今日、本屋さんをのぞいていたら、歳末だし、来年の手帳をみようと思い、本屋さんの一角を占める手帳コーナーナーに若い女性がヌーっと立っている。何だこの人は、とよく見ると骸骨のようにやせていて、立っているだけで精一杯、そのように見えた。一目でぼくには分かったね。拒食症の人だと。マフラーを手でいじくっていたが、倒れないかとそれだけが心配だった。拒食症の人とは実は、セルフコントロールを完璧にできる人で、能力が大変高い人が多いと聞いたことがある。残酷なくらい痩せている若い人を見ることはとても辛いことである。なぜって、そうでしょ、生きる上で人間は食べ物を口から、普通は口から取らなければならない、生きて行く上で食べものをとって行かなければしんでしまう。大不況の時代にあっても、何か口に運ばなきゃ生きられない。中には、絶食が最大の健康法だという人もいるが、そんなこと言っても、ほんの数時間も何か食べ物を口に入れられないと貧乏自慢のぼくでも、苦しくって苦しくってのたうちまわることになる。飢餓がどれだけ苦しいことか、分かっているから他人の絶食状態でも、痛いほど苦しい。この十余年間の日本の平成不況というやつは、心の病に苦しむ人をいっぱい生んでしまったのだろうか?拒食症の人って、人間の本能を絶つくらいセルフコントロールできる人なわけだろうから、職業人としても有能な人だったのに違いない、ああ、どんな少しでも良いから口に何か食べ物をいれてくれよ、祈るようにして本屋さんをはなれた。ぼくの場合、貧乏でもちょっと食べすぎなんだよなあ。夕食の予算は600円だけれど、ご飯は大好きなもち米をいれてたっぷり炊いてあるし、今日は牡蠣鍋にしようと、カキ2パック、豆腐1丁、曲がりネギを買って帰路についたのであった。都合ご飯をのぞいて、600円以内に収まった夕ご飯をその日はなんとちいさな茶碗に3杯も食べたのであった。貧乏人にして、ややメタボ。これがぼくの生活の実相なのであります。決してコンビニで夕ご飯の弁当など買わないで、外食もせずにやってきたのですね。
蛇足ながら、宮沢賢治という人も、やや拒食症のきみがあったのではなかろうか?農学校の教師時代に、生徒の家を訪ねている時など、貧しい農民の差し出すせめてものお茶の1杯でも絶対に飲まなかったそうである。
潔癖性もこうなるとどんなもんですかねえ。農民は尊敬する賢治にお茶の1杯でも飲んでもらいたかっただろうなあ。今時の腐った官僚は賢治のことを時々思い出すがいい。天下りに、年収2000万以下なら行かないなんていうのだろうか?天下りを受け入れる企業もどうかしているよなあ。
エッセイ 石郷岡まさを
蛇足ながら、宮沢賢治という人も、やや拒食症のきみがあったのではなかろうか?農学校の教師時代に、生徒の家を訪ねている時など、貧しい農民の差し出すせめてものお茶の1杯でも絶対に飲まなかったそうである。
潔癖性もこうなるとどんなもんですかねえ。農民は尊敬する賢治にお茶の1杯でも飲んでもらいたかっただろうなあ。今時の腐った官僚は賢治のことを時々思い出すがいい。天下りに、年収2000万以下なら行かないなんていうのだろうか?天下りを受け入れる企業もどうかしているよなあ。
エッセイ 石郷岡まさを