意が欠けまたは不充分なとき、または国家の政治的利益がおびやかされるときにのみ、経済的生産に介入する」と記される。
1928年12月、ファシズム協議会は国家の最高機関となる。国会は、1929年3月選挙以降、全員ファシスト党議員によりなる翼賛議会になるも、それも1939年には廃止されてしまう。こうなると、議会というものはイタリア国からなくなったといっても過言ではなくなった。まさに、ファイストたちのやりたい放題となった訳だ。
そして迎えた1934年12月には、イタリア領ソマリアランドとの境界付近で紛争が起こる。ムッソリーニはこれを口実にアフリカ進出を企てる。その手始めとして、1935年10月、エチオピア(アビシニア)王国に軍事侵攻する。イタリアのファシストの軍隊は高地を突き進み、翌年5月には同国の併合を宣言する。エチオピア王国は、これに先立つ1935年1月、自国が今にも侵略されようとしていることに対して、国際連盟になんとかしてほしいと提訴を行っていた。
これに応えるべく、国際連盟は10月のイタリア軍侵攻後直ちにイタリアを侵略国として認定する。連盟規約第16条を初めて適用することで、経済制裁に踏み切る。
とはいえ、この制裁対象には、石油などの重要物資は含まれなかった。フランスイギリスは、連盟非加盟国にはこの措置が適用されない、したがってアメリカなどからは輸入できることをいい、禁輸は無意味であると主張する。また、この二国は国際連盟の枠外で和平案を立案するという体たらくであった。
(続く)
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395『自然と人間の歴史・世界篇』ファシズムとは何か
まずは、独裁とは何なのだろうかの定義を試みよう。階級制が出現してからの、これまでの人間社会の歴史を顧み、共通項を紐解いてみると、その端的な姿が浮かび上がってくる。それは、ある特定の個人、ある類型のグループ(集団には大きいものから特大のものまであろう)なりが、他のそれらを政治的・経済的に支配することをいう。
次に検討したいのは「ファシズム」であって、こちらは独裁政治の一形態として歴史上に現れた。それは、端的にいうと、議会制民主主義をかなぐり捨てたものであり、ブルジョア(資本家)が独裁的に振る舞うことを可能にするものをいう。
その事例としては、第二次世界大戦を引き起こしたドイツ、イタリアそして日本において、支配的な政治形態であった。この時代をたくましく生き抜いた一人のブルガリア人の与えたファシズムを、こう紹介している。
「権力をにぎったファシズムは、金融資本のもっとも反動的な、もっとも排外主義的な、また、もっとも帝国主義的な要素の公然として暴力的独裁である。(中略)ファシズムは階級を超越した権力でもなければ、金融資本にたいする小ブルジョアジーもしくはルンペンプロレタリアートの権力でもない。ファシズムは金融資本そのものの権力である。(中略)
ファシズムの真の性格は、とくに強調されなければならない。なぜならば、ファシズムは多くの国々で、社会的デマゴギーにかれて、教皇によってそのコースからはじきだされた小ブルジョアジーの大衆や、プロレタリアートのうちのもっともおくれた層の一定部分をさえ引きつけることに成功したからである。
これらの人々は、ファシズムの真の階級的性格とその真の性質を理解したなら、けっしてファシズムを支持しなかっただろう。」(ディミトロフ「反ファシズム統一戦線」<原題「ファシズムの攻勢とコミンテルンの任務」>勝部元訳、国民文庫)
(続く)
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320『自然と人間の歴史・世界篇』共産主義社会とは何か
「共産主義」の堅固な意味での初めての提唱者は、カール・マルクスであって、彼は19世紀に生きた人物だ。そのマルクスが社会主義の高度な段階としての共産主義社会について述べているのは、数か所に限られよう。その中から、幾つか紹介することにしよう。まずは、労働者の政党の綱領文書について、こう語っている。
「共産主義社会のもっと高度な段階において、すなわち、ひとりひとりが分業のもとに奴隷のごとく組み込まれることがなくなり、したがって精神労働と肉体労働の対立もまた消失したのちに、また、労働がたんに生活のための手段であるだけでなくそれ自体の生命欲求となったのちに、さらにはひとりひとりの全面的な発展とともに彼らの生産力もまた成長を遂げ、協同組合の持つ富のすべての泉から水が満々と溢れるようになったのちにーそのときはじめて、ブルジョワ的な権利の狭隘な地平が看完全に踏み越えられ、社会はその旗にこう記すことができるだろう。各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて!」(「ドイツ労働者党綱領評注」:カール・マルクス著、辰巳伸知ほか訳「マルクス・コレクションⅥ、フランスの内乱/ゴータ綱領批判/時局論(上)」、1993)
二つ目の文章を初回すると、彼の主著「資本論」には、こうある。
「自由の国は、実際、窮迫と外的合目的性とによって規定された労働が、なくなるところで初めて始まる。したがって、それは、事柄の性質上、本来の物質的生産の領域の彼方にある。
未開人が、彼の欲望を充たすために、彼の生活を維持し、また再生産するために、自然と闘わねばならないように、文明人もそうせねばならず、しかも、いかなる社会形態においても、可能ないかなる生産様式のもとにおいても、そうせねばならない。
文明人が発展するほど、この自然的必然性の国は拡大される。諸欲望が拡大されるからである。しかし同時に、諸欲望を充たす生産諸力も拡大される。この領域における自由は、ただ次のことにのみ存しうる。
すなわち、社会化された人間、結合された生産者が、この自然との彼らの物質代謝によって盲目的な力によるように支配されるのをやめて、これを合理的に規制し、彼らの共同の統制のもとに置くこと、これを、最小の力支出をもって、また彼らの人間性にもっともふさわしく、もっとも適当な諸条件のもとに、行うこと、これである。
しかし、これは依然としてなお必然性の国である。この国の彼方に、自己目的として行為しうる人間の力の発展が、真の自由の国が、といっても必然性の国をその基礎として、そのうえにのみ開花しうる自由の国が、始まる。労働日の短縮は根本条件である。」(カール・マルクス著、向坂逸郎訳「資本論」第三巻、岩波文庫、1967)
(続く)
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