70代は黄金の時代だと云う紀野一義は見事に充実した生活をおくった。多くの講演で人々の心にあたたかい灯をともして歩いた。氏は一方で三途の川を若々しい姿で渡りたいとも講演で述べている。
氏は大東亜戦争で多くの友人を失った。特攻や戦地で18,19,20,21,22歳の若い盛りの友人たちを。
氏はまた多くのガールフレンドをも広島の原爆で失ったとも。
氏はまた父や母、姉や妹をも原爆で失った。
紀野一義は三途の川を渡るときは彼らが若々しい姿のままで迎えてくれると信じている。だから汚いじじいの姿で彼らに会いたくないという。病気の話しかしない老人は汚いじじいになるらしい。こんな言い方で三途の川の渡り方を聞いたのは初めてだ。
このとき氏は74歳で「あと何年生きられるかわかりませんが」と述べながら後16年を生き、91歳で最後まで講演を続けて亡くなった。
黄金の70代をおくるには汚いじじいにならない覚悟もいるようだ。
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