びんびん貧乏でも、B層 とは呼ばれたくない。
B層とは何か?諸説あるが、定かではない。びんぼうのB、かと思えば、そうではない、バカの略のB層というひともいれば、いや、あれは、規制緩和を推進する人々をある広告代理店が、A層と呼び、規制緩和に反対の、当時のテーマでいえば、郵政民営化という政策について、賛成がA層、反対がB層と分けてそれぞれの戦略をある資料で呼び始めたところからきている、Aにたいしての B だという説がある。ぼくは何と無く当時の風潮として、規制緩和は富裕層、規制緩和反対は貧乏層、という風に感じてきたが、正味のところどうなんだろう。
どっちにしろ、郵政民営化にしろ、役所でも何でも民営化しろということはお金持ちだろうと貧乏に苦しむ人だろうと、無駄なお金を削ってその分社会保障費に使おうというのなら、ホトンドの日本人は賛成していただろうと思うのですね。ぼくの知人に、と言っても知り合って間もない人であったが、元々は慶応を出て、サラリーマンとしてもまあまあ出世していた人らしいのだが、あることで脱サラ、失敗してしかし家族を養っていかねばならずに、手っ取り早く、と考えたかどうかはわからないが、肉体労働のアルバイトに就き、郵便局の労働についていた人がいた。その臨時労働者がいうことには、郵便局って、手抜きをして働いているのだということを聞いたことがある。一瞬、よく分からなかったが、組合が強い職場で、あまりキリキリ全精力で働かないようにするような雰囲気があるのだと、ぼくは見てはいませんよ、何年と働いている人がいうのを信じれば、そんな信じられない労働環境があったのだそうである。組合の労働者と臨時雇の労働者では働くまめさが違うのだと聞いた。
ああ、それも長い間の労使の不幸な不信感があったのだろうな、労働強化を計ってばかりいる当局と、出来るだけ労働強化には反対していこうという組合とのいがみ合いか。
確かに、公務員は恵まれすぎている面はきっとあるのだろうなと思うが、ぼくが毎日、郵便物をバイクで運ぶ郵便局の人を見る限り、とてもとても大変な仕事だなあとしか思えず、雨の日も風の強い日も、小さなバイクにまたがって、冬だって寒かろうに、とにかく良く働いているんだとしか思えないのである。雨の日も風の日も、まるで宮沢賢治のような人たちなんだなあ。ダカラ、他の公務員にはほとんど同情しないが郵便局の配達係の労働者諸君には頭が上がらないのである。労働者諸君、とフーテンの寅さんのように激励したいくらいなのである。
それなのに、なぜかある時を境に、ある政治家が、郵政民営化と叫び、まったくこのスローガンの、馬鹿の一つ覚えのように、民間にできることは民間に、とばかり郵政民営化に突っ走り全く他の無駄の役所はいくらでも、それこそ山のようにあるだろうに、不思議なことであるよなあ、今から思うとそう思うのである。
あの頃から、規制緩和がすべて良いことにあらず、民営化という甘い幻想も実はとんでもない政策のミスリードになりうることを、多くの国民は知ったのではなかろうか?非正規雇用の、人材派遣業がどれだけ多くの若者を貧困に追いやり、日本が総貧困劇場に一瞬にして変わったか、いえ、人材派遣業だけはべらぼうに大儲けしたのであろう。貧富の格差がかってないほど拡がって、夢も希望もなくなってしまった日本。しかし大儲けしている人は確実にいらっしゃるのであろう。ぼくの知る若い人のほとんどが非正規雇用なのであるが、大学の院生が時給800円か何かで専門の仕事以外の仕事にしかつけないなんて哀しいよ。つまりいつでも首をきられる不安定な身分の人たちにこそ労働組合が必要だと思うのだが、簡単にいつでも首をきられるという不安定さに、曲がりなりにも貧乏ながら終身雇用が当たり前の時代に生きたぼくなどは、幸せな時代に生きたなあと思うのである。人材派遣業、さしずめ北欧の何処かの国のように、正規雇用か、臨時の雇用かどちらでも時給などの待遇は同じという驚くべき政策の国に比べたら、確かにこの十数年の日本社会は地獄か何かに見えることだろうな。蟹工船の世界。若い人々よ、そろそろ怒ってしかるべきではないのか?
エッセイ 石郷岡まさを
B層とは何か?諸説あるが、定かではない。びんぼうのB、かと思えば、そうではない、バカの略のB層というひともいれば、いや、あれは、規制緩和を推進する人々をある広告代理店が、A層と呼び、規制緩和に反対の、当時のテーマでいえば、郵政民営化という政策について、賛成がA層、反対がB層と分けてそれぞれの戦略をある資料で呼び始めたところからきている、Aにたいしての B だという説がある。ぼくは何と無く当時の風潮として、規制緩和は富裕層、規制緩和反対は貧乏層、という風に感じてきたが、正味のところどうなんだろう。
どっちにしろ、郵政民営化にしろ、役所でも何でも民営化しろということはお金持ちだろうと貧乏に苦しむ人だろうと、無駄なお金を削ってその分社会保障費に使おうというのなら、ホトンドの日本人は賛成していただろうと思うのですね。ぼくの知人に、と言っても知り合って間もない人であったが、元々は慶応を出て、サラリーマンとしてもまあまあ出世していた人らしいのだが、あることで脱サラ、失敗してしかし家族を養っていかねばならずに、手っ取り早く、と考えたかどうかはわからないが、肉体労働のアルバイトに就き、郵便局の労働についていた人がいた。その臨時労働者がいうことには、郵便局って、手抜きをして働いているのだということを聞いたことがある。一瞬、よく分からなかったが、組合が強い職場で、あまりキリキリ全精力で働かないようにするような雰囲気があるのだと、ぼくは見てはいませんよ、何年と働いている人がいうのを信じれば、そんな信じられない労働環境があったのだそうである。組合の労働者と臨時雇の労働者では働くまめさが違うのだと聞いた。
ああ、それも長い間の労使の不幸な不信感があったのだろうな、労働強化を計ってばかりいる当局と、出来るだけ労働強化には反対していこうという組合とのいがみ合いか。
確かに、公務員は恵まれすぎている面はきっとあるのだろうなと思うが、ぼくが毎日、郵便物をバイクで運ぶ郵便局の人を見る限り、とてもとても大変な仕事だなあとしか思えず、雨の日も風の強い日も、小さなバイクにまたがって、冬だって寒かろうに、とにかく良く働いているんだとしか思えないのである。雨の日も風の日も、まるで宮沢賢治のような人たちなんだなあ。ダカラ、他の公務員にはほとんど同情しないが郵便局の配達係の労働者諸君には頭が上がらないのである。労働者諸君、とフーテンの寅さんのように激励したいくらいなのである。
それなのに、なぜかある時を境に、ある政治家が、郵政民営化と叫び、まったくこのスローガンの、馬鹿の一つ覚えのように、民間にできることは民間に、とばかり郵政民営化に突っ走り全く他の無駄の役所はいくらでも、それこそ山のようにあるだろうに、不思議なことであるよなあ、今から思うとそう思うのである。
あの頃から、規制緩和がすべて良いことにあらず、民営化という甘い幻想も実はとんでもない政策のミスリードになりうることを、多くの国民は知ったのではなかろうか?非正規雇用の、人材派遣業がどれだけ多くの若者を貧困に追いやり、日本が総貧困劇場に一瞬にして変わったか、いえ、人材派遣業だけはべらぼうに大儲けしたのであろう。貧富の格差がかってないほど拡がって、夢も希望もなくなってしまった日本。しかし大儲けしている人は確実にいらっしゃるのであろう。ぼくの知る若い人のほとんどが非正規雇用なのであるが、大学の院生が時給800円か何かで専門の仕事以外の仕事にしかつけないなんて哀しいよ。つまりいつでも首をきられる不安定な身分の人たちにこそ労働組合が必要だと思うのだが、簡単にいつでも首をきられるという不安定さに、曲がりなりにも貧乏ながら終身雇用が当たり前の時代に生きたぼくなどは、幸せな時代に生きたなあと思うのである。人材派遣業、さしずめ北欧の何処かの国のように、正規雇用か、臨時の雇用かどちらでも時給などの待遇は同じという驚くべき政策の国に比べたら、確かにこの十数年の日本社会は地獄か何かに見えることだろうな。蟹工船の世界。若い人々よ、そろそろ怒ってしかるべきではないのか?
エッセイ 石郷岡まさを