いまさらと言われりゃあ、すんませんというしかない。でも、3周遅れのトップランナー、
石めのピンボケぶりをお笑いくださりながら以下の雑文をお読みください。
中島みゆきという人は歌手というよりも詩人である。今最も気になる歌をつくれる詩人。
古いことを言っているなあ、承知の上である。それに10年やそこいらでそんなに世界が変わるものかい?「地上の星」という歌を知った。この歌を聴いて、はらはらと涙を流した人がいる。うれし恥ずかしこのぼくである。
いい作品との出会いは、何十年遅れても同時代に生きる喜びである。
今のような貧乏に陥る前、ぼくもいっちょまえにマンションに住んでいた。100平方メートルに少し欠けた部屋だったが、サンルームという小部屋にパソコンを置いて、20畳くらいの居間には5,6人は座れる青い革製の大きいソファがあって、音楽大好き人間の夢としてJBLのスピーカーと100ワットだったかなあ、某社の黒いアンプやら何やらをどっしりと置いた部屋で、夜など1日の終わりをその日の気分次第で藤圭子やらアン・バートンを聴いていた。マイルスもコルトレーンも聴いたが頻度で言えばアン・バートンが一番か。DATが出て間もない頃で、CDを主として、時々DATで、またレコードで好きな音楽を楽しんでいた。
そのころテレビの番組のテーマ曲で、中島みゆきの歌を知った。あの頃から詞の内容が気になっていたが、ただそれだけであった。NHK「プロジェクトX-挑戦者たちー」あれから10余年。
一転貧乏のどん底におちて、住居もただ雨漏りがしないという廃屋のような家に住み、偶然
YouTube で「地上の星」を聴いた。「ヘッドライト・テールライト」を聴いた。胸を直撃した。泣けた。正直に告白すれば、こんな歌聞いたことがない、と思った。
無名のものの反撃が始まった。といっても12年まえの音楽に今更驚いているマヌケである。
にっぽんの元気はこの10数年でどうなったか、ぼろくそにわるくなった。ぼくのことで言えばそうなる。あり得ない、想定外の貧乏。中間層の天井がスポンと抜けた、そしてみんな貧乏になった?
日本をトコトン壊したつもりの人びとよ。中流大国の日本の豊かさを支えていたのは、中間層なのだよ、多くの人は郵貯に数百万は貯金を持ち、保険も入っていて、仕事はもちろん非正規雇用なんかではなくって、終身雇用では苦しいけれども経営者も踏ん張っていた頃の日本。その元気を支えていたのは、企業の無名の戦士ではなかったか。大企業から中小企業までの技術。努力すれば何とかみな食えた時代。
無名の作家、無名の芸術家、無名の音楽家も、何とか良い作品をつくれば食えた夢の様な時代に生きた。
中間層の厚い国、日本。それがどうですか。超格差社会になり代わってしまって、天文学的な利益を手にした企業経営者は資産を海外に移し、うまく立ち回れば諸税をあまり納めなくってすんでいるのかな。勝ち組だってそれじゃあ、しあわせだといえるのかい?軽蔑されるのがおちなのでは、つい負け組のぼくなんか心配してしまう。
無名でも、優れた大企業、中小企業の技術で持っているとも言われる日本経済に突然グローバリズムの嵐がやってきて、日本の豊かさも、みんなどこかへ押しやられてしまったのでは?そんな時代の始まりにこの歌があった。
無名のものの踏ん張りで、また中間層の豊かな日本を創ろうよ、その時の歌が、この歌だ。
一時でも、中流の世界をのぞき見ただけでも良しとしなければぼくはならないのだろうか。
思うに日本人には超格差社会は似合わないよ。努力すれば、みんな何とかやっていけるというモデルをつくれるのも、日本の良さだと信じたい。さあ、もうひと踏ん張りするか。
テレビ局のプロデュ―サーが再び、「新プロジェクトX」を作ってくれるとなった時いったいどんな素晴らしいドラマを、嵐を潜り抜けた人々は見せてくれるのだろうか。
エッセイ 石郷岡まさを
石めのピンボケぶりをお笑いくださりながら以下の雑文をお読みください。
中島みゆきという人は歌手というよりも詩人である。今最も気になる歌をつくれる詩人。
古いことを言っているなあ、承知の上である。それに10年やそこいらでそんなに世界が変わるものかい?「地上の星」という歌を知った。この歌を聴いて、はらはらと涙を流した人がいる。うれし恥ずかしこのぼくである。
いい作品との出会いは、何十年遅れても同時代に生きる喜びである。
今のような貧乏に陥る前、ぼくもいっちょまえにマンションに住んでいた。100平方メートルに少し欠けた部屋だったが、サンルームという小部屋にパソコンを置いて、20畳くらいの居間には5,6人は座れる青い革製の大きいソファがあって、音楽大好き人間の夢としてJBLのスピーカーと100ワットだったかなあ、某社の黒いアンプやら何やらをどっしりと置いた部屋で、夜など1日の終わりをその日の気分次第で藤圭子やらアン・バートンを聴いていた。マイルスもコルトレーンも聴いたが頻度で言えばアン・バートンが一番か。DATが出て間もない頃で、CDを主として、時々DATで、またレコードで好きな音楽を楽しんでいた。
そのころテレビの番組のテーマ曲で、中島みゆきの歌を知った。あの頃から詞の内容が気になっていたが、ただそれだけであった。NHK「プロジェクトX-挑戦者たちー」あれから10余年。
一転貧乏のどん底におちて、住居もただ雨漏りがしないという廃屋のような家に住み、偶然
YouTube で「地上の星」を聴いた。「ヘッドライト・テールライト」を聴いた。胸を直撃した。泣けた。正直に告白すれば、こんな歌聞いたことがない、と思った。
無名のものの反撃が始まった。といっても12年まえの音楽に今更驚いているマヌケである。
にっぽんの元気はこの10数年でどうなったか、ぼろくそにわるくなった。ぼくのことで言えばそうなる。あり得ない、想定外の貧乏。中間層の天井がスポンと抜けた、そしてみんな貧乏になった?
日本をトコトン壊したつもりの人びとよ。中流大国の日本の豊かさを支えていたのは、中間層なのだよ、多くの人は郵貯に数百万は貯金を持ち、保険も入っていて、仕事はもちろん非正規雇用なんかではなくって、終身雇用では苦しいけれども経営者も踏ん張っていた頃の日本。その元気を支えていたのは、企業の無名の戦士ではなかったか。大企業から中小企業までの技術。努力すれば何とかみな食えた時代。
無名の作家、無名の芸術家、無名の音楽家も、何とか良い作品をつくれば食えた夢の様な時代に生きた。
中間層の厚い国、日本。それがどうですか。超格差社会になり代わってしまって、天文学的な利益を手にした企業経営者は資産を海外に移し、うまく立ち回れば諸税をあまり納めなくってすんでいるのかな。勝ち組だってそれじゃあ、しあわせだといえるのかい?軽蔑されるのがおちなのでは、つい負け組のぼくなんか心配してしまう。
無名でも、優れた大企業、中小企業の技術で持っているとも言われる日本経済に突然グローバリズムの嵐がやってきて、日本の豊かさも、みんなどこかへ押しやられてしまったのでは?そんな時代の始まりにこの歌があった。
無名のものの踏ん張りで、また中間層の豊かな日本を創ろうよ、その時の歌が、この歌だ。
一時でも、中流の世界をのぞき見ただけでも良しとしなければぼくはならないのだろうか。
思うに日本人には超格差社会は似合わないよ。努力すれば、みんな何とかやっていけるというモデルをつくれるのも、日本の良さだと信じたい。さあ、もうひと踏ん張りするか。
テレビ局のプロデュ―サーが再び、「新プロジェクトX」を作ってくれるとなった時いったいどんな素晴らしいドラマを、嵐を潜り抜けた人々は見せてくれるのだろうか。
エッセイ 石郷岡まさを