めたりっくスタッフの貢献を述べた流れで東京めたりっくの倒産にも触れておきたい。ここには後に大きな問題になるNTT局設置工事遅延という、孫正義氏を大いに悩ませる問題の萌芽が潜んでいた。
2001年5月29日にADSL事業者のパイオニアである東京めたりっく通信の社長、東條氏が資金難を認める談話を発表した。
氏の回顧談によると朝日新聞の原淳二郎氏のインタビュ-を受けて資金援助を募るような話をしたところ、いきなり経営が行き詰ったというスク-プになったとのことである。記者を相手にするときは極めて慎重な発言を要するという教訓が得られる。一社の倒産も招き寄せてしまって責任を感じることはない。筆者もかつて朝日AERAのインタビューを受けて随分違った印象で書かれた苦い思い出がある。あるノンフィクションでもおそらく本人はそんなつもりで云ったのでは無いだろうなと推測されるようなところが散見される、ソフトバンクの現役役員や社員もインタビューを受けるときはゆめゆめ油断しないことだ。
ちなみにこの原記者は1990年代の早い時期に電気通信事業者協会主催講演で米国の電話事情に関する講演をお願いしたことがある。(彼は米国に駐在経験があり、米国の電話事情や料金に詳しかった)
主としてNTTコロケ-ションにかかる設備投資による債務30億円で資金繰りが行き詰った。2001年6月21日にはソフトバンクが東京メタリックを4万5千の顧客とともに救済的に買収を引き受けることを発表する。株式は額面でソフトバンクに引き取られ、NTT債務30億円はソフトバンクが引き受けたとある。東京めたりっく設立は平成11年7月とあり、東京めたりっく通信株式会社は設立後2年で幕を閉じることになった。
下記のプレス発表からも買収はソフトバンク子会社のソフトバンク・ブロードメディア株式会社橋本太郎氏が行っていることに注目すべきである。
2001年6月21日
当社(ソフトバンク)の放送およびインターネット関連の事業統括会社であるソフトバンク・ブロードメディア株式会社(東京都中央区、代表取締役社長:橋本 太郎、以下、ソフトバンク・ブロードメディア)の100%出資子会社である株式会社ディーティーエイチマーケティング(東京都中央区、代表取締役社長:橋本 太郎、以下、ディーティーエイチマーケティング)は、東京めたりっく通信株式会社(東京都台東区、代表取締役社長:東條 巌、以下、東京めたりっく通信)の株式の一部を取得し、株式公開買付の手続きの準備に入りました。なお、ディーティーエイチマーケティングと主要株主との間で、発行済株式総数の3分の2以上を取得するために必要な公開買付に応募する旨の覚書が既に締結されており、今後速やかに諸手続を進め、取得を完了する予定です。
孫正義氏がADSL事業参入を決断するには多くの要素があったが、ある出来事が直接のトリガーになったことを示すエピソードがある。筆者が孫正義氏の強運ぶりを思うのはこうしたエピソードが何かのはからいのように見えるからだ。
TさんとHさんが橋本太郎氏を訪ねてきて熱心にADSL事業の開始を説いたので始めることにした。Tさんは当時大学の非常勤講師でADSLの著作もある研究者で、Hさんは伊那市有線放送電話農協でのADSL事件にも関係していて、小規模で事業を立ち上げる相談に来た。Tさんはかつてソフトの開発も手がけていて若い日の孫正義氏と顔見知りであった。社内でマッドサイエンティストと呼ばれると、あるノンフィクションで面白おかしく書かれているが筆者が在籍した当時、そのような呼ばれ方は皆無で、マッドサイエンティストはその後メディアが命名したものだ、彼の家族がみたら笑ってすませるだろうか。
そのうち孫正義氏がその気になり自ら陣頭指揮を取るようになり、橋本太郎氏はVOIPも手がけていたがそれも孫正義氏が手がけるようになる。つまり橋本太郎氏がADSL事業のパイオニア的な仕事を行っていたが今ではソフトバンク・ブロードメディア株式会社はソフトバンクとの持ち株関係は離れ、開業当時のこうしたいきさつは忘れられていくので敢えて記述した。(筆者は橋本太郎氏の縁でソフトバンクでADSL事業立ち上げに携わることになる)
東京めたりっくはNTTに対する支払が滞り会社が整理された、つまりNTT局舎への先行工事代と維持費(スペース費用と電力関連費用)と顧客獲得速度のギャップが債務を膨らませたことになる。倒産までの顧客が4万強という数字は2年間の成果としてはいかにも物足りない。
必ずしもNTT先行工事のせいばかりではない、東京めたりっく自身の価格設定と営業努力、NTT接続交渉の弱さも不足していたのだろうがNTT局舎工事の遅延が致命的に経営破たんに影響した。孫正義氏はこのことを肝に命じ、なかば狂ったようにNTT局舎スペースの確保と設置工事を急がせたのだった。規模と速度が命運を決すると東京めたりっくの顛末で学習した。
東京めたりっくににNTT接続交渉の弱さも不足していたことは接続交渉を専門とする部署がなかったことからも理解できる。東條氏はNTT出身者が2年間の建設工事推進した経験と能力は社の財産であると回顧談で述べている点に注目したい。しかしNTT出身者であるだけにNTT局舎建設工事の申込みは得意だが、NTT工事の進捗が遅れてもNTTの常識が働いて強く抗議できない。かつての仲間であるNTTへの配慮もある、
東京めたりっくが総務省や公正取引委員会に苦情や申し立てを行ったとの報道に接したことは皆無であり、申込みそのものはスムースに事をはこべても工事遅延などの事態に公正取引委員会や総務省の裁定、苦情処理などに多面的に働きかけると言うことは無かった、
一方イー・アクセスなどはこうしたNTTとのしがらみがないだけに公正取引委員会に訴えるなど果敢な行動を見せている。ソフトバンクに至ってはNTTに対して、毎日がまさに闘争の歴史であった。孫正義氏はADSL事業成功のカギを顧客獲得におくのは他社と同様であるが、とくにNTT建設工事とADSLのNTT申込みオペレーションを中心とする接続交渉が事業成功のキーだと東京めたりっくの倒産で深く認識していたためだ。ボトルネックを見る目は鋭い。
ちなみにACCAも社長をNTTから迎えていることもあり、対NTT交渉はそれほど力の入ることではなかった。公正取引委員会や総務省にもの申すという発想は皆無だった。対NTTの接続交渉が事業展開のキーになると言う認識は新電電を経験してきたものには遺伝子として組み込まれていたが、NTT出身者はこの点には疎い。ACCAや東京めたりっくは接続交渉においてNTTの内情を知っていることが財産になるより、逆に働いた事例になるだろう。
孫正義氏がADSL事業参入を決断するには多くの要素があると書いたが、そのうちの一つとしてNTT元理事の石川氏のなかなか興味深い話をを引用する。1994年と言えばソフトバンクを店頭公開した頃であり、まだ1996年Yahoo Japanを設立する前である。既にこのころからADSLに興奮していたとあり、これは驚きの証言である。
ここで一つエピソード.1994 年に技術調査部の飯塚久夫君(現在ビッグローブ社長)とともに,ワシントンDC郊外のベルアトランティックの電話局にDSLによるVOD の見学に行ったことがあります.その際,孫正義氏(ソフトバンク社長)を御案内しました.私も感動しましたが,そのときの孫さんの興奮の様子が忘れられません.ソフトバンク社のADSL 事業による大発展の原点はここにあると思います. WEB記事より
その後、2003年1月22日にソフトバンクは「めたりっくグル-プ」の吸収合併を発表する。すでに2001年6月21日に資本参加して実質的に吸収合併されていたが、東京めたりっく、名古屋めたりっく、大阪めたりっくの会社は存続し、それぞれの既存顧客サービスは継続提供していた。この日からそれぞれの顧客はソフトバンクBBが吸収して継続サービスを提供することになった。
当初はソフトバンクBBと同じANEX-C(ADSLで用いられる伝送方式のひとつ。G.992.1 Annex C及び G.992.2 Annex C)を採用しているためにそのまま活用できると思われた東京めたりっく設備は結局ソフトバンクBBで利用できないことが判明した。(顧客に置くモデムとのインタフェ-スがわずかばかり異なっていたため)
結局買収に伴う設備的な面のメリットとしては、めたりっく各社のNTT局舎スペ-ス利用権のみが有効にソフトバンクBBに継続されることになり、局内設備は使えないことになった。東京めたりっくと名古屋めたりっくの社員は既にその大半が2002年に東京の日本橋、箱崎に移ってきており、彼らは特にNTTとの工事申込みオペレ-ションで活躍をしていたので、全面吸収による新たな人の動きはなかった。大阪めたりっくの人材はソフトバンクには移らずそれぞれの道を歩むことになった。おなじ、めたりっくグル-プとはいえ社風の違いによるのかもしれない。
東京めたりっくの東條元社長はウェブ上の回顧録で東京めたりっくの財産として2年にわたって蓄積したNTT局舎へのコロケ-ション展開チ-ムを挙げているがソフトバンク側から見る限りはNTTオペレーションチームの方が極めて価値のある財産であった。
名古屋めたりっくも東京めたりっくと似たような事情で吸収されたと推測するがこのあたりは実際に見聞していないのでなんとも言えない。孫正義氏は先駆者をことのほか大事にし頼りにもしていたので開業当時は何かにつけて名古屋の宮川さんに電話して相談して「宮川社長、ちょっと教えて下さい、じつはNTTに置く電力設備が必要なんですが」と丁寧語で接していた。(その後は「おい、宮川」と変わったが)。
孫正義氏は名古屋めたりっくを買ったが、(設備などはさておき)名古屋めたりっく社長の宮川氏を買ったと思えば安いものだと折にふれて話していたので、やはり人材を買うという視点では東京めたりっくと名古屋めたりっくでは類似している。東京めたりっくの経営陣はすでにソフトバンクで働く気はなかったのでそれぞれの道を歩み、中堅のスタッフのみがNTTオペレーションチームとして活躍した。あるノンフィクションでは東京めたりっくはサボタージュしたと書かれているが、そうではないということを記して置きたい。