124『自然と人間の歴史・日本篇』割符(13~16世紀)
ここに割符(わりふ)というのは、13世紀か16世紀前半にかけて、時代区分でいうならば室町・戦国時代にかけての中世において、遠隔地へ送金するために組んだ、今日でいうところの為替手形の一種だといえよう。当時の荘園制を金融・財政面で支えたということでの役割は小さくない、と見られている。
まずは、割符発行の仕組みだが、 木片などの中央に証拠となる文字を記し、それに証印を押して、二つに割ったもの。当事者どうしが別々に所有し、後日その二つを合わせて証拠としたことから、「符契」「符節」などとも称される。
主な使われ方とは、地方の荘園・公領からの年貢銭の輸送に代わる方法として、また訴訟費・旅費を送る際にも用いられた。
室町時代になると、遠隔地取引に従事する商人たちの商取引にも使用された。京都・堺・坂本などに割符を扱う専業商人が現れる。
たとえば備中の新見荘では、「紙片の割符」は京上夫が京進し、年貢銭で購入された特産品である「上り荷」は割符屋が運漕していた。
北陸などの中間地域に属する荘園も、新見荘の割符のしくみとほぼ同様であった、という研究もあるところ(たとえば、、辰田芳雄「室町・戦国荘園制を支えた割符」)。
その歴史的評価の際には、後の為替・両替制度の基礎固めとしての意義を持つのではないだろうか。
(続く)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ここに割符(わりふ)というのは、13世紀か16世紀前半にかけて、時代区分でいうならば室町・戦国時代にかけての中世において、遠隔地へ送金するために組んだ、今日でいうところの為替手形の一種だといえよう。当時の荘園制を金融・財政面で支えたということでの役割は小さくない、と見られている。
まずは、割符発行の仕組みだが、 木片などの中央に証拠となる文字を記し、それに証印を押して、二つに割ったもの。当事者どうしが別々に所有し、後日その二つを合わせて証拠としたことから、「符契」「符節」などとも称される。
主な使われ方とは、地方の荘園・公領からの年貢銭の輸送に代わる方法として、また訴訟費・旅費を送る際にも用いられた。
室町時代になると、遠隔地取引に従事する商人たちの商取引にも使用された。京都・堺・坂本などに割符を扱う専業商人が現れる。
たとえば備中の新見荘では、「紙片の割符」は京上夫が京進し、年貢銭で購入された特産品である「上り荷」は割符屋が運漕していた。
北陸などの中間地域に属する荘園も、新見荘の割符のしくみとほぼ同様であった、という研究もあるところ(たとえば、、辰田芳雄「室町・戦国荘園制を支えた割符」)。
その歴史的評価の際には、後の為替・両替制度の基礎固めとしての意義を持つのではないだろうか。
(続く)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆