269の9『自然と人間の歴史・世界篇』ゴールドラッシュ(アメリカ、19世紀)
ゴールドラッシュというのは、1848年1月、現在のサクラメント市に近い、アメリカン川支流での出来事に発した模様だ。大工のジェームズ・マーシャルが、砂金を発見した。彼が、ヨハン・A・サッター所有の製材所を建設中のことだったというのだが、そのニュースはまたたく間に全米各地に広まっていく。
参考までに、本人の手記においては、こんな発見話を記している。
「(前略)水路のすそに近いあたりまで行ったところで、水面下6インチばかりの岩の上に、金を見つけた。そのとき私は一人だった。一かけらか二かけら拾い上げて注意して調べてみた。鉱物について一応の知識はあったのだが、このように見えるものとしては二種類くらいしか思い浮かばなかった。
ゴールドラッシュというのは、1848年1月、現在のサクラメント市に近い、アメリカン川支流での出来事に発した模様だ。大工のジェームズ・マーシャルが、砂金を発見した。彼が、ヨハン・A・サッター所有の製材所を建設中のことだったというのだが、そのニュースはまたたく間に全米各地に広まっていく。
参考までに、本人の手記においては、こんな発見話を記している。
「(前略)水路のすそに近いあたりまで行ったところで、水面下6インチばかりの岩の上に、金を見つけた。そのとき私は一人だった。一かけらか二かけら拾い上げて注意して調べてみた。鉱物について一応の知識はあったのだが、このように見えるものとしては二種類くらいしか思い浮かばなかった。
すなわち、キラキラ輝いてもろい硫化鉄か、輝いているが柔軟性のある金かである。そこで二個の石を使ってためしに打って、みたところ、形は変わるが壊れないことがわかった。」(大下尚一・有賀貞・志邨晃佑(しむらこうすけ)・平野孝編著「史料が語るアメリカーメイフラワーから包括通商法、1584~1988」有斐閣、1989」)
そうなると、多くの人々がこの地を含むカリフォルニアにやって来る、一躍千金を夢見る人々で、2万人にも満たなかったこの地の人口は、1849年末には約10万人に達する。このうち約5万人かシェラ・ネハダ山脈のマザーロード地方を中心とする地域にテントや掘建て小屋を建て、採金作業に従事した。
そうなると、多くの人々がこの地を含むカリフォルニアにやって来る、一躍千金を夢見る人々で、2万人にも満たなかったこの地の人口は、1849年末には約10万人に達する。このうち約5万人かシェラ・ネハダ山脈のマザーロード地方を中心とする地域にテントや掘建て小屋を建て、採金作業に従事した。
「はからずも」というか、これより後の「1873年金鉱への道、モンタナ」という舞台設定にて、ハリウッドで撮影されたアメリカ西部劇の中でも、例えば「縛り首の木」では、彼らを支援したり、必要品の提供から酒や博打、公証人、宿泊に至るまで様々な職業人が集まることで砦・町を形成していたという。
主人公の男性は、そこで医者をしながら、山あい、渓谷の採掘の作業場に往診もするという設定であって、それなりの時代考証もなされていたのではないだろうか。
それはさておき、なにしろ一大ブームであったのは色々な語り草からも広く知れており、アメリカはオレゴンに続いて太平洋岸に新しいフロンティアをもつことになったのだと。
それからは、このような採掘熱が、ネバダ、コロラド、ワシントン、アイダホ、モンタナ、ダコタなどの西部各地に広まっていく。これは、見方によっては、「西から東へとフロンティアを推進する形をとり、鉄道の発達を促すとともに荒野を新しい準州、州へと成長させた」(渡辺真治「ゴールドラッシュ」、斎藤眞、他の監修「アメリカを知る事典」平凡社、1986に所収から引用)とも評される。
のみならず、この動きは、さらにはカナダを経てアラスカにも広まっていったようで、こうある。
「他方、アラスカでは、1880年代に金が発見され、19世紀末から20世紀初めにかけてノーム、フェアバンクスを中心にゴールドラッシュが起こり、アラスカ発展の基礎となったが、カナダとの境界を定めた1903年の条約締結も金鉱地帯の所有をめぐる対立の結果といえる。」(同)
(続く)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆