『はるかぜの はなをちらすと みるゆめは さめてもむねの さわぐなりけり』
この歌を美しいと感ずる限り、私達は、めいめいの美的経験のうちに、空即是色の教えを感得している
坊さんでなきゃ仏教を説いてはならないということはない。
創価学会は「証拠がなけりゃだめだ」というけどそんなことはない。信は証拠があろうとなかろうと信じるから信で、そうでない場合は確認あるいは理解。
「紀野さん、わしの母は、死ぬときにわしと姉を枕元に呼んでなあ、わしは今から死ぬが、死んでも草葉の陰からお前たちをみまもっているからね、と言うて死んだんだ。紀野さん、わしは、それからというもの、野原で遊んでいるときはいつも、草の葉を裏返してみてあるいたもんだ。草葉の陰から、といったから、虫かなんかにでも生まれかわっているのかなあとおもってなあ。」朝比奈宗源