gooブログはじめました!散歩写真の達人 石ちゃんのフォトエッセイ ーーー30年の私写真散歩 少しずつお見せしましょう。

「東京原色図鑑」散歩とスナップ写真1万点。
80年代の東京も。大好きな写真家に、濱谷浩、石元泰博、森山大道氏等。

カメ漫だらだら石ちゃん散歩 その12

2012年11月17日 | 散歩 余暇 趣味 健康 デジカメ
 かって、子どもにとって親はおっかなくて、絶対的な存在だった。

こうやって国は滅んでゆくのだろうか。国は滅んでも民はしっかりと生き抜くだろうが、嫌な感じを持つことも思うこともできれば少なく、いつも静かに笑って生きてゆきたい。もう知らないもんね、あとは後の時代を生きていく人が困難苦境を引き受けて生きてゆけばいいんだ、ざまあみろ。これ本音。

 でも最後の一言は余計なひと言でしたか、謝ります。

戦争のあとに生まれ、平和の時代が当たり前という時代に育ち、世界で最も進んだ平和憲法をもち、貧しさからしだいに豊かさを実感する時代に青年期を過ごし、消費する楽しみも味わえたし、1970年代に社会におん出され、月給は少しずつだが、年々上がり、小さな会社に雇われても、定年までまあ過不足なく終身雇用が保障され、なんとかかんとか、定年退職を迎えて、少しではあるが貯金もできたし退職金ももらったし、・・・。 ああ、団塊世代の ごく平均的なモデルを地で行くようなお人は平成不況のさなかでも何百万といることであろうか。豊かな団塊世代の人生はいま、こんなものではなかろうか。ぼくの場合で言えば、退職金も貯金も縁が全くなくって、格差少ない日本社会の良さがちっとも体感できぬうちに還暦を迎え、そのうち世の中はがらりと変わってしまったのであったなあ。格差社会と新自由主義という妖怪が暴れる社会に。

でもね、学校出て公務員にもならずにへそを曲げてびんぼうへ貧乏へと選んだように選択をし続けて、今に生きるのも、せめての慰みは生きてこられてよかったあ。これに尽きます。
健康とは言わないが病気のひとつふたつも体験したがとにかく生きている、生かされている。

ありがとう、みんな。ありがとう、父よ母よ。

 ぼくが子どもだった頃、昭和の時代、1950年代半ばから60年代に、親とか大人の権威は絶対的なものであったのだ。

 遠い記憶。何か不始末をしたらしいぼくは家から無理やり放りだされ、お前などうちの子ではないとえらい剣幕で叱られて玄関の鍵を閉められて外に放り出された時は心細かったなあ。
泣いて謝って、いうことを聞くか、うんと答えて日暮れ時ようやく許されて家の中に入れられて、なんとなくしゅんとして、でもどこかで恥ずかしくてうれしくて、さっきちらりと聞いたお前などうちの子でないとの母のことば、ならどこの家の子なんだろうと考えたりしたことを近頃思い出すのですね。思うだに恐ろし悲しい、家なき子、フランダースの犬の世界。たしかに子どもがよく読む本には、そんな世界がありました。そして、どこかでしつけというものには失敗とか挫折体験、まれに恐怖とか権威というものもちょっぴりとですが必要なのでは、と思うのです。それらを上回る愛情が百倍も千倍もあっての上のことですが。

 ああ、ありがとう、あれがしつけとなって生きていたんだねえ。

子どもにケータイを買って与える親ごさん、ゲームを無闇に買って与える親ごさん、
子どもがカード集めに夢中になって、詐欺同然の遊びにドカンと何万円もの請求書がきて初めて子供がどんな遊びに夢中になっていたのかを知ってびっくりしたという親ごさん。いじめという忌まわしき行為の加害者になっているのも知らずに、悲劇のあとに嘆き悲しむ前に心の教育をもっともっと全国の親ごさんは考えてほしいものであります。
簡単にできることがあるように思う、小学校5年、6年生でも、子供に本を読んで聞かせてほしいのである。3,4年生頃までなら、抱っこして包み込むようにして本を読んで聞かせてほしい。どれだけ、子どもは安心するだろうか。本は何でもよい、あえて乱暴に言えばそうなる。
      
                                                        

              エッセイ 石郷岡まさを