222の3『自然と人間の歴史・世界篇』微分、積分の発見(ニュートンとライプニッツ)
ニュートン(1642~1727)とライプニッツ(1646~1716)は、微分、積分をほぼ同時期に発見したことで広く知られる。
ニュートンは、イギリスの王立学会員にして、物理学者でありながら、行政にも携わる。もう一方のライプニッツは、ドイツの哲学者、数学者、物理学者であって、多才なことで知られる。
ちなみに、現在使われている微分・積分(びぶんせきぶん)の記号(微分のd、積分の∫(「インテグラル」と呼ぶ))はライプニッツのものである。
ライプニッツは、どちらが先かで争った同じ天才ニュートンが、力学的な見地から必要迫られ微分と積分を考案したのに対し、幾何学的興味から微分積分法を開発したといわれている。
そこで、微分のあらましから紹介しよう。一般的に、ある関数 f(x) に対して、以下の式で表される導関数 f′(x)[呼び名は「エフダッシュエックス」]を求めることを、「関数 f(x)を微分する」という。
その原理としては、いまf(x)という関数があって、それに従うことでの点xとそれからhだけ正方向へ移動した(x+h)との間につき、hをゼロに近づけていくと、次のようになるという。
f′(x)=limh→0[f(x+h)−f(x)]/h
こうなることを理解するには、図形としてみるのが便利だろう。そこでは、x が a から b まで変化するときの関数 y = f(x) の平均変化率は、2点A( a,f(a) ),B( b,f(b)) を通る直線の傾き を表す、としている。
この平均変化率において,b を限りなく a に近づけた値を「微分係数」と名付ける。
これまた図形でいうと、2点A( a,f(a)),B(b,f(b)) を通る直線は、点Bを点Aに限りなく近づけてみよう。その時、点A( a,f(a)) における接線に近づく。
すると、かかる値としての微分係数は、関数 y = f(x) のグラフ上の点A( a,f(a)) における接線の傾きを表している。
ここで、かかる「b を限りなくaに近づける」とは,「b-a=h とおくと、h→0 」であるから、微分係数を表す式としては、前述の
f′(x)=limh→0[f(x+h)−f(x)]/hとなっていることが、おわかりいただけるだろう。
同じく、前述の微分の定義式でいうと、この式の分母はx の微小変化量、分子は y の微小変化量を表している。hを0に近づけていくと、この微小変化量がどんどん小さくなっていく。
x の微小変化量と y の微小変化量が限りなく小さくなった時、x の微小変化量をhではなくdx、 y の微小変化量を f(x+h)−f(x) ではなく dy と書き表すことにする。d は「極めて微小な差」を意味している。すると、かかる微分の定義式は、
a=dy/dx
と表せる。ライプニッツ記法と併せると、
f′(x)=dy/dx
となる。この dy/dx という表し方をラグランジュ記法という。
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一方、積分については、微分の前に発見されていて、その訳としては、一説には、長さ・面積・時間といった古代から使われている外延量が歴史上先であり、温度とか速度といった内包量は複雑なため、微分はその後になったのではないかと考えられている。
「それについておもしろい話がある。ライプニッツは、はじめ、
∫f(x)
記号を使っていた。それは積分をたんなる和と考えていたことを意味する。
しかし、あとで考えなおして、dxを加えて、今日のような
∫f(x)dx
という記号にきりかえた。それは、彼が、積を、和ではなく、内積(ないせき)の極限だと考えるようになったことを意味している。つまり、内積は積分の原型なのである。」(「遠山啓著作集」の「5量とはなにか」太郎次郎社、1978)
このようにして「内積」の極限を考えての積分は、例えば「区分求積法」といって、「与えられた図形の面積や体積を、微小な基本的な図形の面積や体積の和の極限値として求める」(道脇義正・他著「工科のための微積分入門」東京図書、
1978)のに用いられる。
(続く)
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