母を思ひ出すとおれは愚にかへり、
人生の底がぬけて
怖いものがなくなる。
この詩とわたしの母はかぶさるところがある。
母の命日でもなんでもないけどこの詩に接した記念に記しておきたい。
84歳のある日、郵便局へ行った帰りの道がわからなくなり、見かけた親切なしりあいに連れて帰ってもらった。
それから数か月たって母は子供に帰ったようになり、最期は飲食を絶って眠るように亡くなった。
亡くなる前に布団の中で抱いてあげるとひとこと「マサオちゃん ごめんね」といった。そのひとことで母はすべてを知っていたんだと思った。
母 を お も ふ
高村光太郎
夜中に目をさましてかじりついた
あのむつとするふところの中のお乳。
「阿父(おとう)さんと阿母(おかあ)さんとどつちが好き」と
夕暮の背中の上でよくきかれたあの路次口。
鑿(のみ)で怪我をしたおれのうしろから
切火(きりび)をうつて学校へ出してくれたあの朝。
酔ひしれて帰つて来たアトリエに
金釘流(かなくぎりう)のあの手紙が待つてゐた巴里(パリ)の一夜。
立身出世しないおれをいつまでも信じきり、
自分の一生の望もすてたあの凹(くぼ)んだ眼。
やつとおれのうちの上り段をあがり、
おれの太い腕に抱かれたがつたあの小さなからだ。
さうして今死なうという時の
あの思ひがけない権威ある変貌。
母を思ひ出すとおれは愚にかへり、
人生の底がぬけて
怖いものがなくなる。
どんな事があらうともみんな
死んだ母が知つてるやうな気がする。