493『自然と人間の歴史・世界篇』ジブチ
ジブチ共和国(1977年6月27日に独立、旧宗主国はフランス)は、アラビア半島とアフリカ大陸に囲まれた紅海の出口に位置する。要衝の地だといえる。そうなのだ、ジブチは「アフリカの角(つの)」の部分にある。地理的領域だが、北をエリトリア、西と南をエチオピア、東をソマリアと国境を接する。2017年時点の人口は、約90万人を数える。
そこで、このあたりの近代に入ってからの歩みを訪ねよう。1862年3月、仏、ジブチ市北方のオボック地方をアファル族より譲り受ける。1885年、仏、イッサ族よりジブチ市近辺を譲り受ける。
1896年5月、フランス政府は、フランス領ソマリランド(首都ジブチ)に名誉総督を派遣する。フランスは、スエズ運河の建設が開始されると、植民地獲得にさらに積極的になる。タジュラ、ゴバットのスルタン(イスラム教における導引役を兼ねる)と契約を結ぶ。この関係において、オポック港および、ラス・アリからラス・ドウメイラまでの海岸地帯を譲り受ける。
1946年、フランスの海外領土となる。1967年3月、フランス領アファール・イッサと改名する。そして迎えた1977年6月、フランスより独立し、グーレド大統領が就任する。この国の住民の多くは、ソマリ系のイッサ族とクシ系のアファル族だが、独立までの経緯でいうと、大同団結というにはほど遠かったのではないか。一説には、エチオピア・ソマリア国境紛争の影響もあったという。
1991年11月、この部族間の対立関係を背景に、政府軍と反政府軍との武力衝突により内戦が勃発する。1992年9月、国民投票で新憲法が採択される。1994年12月、政府と反政府軍との間で和平合意に署名する。1996年3月、FRUDが政党として正式に公認される。
1999年4月、大統領選挙でゲレが大統領に選出される。2000年2月、政府とFRUDとの間で和平枠組み合意に署名する。2001年5月、政府とFRUDの間で最終和平案を合意する。2003年1月、総選挙で与党連合が国会の全65議席を獲得する。 2005年4月、大統領選挙でゲレ大統領が再選される。2010年4月には、憲法改正が行われる。大統領任期の短縮を6年から5年に短縮することや、再選回数制限の撤廃などがある。この改革については、国情の安定化が働いたのではないか。
2011年4月、大統領選挙でゲレ大統領が3選される。2012年2月、国民議会選挙が実施される。2016年4月、大統領選挙でゲレ大統領が4選される。
この国が21世紀に入って注目を集めているものに、列国の軍事・安全保障の面で戦略的要衝としての存在がある。今やここには、アメリカ、フランス、中国をはじめ、各国がここを舞台に作戦・行動を構える。驚くのは、平和憲法で少なくとも海外へ出掛けての軍事活動を禁じられている筈の日本までもが、インド洋につながるアデン湾で「海賊対処活動」を行う自衛隊を展開中だ。いまや、「自衛」というのは、世界のどこにも出掛けていることになっているらしい。
そんな中でも、「台風の目」ともいうべき圧感の展開を見せているのが、2017年7月にこの地に一大軍事拠点を築いた中国であろう。ジプチ政府がこれを受け入れたのは、賃貸料を始とする関連収入もさることながら、中国の「一帯一路」に標榜されるような世界戦略への理解もあってのことではないだろうか。
(続く)
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