540『自然と人間の歴史・日本篇』日朝平壌宣言(2002)
2002年に交わされた、いわゆる日朝平壌宣言には、こうある。
「日本国首相小泉純一郎と金正日朝鮮民主主義人民共和国国防委員長は、2002年9月17日、平壌で出会い会談を行った。
両首脳は、日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、実りある政治、経済、文化的関係を樹立することが、双方の基本利益に合致するとともに、地域の平和と安定に大きく寄与するものとなるとの共通の認識を確認した。
1.双方は、この宣言に示された精神及び基本原則に従い、国交正常化を早期に実現させるため、あらゆる努力を傾注することとし、そのために2002年10月中に日朝国交正常化交渉を再開することとした。
双方は、相互の信頼関係に基づき、国交正常化の実現に至る過程においても、日朝間に存在する諸問題に誠意をもって取り組む強い決意を表明した。
2.日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した。
双方は、日本側が朝鮮民主主義人民共和国側に対して、国交正常化の後、双方が適切と考える期間にわたり、無償資金協力、低金利の長期借款供与及び国際機関を通じた人道主義的支援等の経済協力を実施し、また、民間経済活動を支援する見地から国際協力銀行等による融資、信用供与等が実施されることが、この宣言の精神に合致するとの基本認識の下、国交正常化交渉において、経済協力の具体的な規模と内容を誠実に協議することとした。(以下省略)
かつて日本がサンフランシスコ平和条約(いわゆる「片面講和」)で韓国と交わした戦後処理ついて、当時の北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)側は、これを痛烈に批判する。
「朝鮮人民は、日本帝国主義者が朝鮮人民にあたえたすべての人的、物的被害にたいして賠償を要求すべき当然の権利をもっており、日本政府にはこれを履行すべき法的義務がある。
したがって、「対日請求権の解決および経済協力の協定」を通じて、日本当局と朴正煕一味間にやりとりするのは私的な金銭の取引きにすぎず、決して賠償金の支払いではない。朝鮮民主主義人民共和国政府は、対日賠償請求権を保有するということを日本政府に重ねて警告する。」(「「韓日条約」と諸「協定」は無効であるー朝鮮民主主義人民共和国政府の声明」(1965年6月23日付け)
以来、「東西の冷戦構造」の影響もあったりで、両国の間の国交は開かれないままに、いたずらに時が過ぎていった。
そんな両国が、21世紀に入ってのこの時、はからずも顔を合わせることになった。そして確認されたのが、これにある「日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、実りある政治、経済、文化的関係を樹立することが、双方の基本利益に合致するとともに、地域の平和と安定に大きく寄与するものとなるとの共通の認識」なのである。
(続く)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
541『自然と人間の歴史・日本篇』日本から北朝鮮への拉致問題(~2014)
さて、第二次世界大戦後の日本に関係した拉致としては、日本人に対し北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が国家絡みで行ったかどうかの問題が、明らかとなっている。これは、日本人側が被害を訴えてのことで、同国の金正日・前国防委員長・前朝鮮労働等総書記が生前にこれを認めたのが、2002年の日朝首脳会談、日本側の小泉純一郎内閣総理大臣(当時)の時であった。かれは、北朝鮮の一部の特殊機関の者たちが、勝手に「現地請負業者」と共謀して、日本人を拉致したもので、国家ぐるみでないとし、口頭で謝罪した。2004年までには、拉致被害者のうち数名や、拉致被害者の夫や、子供数名が日本への帰国を果たした。この問題については、その後膠着状態になり、いまだに全面解決の目処は立っていない。
日本にとっては引き続き、国家主権が侵害された、揺るがせにできない事件となっている。
ちなみに、「拉致問題再調査」に関する双方の合意文書の前文は、こうなっている、2014年5月19日付け各紙に掲載された。
(まずは、日本側文書)
「双方は、日朝平壌宣言にのっとって、不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、国交正常化を実現するために、真摯(しんし)に協議を行った。
日本側は、北朝鮮側に対し、昭和20年前後に北朝鮮域内で死亡した日本人の遺骨および墓地、残留日本人、いわゆる日本人配偶者、拉致被害者および行方不明者を含む全ての日本人に関する調査を要請した。
北朝鮮側は、過去北朝鮮側が拉致問題に関して傾けてきた努力を日本側が認めたことを評価し、従来の立場はあるものの、全ての日本人に関する調査を包括的かつ全面的に実施し、最終的に、日本人に関する全ての問題を解決する意思を表明した。
日本側は、これに応じ、最終的に、現在日本が独自に取っている北朝鮮に対する措置(国連安全保障理事会決議に関連して取っている措置は含まれない)を解除する意思を表明した。
双方が取る行動措置は次の通りである。双方は、速やかに、以下のうち具体的な措置を実行に移すこととし、そのために緊密に協議していくこととなった。
第1に、北朝鮮側とともに、日朝平壌宣言にのっとって、不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、国交正常化を実現する意思をあらためて明らかにし、日朝間の信頼を醸成し関係改善を目指すため、誠実に臨むこととした。
第2に、北朝鮮側が包括的調査のために特別調査委員会を立ち上げ、調査を開始する時点で、人的往来の規制措置、送金報告および携帯輸出届け出の金額に関して北朝鮮に対して講じている特別な規制措置、および人道目的の北朝鮮籍の船舶の日本への入港禁止措置を解除することとした。
第3に、日本人の遺骨問題については、北朝鮮側が遺族の墓参の実現に協力してきたことを高く評価し、北朝鮮内に残置されている日本人の遺骨および墓地の処理、また墓参について、北朝鮮側と引き続き協議し、必要な措置を講じることとした。
第4に、北朝鮮側が提起した過去の行方不明者の問題について、引き続き調査を実施し、北朝鮮側と協議しながら、適切な措置を取ることとした。
第5に、在日朝鮮人の地位に関する問題については、日朝平壌宣言にのっとって、誠実に協議することとした。
第6に、包括的かつ全面的な調査の過程において提起される問題を確認するため、北朝鮮側の提起に対して、日本側関係者との面談や関連資料の共有などについて、適切な措置を取ることとした。
第7に、人道的見地から、適切な時期に、北朝鮮に対する人道支援を実施することを検討することとした。
(次に、北朝鮮側文書)
第1に、昭和20年前後に北朝鮮域内で死亡した日本人の遺骨および墓地、残留日本人、いわゆる日本人配偶者、拉致被害者および行方不明者を含む全ての日本人に関する調査を包括的かつ全面的に実施することとした。
第2に、調査は一部の調査のみを優先するのではなく、全ての分野について、同時並行的に行うこととした。
第3に、全ての対象に対する調査を具体的かつ真摯に進めるために、特別の権限(全ての機関を対象とした調査を行うことのできる権限)が付与された特別調査委員会を立ち上げることとした。
第4に、日本人の遺骨および墓地、残留日本人ならびにいわゆる調査の状況を日本側に随時通報し、その過程で発見された遺骨の処理と生存者の帰国を含む去就の問題について日本側と適切に協議することとした。
第5に、拉致問題については、拉致被害者および行方不明者に対する調査の状況を日本側に随時通報し、調査の過程において日本人の生存者が発見される場合には、その状況を日本側に伝え、帰国させる方向で去就の問題に関して協議し、必要な措置を講じることとした。
第6に、調査の進捗に合わせ、日本側の提起に対し、それを確認できるよう、日本側関係者による北朝鮮滞在、関係者との面談、関係場所の訪問を実現させ、関連資料を日本側と共有し、適切な措置を取ることとした。
第7に、調査は迅速に進め、その他、調査過程で提起される問題はさまざまな形式と方法によって引き続き協議し、適切な措置を講じることとした。
(続く)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
539『自然と人間の歴史・日本篇』日本への強制連行への判決(~2014)
国際間で、強制連行とか、拉致が実際にどのように行われたのかを吟味するのは、誠に難しい。戦後70年を経て事実を特定するのが容易でないし、双方の国民感情が昂じて先走りする傾向があるからだ。この際に重要になるのは、事実の掘り起こしに当たっては、中立・公平・公正の姿勢を堅持することではなかろうか。とりわけ、偏狭な民族主義に凝り固まっては、双方ともに、見えるものも見えなくなってしまうと考えられる。ともあれ、この種の問題は、次の世代へと先延ばしにしていくようでは、真の解決はおぼつかない。できるかぎりの人事を尽くした上で、あとは歴史の審判に委ねてほしいものだ。
顧みれば、先の大戦までの間、日本は強制連行(犯罪の嫌疑がかかっての狭義の「連行」とは異なるので、むしろ「拉致」とするべきか)した中国人や朝鮮人を企業で働かせていた。これを「強制労働」と呼ぶ。日本における外国人労働者の強制連行の始まりは、1938年(昭和13年)4月に公布された国家総動員法にもとづいていた。翌年7月には、国民徴用令が施行された。これらにより、民需産業の労働者が軍需産業に強制徴用が合法化される。それは中国人や朝鮮人などにも適用されていく。中国や朝鮮で暮らしている同国の民間人を拉致を含めて強制連行が実施されていった。
戦後この不当な扱いを強いられた人々からの訴えが、相次いで法廷に出される。21世紀に入ってからの2007年4月、最高裁が広島県の西松建設による強制連行に係る訴訟で、中国人元労働者らの請求に対する初めての判決をくだした。原告の訴えの向きは、1944年ごろに日本に連行され、同県加計町(現在の安芸太田町)の安野発電所を建設するため、1日12時間以上、導水トンネル工事などに従事させられた。そこで、中国人の元労働者ら5人が会社を相手に約 2700万円の損害賠償を求めたもの。この強制連行をめぐる訴訟が最高裁で実質審理され、判決が出るのは初めてのことであった。
そして迎えた判決の日、最高裁第二小法廷(中川了滋裁判長)は、訴訟の上告審判決を次のように述べ、棄却した。それによると、「71年の日中共同声明は個人の損害賠償等の請求権を含め、戦争の遂行中に生じたすべての請求権を放棄する旨を定めたものと解され、裁判上請求する権能を 失った」とある。この土台には、戦後補償問題は日中共同声明によって決着済みであるとの認識がある。したがって、個人が裁判で賠償を求める権利は認めない。ただし、「被害者らの被った精神的、肉体的苦痛が極めて大きく、西松建設が強制労働に従事させて利益を受けていることにかんがみ、同社ら 関係者が救済に向けた努力をすることが期待される」との見解を付した。
この判決に関する新聞報道によると、中国は、日本政府に注文をつけた。外交部の劉建超報道官は記者会見で、「労働者の強制連行は日本軍国主義が第二次世界大戦中に侵した重大な犯罪行為であり、日本政府は、誠実な態度でしかるべき責任を担い強制連行問題に真剣に対処し、これを適切に処理すべきだ」と述べた。また「『中日共同声明』は中日両国政府が調印した厳粛な政治文書であり、戦後の中日関係の回復と発展の政治的基盤をなしていることから、いかなる一方もこの文書の重要な原則と事項に対し、司法的解釈を含む一方的な解釈を加えるべきでない。中国側は原則に基づき関連問題を処理するよう日本側に要求する」というもの。
外務省の資料などによると、強制連行の中国人被害者は約4万人とされ、日本企業20~35社が関与したとされる(両方の数には、諸説あり。日本の各紙、例えば2016年6月2日付け)。これと同様の被害に遭った人々からの訴えの経緯の一端をもう少し拾うと、次のものがある。2009年10月、広島県安野水力発電所工事で強制労働させられた中国人被害者と、西松建設との間で和解成立となる。2010年4月、新潟県の信濃川でのダム工事で強制労働させられた中国人被害者(360人が対象。)と、西松建設との間で和解が成立する。2004年9月、工事で強制労働させられた中国人被害者(183人が対象)と、西松建設との間で和解に漕ぎ着ける。京都府加悦(かや)町のニッケル鉱山での労働で強制労働させられた中国人被害者(裁判の原告6人が対象。)との間で日本冶金工業との間で和解が成る(朝日新聞2016年6月2日付けなどから)。
このほか、2014年末までに、先に中国で訴訟を起こされていた三菱マテリアル(旧三菱鉱業)が、飯塚鉱業所(静岡県)などで働かされていた和解対象者3765人に1人当たり10万元(約170万円)を支払うとの和解案を提示して、交渉を進めていた。裁判の長期化による中国市場でのイメージへの影響を避けたい、との思いが背景にあったことは、疑いあるまい。そのことで、2016年6月、基本的な受け入れ姿勢になっていた1団体を除く5団体との間で、過去最大規模の和解枠組みで合意に漕ぎ着けた。
この和解に当たって同社は、「『中国人労働者の皆様の人権が侵害された歴史的事実を率直かつ誠実に認め、痛切なる反省の意を表する』」(朝日新聞2016年6月2日付けなどから)との謝罪を公にした。求められるのは、心の底からの根本的な和解であり、同社のこの判断はそのことをわきまえたものといえよう。とはいうものの、和解を受け入れたグループは3つで、残る1グループは、「和解協定には誠意がない」として法廷闘争を続けるとの声明を発表している。同社は「和解に応じるよう、働きかけていく」としているが、同社にとって最終決着までにはまだ一定の時間がかかる見通しだ。
とはいえ、一方で中国においては、このような強制連行訴訟がこの先も続く見通し。当地の原告弁護団の中には、日本企業との和解枠組みを拒否して訴訟を続ける被害者団体もあるとのことで、日本側の対応が引き続き注視されているところだ。
強制連行された元労働者からの訴えについては、韓国にも同様の未解決の問題がある。例えば、三菱重工業に対し、韓国人の元徴用工の男性5人や元女子勤労挺身(ていしん)隊員4人と遺族1人らから戦時中に強制的に労働されられたとして、損害賠償を請求されている。このうち女子挺身隊員らに関しては、2015年6月、韓国の高裁で1人当たり1億~1億2千万ウォン(当時の円建てで約900万~1100万円)の支払いを命じる判決が出たと、伝わる。また徴用工らからの訴訟については、この時点で最高裁に相当する大法院に上告し審理中とのことである。同社は、1965年の日韓請求権協定によって賠償が放棄されているとし、2016年6月時点ではなお、この問題も解決済みという立場を取っているようだ。
とはいえ、韓国の最高裁は、2012年に自国の訴訟で請求権を広く認める判決を下しているので、今後も韓国国民による当該日本企業を相手どっての訴訟は、この先もしばらく止むことはないだろうに。
(続く)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆