まさおレポート

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ベトナム紀行 1 ミーソン遺跡

2024-09-26 | 紀行 シンガポール・マレーシア・カンボジア・タイ・ベトナム・中国・韓国

ミーソン遺跡は、仏教、ヒンドゥー教、イスラム教の交代が相次ぎ、多くの未だ解明されていない歴史を秘めた場所である。ポル・ポト政権下で行われた大虐殺により、この地域に住んでいたチャンパ族は60万人から13万人にまで減少するという凄惨な歴史を持つ。それと共に多くの遺跡も失われた。ミーソン遺跡は、5世紀頃からインドネシアとの交流があり、おそらくバリのヒンドゥー教とも繋がりがあったのではないかと考えられている。その歴史の解明が待たれる。

ベトナムのフエからホイアンを経由し、ミーソン遺跡に向かうことができる。ベトナムは仏教国であるが、このミーソンはヒンドゥー教のシヴァ派に属している。

ミーソン聖域は、正式名称をサンスクリット語でシュリーシャーナバドレーシュヴァラといい、チャンパ王国の宗教(ヒンドゥー教シヴァ派)の聖域である。クアンナム省ズイスエン県のミーソン渓谷に位置し、聖なる山マハーパルヴァタを望むその場所は、当時の宗教的中心地として機能していた。

ミーソン遺跡(ベトナム中部)への道をひたすら歩く。日差しが強くて暑いが木陰も多い。ときおり観光客に行きかう。それにしても日本の田舎道と似ていますね。

この台地風の構築物は寺院の基盤、土台としての役割を果たしている。通常、インドシナ半島の宗教的建築物では、地面から寺院や聖堂を少し高くすることで、神聖な空間への象徴的な境界線を引く役割がある。高さがあることで、信者や参拝者に対して「神聖なエリア」であることを強調し、神々との繋がりを高めるための重要な位置付けが与えられた。

ミーソン遺跡ではレンガ造りによる寺院建築が特徴で基壇に関しても高度な技術が使われていた。セメントなどを使わずにレンガを積み上げ、圧力や重量を計算しながら安定した土台を築く技術は、当時の工匠たちの熟練した技術を示している。

子どもたちの遠足に出くわす。ようやくミーソン遺跡が見えてきた。ここまで来ると観光客が多い。

ベトナム人の恐らく中学生のハイキング。学習の一環で引率されてきている。いつも旅の途中でこうした子供たちの一団に出会うと手を振ったり笑顔を向けてくれる。心が和むひと時。

コンビニ弁当風なパッケージの中身はやはりベトナム風で生春巻き風も入っている。

「子どもたち、こぶ牛に乗ってはいけません」「はーい」

この写真に写るミーソン遺跡は、ベトナム中部に位置し、チャンパ王国時代(4世紀から13世紀)に建てられたヒンドゥー教寺院群の一部。

巨大なレンガで造られたこの構造物は、古代の人々がいかに神々を崇拝し、その存在を永久に記録するために建設された。ミーソン遺跡は、ヒンドゥー教の宇宙観と信仰が具体的に表現された場所であり、同時に仏教やキリスト教など、他の宗教に共通する神聖なものを永遠に刻みたいという普遍的な人間の心情を反映している。

ヒンドゥー教の神々が細かく彫刻され、神々の存在を示すと同時に、信仰の場としての役割も果たしていた。

ヒンドゥー教では、特にシヴァ神やヴィシュヌ神が重要視され、これらの神々の姿を彫刻することで、神の力を永遠に人々に伝えようとした。

ミーソン遺跡は、ヒンドゥー教の神々を祀るための神聖な場所であり、その中には様々な神々や霊獣が彫刻されている。ヒンドゥー教における霊獣や守護者の一種であり、寺院を守る神聖な存在だ。シヴァ神やヴィシュヌ神の従者である可能性もある。

この石造物は、日本の田舎でよく見られる野辺仏や石塔と、表面上は類似しているように見える。日本の野辺仏は、村の道端や山中に設置され、人々が祈りを捧げ、旅の無事や農作物の豊穣を願うための存在だ。それに対してミーソン遺跡の石造物は寺院の一部でありより少し立ち位置が異なる。

日本の石仏が優しく慈悲深い表情で彫られていることが多いのに対して、この像は恐ろしげな顔や威嚇的な姿を持っている。日本の仏教では平和や調和が強調されることが多くヒンドゥー教では、神々の力強さや悪を打ち負かす力を象徴するために威圧的で力強い彫刻が好まれると一般的には言える。

しかし日本の仏教における仁王像や不動明王といった、怒りの表情を持つ守護者像にも似た考え方が見られる。東洋全体でこうした「恐ろしい姿をした守護者」の概念が共有されている。

写真に写っている像は、座った姿勢で、手足を折り曲げたポーズを取っている。瞑想や神聖な儀式を行うポーズであり、具体的な神の識別は難しいものの、この像はおそらく守護者やシヴァ神、ヴィシュヌ神の従者である可能性が高い。

この石像の顔には、比較的大きな耳が強調されているように見える。これは、ヒンドゥー教の神々や霊獣に見られる典型的な特徴の一つでインドの文化では大きな耳は知恵や洞察力を象徴し、神々の全能性を示すものとしてよく使われる。像の頭部の上には、頭飾りや冠のようなものがあり、神聖な存在であることを示唆している。

顔などが簡素化されているため、具体的な神の特定は難しい。

チャンパ王国時代に南インドのヒンドゥー教文化がこの地域に広がり、その影響を受けた彫刻が残されている。

古代の遺跡を訪れると現代では見過ごされがちな自然光の効果に驚かされる。ミーソン遺跡の窓から差し込む光が引き起こす効果は、神秘で幻惑を醸し出しす。このような光の現象は、アンコールワットやバリなどの遺跡でも感じられた。古代の人々がこの光の効果を利用し、宗教的なトランス状態に入るための手段として使っていた可能性もあるのではないか。

ミーソン遺跡の窓から差し込む光が石材に反射し、光と影のコントラストが際立つ瞬間はその場に不思議な力が宿っているかのように感じられる。

遺跡内部での光の反射や屈折が引き起こす幻惑効果は日常とは異なる異次元の空間に足を踏み入れる感覚をもたらし、人々を儀式や瞑想に集中させるための手段となっていた可能性がある。

ミーソン遺跡のこの写真は、寺院内部から外を見た視点で捉え、暗い内部から光が差し込む外界の光景を対照的に映し出した。

写真の背景に見える建物や彫刻の多くは、シヴァ神を中心とするヒンドゥー教の宇宙観を表現し、宗教的な祭事や祈りの場として機能していた。チャンパ王国の王族や貴族たちは、この地で定期的に儀式を行い、国家と宗教の結びつきを強固にしていた。

遺跡の中央には祭壇が配置されており、シヴァ・リンガ(シヴァ神の象徴)や他の神々の像が祀られていた。

この暗い内部から明るい外を見る光景は、現世と来世、俗世と神聖さの境界を象徴している。

ミーソン遺跡は、山々と森に囲まれた場所に位置しており、写真の背景には、緑豊かな山並みが見え、この遺跡は自然に囲まれた神聖な場所として、自然の力と神々の力が結びついていると考えられていた。

チャンパ王国の人々は、自然崇拝の要素も強く持っており、こうした神殿の立地選びには自然環境が大きな影響を与えた。

ミーソン遺跡は長い歴史の中で何度も破壊され、特に20世紀に入ってからの戦争で大きな損傷を受けた。それにもかかわらず、多くの建造物や彫刻が残されており、現在はユネスコの世界遺産に登録され、保護されている。

 

この寺院は、レンガを主な建材として築かれており、特にチャンパ建築に特有の精巧な彫刻が壁面に施されている。寺院の入り口の柱や上部には、植物が生い茂り、風雨にさらされた痕跡が見られる。レンガに彫り込まれた神々の像や装飾は、古代のヒンドゥー教徒たちがこの場所を神聖視していたかを物語る。

特に柱の部分には、当時の建築技術の高さを感じさせる細部まで彫り込まれた装飾が見られる。

修理中の遺跡。

右側に並べられた円錐形の彫刻物はシヴァ・リンガでヒンドゥー教においてシヴァ神を象徴し、創造と破壊の神として崇められる。

写真左側には、ナーガと呼ばれる蛇神の彫刻が。ナーガはインドや東南アジアの宗教文化において神聖な存在であり、水や大地の守護者とされる。ナーガは特にシヴァ神との関連が強く、ヒンドゥー教寺院ではしばしば入り口や神殿の周囲に配置され、神殿を守る役割を果たしていた。

左側の壁面や棚に並べられている彫刻の一部はヤクシャと呼ばれる守護神像の可能性が。ヤクシャは、ヒンドゥー教や仏教において神聖な存在であり、財宝や自然の守護者として知られている。

仏教におけるヤクシャの別名は夜叉であり、善と悪の両面を持ち、強大な力で仏教徒や寺院を守護する。

日干しレンガによって構築された壮大な建造物はヒンドゥー教の寺院群だが王宮跡ではないかとの推測も。

ミーソン遺跡で使用されているレンガは、日干しレンガと呼ばれるものであり、粘土を使って作られたもの。このレンガの特徴として、接着剤を使用せずに積み上げられている点が挙げられます。現代の建築では一般的にセメントやモルタルが使われるが、ミーソン遺跡ではそれらの接着剤がほとんど見られない。

レンガ同士が自然に強固に結合するような工法が採用されていたと考えられる。一部の研究者は、レンガの接着には特殊な植物の成分や、砂糖とレモンを混ぜた接着材が使われていた可能性があると指摘しているが、詳細は未だ謎に包まれている。

リンガは、ヒンドゥー教におけるシヴァ神の象徴として、世界各地のヒンドゥー寺院や遺跡で見られる神聖なオブジェクトだ。リンガは男根崇拝と見なされ、豊作や繁栄、生命力をあらわす。このリンガの形状は写実的な描写からは遠く、抽象的な形で表現されている。

ヒンドゥー教では、リンガはシヴァ神の創造的なエネルギーとして崇められている。シヴァは、破壊と再生を司る神であり、その力は世界の再生や繁栄を促すと信じられている。

この写真に写っているのはヨニの石彫刻。ヨニは、ヒンドゥー教における女性性の象徴であり、特に大地や母なる自然の創造力を象徴する。ヨニとリンガがセットで祀られることが多く、リンガがシヴァ神の男性性や創造的なエネルギーを表すのに対して、ヨニは母なる大地の豊穣や生命の源を表す。

自然や大地の豊かさを祈る農耕社会にとって重要な意味を持っていた。人々は、ヨニとリンガに祈りを捧げることで、自然の恵みや豊作を祈願し、地域全体の繁栄を願った。

ヨニの形は抽象化され、単なる女性器を超えて、大地や母なる自然そのものとして神聖視されていた。

瘤牛は、ヒンドゥー教においてナンディとして知られ、シヴァ神の乗り物(ヴァーハナ)とされる。ナンディはシヴァ神の門を守る存在としても知られ、寺院の入り口などにその姿が彫られている。

ナンディは忠誠と純粋さの象徴でありナンディに触れることで神聖なエネルギーを授かると考えられており、その彫刻に触れたり、祈りを捧げたりすることで、シヴァ神とのつながりが強まると信じられてきた。

この柱石にはヒンドゥー教に特有の装飾が施されている。円形や花のモチーフ、幾何学的なパターンが見られ、これはヒンドゥー教寺院に共通する。

石材の彫刻技術は非常に精巧であり、当時の工芸技術の高さがうかがえる。

ミーソン遺跡は長い歴史の中で、チャンパ王国の終焉や、フランス植民地時代の影響、さらにはベトナム戦争中の空爆などにより、遺跡の多くが崩壊し、今日見ることができるのはその一部にすぎない。

この柱石は、かつてミーソンの寺院群が壮大であったことを物語っている。当時、寺院の柱は神聖な空間を支え、神々の降臨を待つ信者たちの祈りの場を構築していた。今日では石材の断片としてのみ残されている。

ミーソン遺跡にあるこの石碑にはサンスクリット語や古代チャンパ語が刻まれている可能性が高く、特に宗教的な儀式や神々への捧げものの記録が含まれていると考えられる。チャンパ王国はヒンドゥー教を主な宗教としていたが、後には仏教も広まり、これらの宗教的要素が石碑の内容に反映されているかもしれない。

石碑に刻まれた文字は、ヒンドゥー教の神々や王の業績、宗教儀式の詳細を記録しているとされ、これがチャンパ王国の統治と宗教が密接に関連していたことを物語っている。

王や統治者は、彼らの治世において行われた宗教儀式や奉納、神殿の建設などの業績を後世に伝えるために、石碑を建てた。また、石碑には、土地の所有権や課税に関する法的な取り決めが記されていることも。これは、当時の社会において宗教が法的な側面とも強く結びついていたことを示している。

この石碑は上部が尖っている。ヒンドゥー教の寺院建築によく見られるシュリーヴァツタ(Shiva Linga)に類似しており、石碑そのものが、神殿や儀式の一部として設置されていたか、あるいは重要な儀式の場に置かれていたと考えられる。

表面に刻まれた細かい装飾や文様は、ヒンドゥー教の宇宙観や神話に関連したものかも。これらの装飾は、宗教的な意味合いを持ち、石碑が記録媒体以上のものであることを示す。

アオザイに三角錐の帽子のいでたちの女性が歩いている。これはどこかの観光ガイドさん。


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