まさおレポート

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ベトナム紀行 2 カイディン帝陵

2024-09-27 | 紀行 シンガポール・マレーシア・カンボジア・タイ・ベトナム・中国・韓国

川のほとりに立つレストランから眺めるトゥボン川の風景は、ベトナム中部の穏やかな時間を映し出している。水面は、遠くホイアンの街並みを経て、ゆっくりと南シナ海に注いでいく。風に揺れるバナナの木の葉音や、川辺の竹のざわめきが、静けさの中に自然のリズムをもたらす。

ランタンの明かりが吊るされたテラスの上で、濃い緑に包まれた川岸の風景は、一見、のどかで牧歌的だ。しかし、ここにはベトナムの長い歴史の記憶が息づいている。トゥボン川は、かつてチャンパ王国とインドとの交易を支えた重要な水路でもあり、その流れはかつて異国の文化や商人たちを運んできた。水の香りに混じる泥のにおいは、長い歴史の記憶をも引きずっている。

遠くに見える漁師のボートは、静かに川の中央に佇んでいる。ボートの周りに広がる蓮の葉が、ベトナムらしい風景を描き出している。その蓮の間を泳ぐ魚が水面を跳ね、静かな波紋を広げるたび、昔ながらの生活の息遣いが感じられる。川岸では、赤い泥を踏みしめながら農民たちが忙しなく作業をしている姿も見える。遠く、竹帽子をかぶった女性たちがバイクで走り去り、川辺の風景に活気を与えている。

トゥボン川で遊ぶ少年たちの無邪気な姿を眺めていると、バリのウブドで目にした似たような光景がふと蘇った。ウブドに流れる小さな川でも同じように裸の子どもたちが川で遊んでいた。笑い声を響かせ、川の中で繰り広げる彼らの遊びは、このベトナムのトゥボン川と重なり合うようだ。時代を超えても変わらぬこの川遊びの光景は、人間の根底にある自然との共生、そして無垢な喜びだ。

 

ベトナム風サラダ ビーフン入りでランチをとる。

椰子の葉が風に揺れる音が川面を静かに漂う。まるで何事もなく、時間がゆっくりと溶けていく。高くそびえる椰子の木々が、トゥボン川の岸辺に影を落とし、川面にはそのシルエットが描かれている。波一つ立たない穏やかな水面は鏡のようにその光景を映し出している。

太陽はまだ高くなく、朝の涼やかな空気の中で、椰子の葉が時折サワサワと音を立てる。川の向こうに霞む山々と、手前の南国らしい木々が織りなす風景は、どこか物静かで懐かしささえ感じさせる。

椰子の木の合間から見える竹の釣り具がこの川で育まれてきた生活を物語る。

メコン川は大地を貫く生命の動脈のように広がっていた。その褐色の水面を船が行き交い、人々の営みを静かに映し出している。朝の空気に溶け込むように、野菜を積んだ船が岸に停まり、そこに集まる男たちの手が休むことなく働いている。手際よくカゴに詰められる野菜は、光を反射する川面に映り、青と緑が穏やかな波に踊っている。

川の流れは力強く、それでいてのんびりとしたリズムを刻んでいた。ボートからボートへと交わされる商品、会話、笑顔が川の上で交錯し、やがて静かに溶け込んでいく。

遠くに見える錆びついた屋根の倉庫、青い空の下に広がる広大な景色が、この場所がどれほど生活に必要な場所であるかを感じさせる。この地は、メコン川に沿って幾世代にもわたり人々の生活を育んできた。

 

穏やかな午後、薄く濁った水面が静かに揺れる。蓮の葉が無数に浮かび、時折風にさざめきながら光を反射している。柱の陰に立ち、ガイドと親しげに言葉を交わすわたし。

木の床は長い年月を感じさせ、微かに軋む音を立てる。背景には古い石垣が緑に覆われ、自然と調和した帝陵の神秘的な佇まいが広がる。ガイドは訪問者に歴史の一片を丁寧に伝えてくれる。

石畳が広がるカイディン帝陵の広場に、無言のまま並び立つ石像たちが無機質な眼差しを山々の向こうに向けている。厚みのある鎧を纏ったこの石の兵士たちは、かつてカイディン帝を守護した者たちの影を映しているのだろうか。

重い石の質感が、時間の流れと共に風雨に侵食され、その表面にうっすらと苔が覆い、朽ちつつも威厳を失わない。

遠くには緑の山々が霧に包まれ、観光客がぽつりぽつりと行き交い、帝陵を守る石像がこの場所の静寂を強める。この国も韓国と同様に中国の影響で宦官と科挙の制度があったという。科挙に通った官僚は進士と呼ばれ、こうして彫像になるほど尊敬される。科挙は極めて狭き門で、宦官がそれに次ぐ高級官僚への道だったとのことで、宦官は去勢手術に伴う細菌感染で3割が死んだと言いいずれにしても命がけの登竜門である。

カイディン帝陵の壁は「陶片モザイク」として知られ、破片状の陶器やガラス片を用いて、複雑なパターンを描き出している。

龍、鳥、雲、植物のモチーフが目立ち龍はベトナム文化において皇帝や権力、力強さと神聖さを表している。龍とともに描かれているのは、「長寿」や「平和」の象徴である鶴や亀であり、皇帝の永遠の繁栄や守護を願う意味が込められている。

壁には中国由来の文字や文様も含まれ、ベトナムの皇帝が中国文化の影響を受けていたことを反映している。この時代の皇帝陵には儒教や仏教の影響が見られ、文様にもそれが反映されている。

この写真は、ベトナムのフエにあるカイディン帝陵(Khai Dinh Mausoleum)。カイディン帝はベトナム阮朝の最後の皇帝の一人であり、その廟は西洋と東洋の建築様式が融合した独特のスタイルを持っている。この霊廟は、山の斜面に建設され、階段を上ると見事な彫刻や装飾が施された建物にたどり着く。

しっかりとした佇まいを見せる建物が古の栄光を今に伝える。色褪せた瓦屋根は、長い年月の重みを感じさせ、しかも頑強な姿を崩さない。屋根の端に配置された二匹の龍がかつての皇帝の力強さと栄光を示すように空を見据える。朱の扉と柱は、建物に深みを与え、ベトナムの伝統建築の美しさを誇る。

カイディン帝陵は、フランス植民地時代の影響を受けた様式が特徴的で、伝統的なベトナム建築と西洋の要素が混ざり合っていると言われるが正直なところよくわからない。

カイディン帝陵の門は、時の流れに押しつぶされたような趣をたたえ、静かに立っている。黒ずんだ壁面は風雨に晒され、かつての鮮やかな塗装は剥がれ落ち、むき出しのレンガや木の扉は、長い年月の経過を感じさせる。門の上に乗った屋根は複雑に入り組んだ造形を保ち、曲線の美しさが歴史の重みに耐えている。

三つのアーチ型の入り口は、過去の栄光を象徴するかのごとく、その向こうに広がる皇帝の眠る場所を守っている。しかし、その中へと通じる扉は厳かに閉ざされ、容易に過去の記憶に触れることを許さない。足元の石段に立つと、かつてここを行き交った人々の足音が聞こえてくる。

ベトナムのフエ市にあるティエンムー寺(天母寺)は、ベトナムの仏教寺院で、七層の塔(ティエンムー塔)が代表的。この寺院はフエ市を流れる香河(パフューム川)に面した丘の上に位置する。

ティエンムー寺(天母寺)は、ベトナムのフエ市にある最も古く、かつ最も美しい仏教寺院の一つ。1601年にグエン朝の初代君主であるグエン・ホアンによって建立された。

香河(パフューム川)に面するハーケー丘の上に立つこの寺院は地元の人々や観光客にとっても重要な地となっている。

ティエンムー寺は、「天の母」という意味を持ち、建立にまつわる伝説が存在する。ある日、グエン・ホアンは香河沿いを視察している最中、ハーケー丘に立つ老人が現れ、ここに仏教寺院を建てると、この地に繁栄が訪れるという夢を見たと告げた。この伝説に基づき、グエン・ホアンは寺院を建立した。

ティエンムー塔(Phước Duyên Tower)は七層の塔で、1844年にティエウ・チ王によって建設された。高さは約21メートルで、それぞれの層には仏像や仏教の象徴が飾られている。

1710年に鋳造された大きな鐘があり、鐘の音は遠くまで響き渡り、かつては祈りの時を告げる役割を果たしていた。鐘は2トン以上で壮大なもの。

1715年に建てられた碑文には、ティエンムー寺の歴史や功績が詳細に記されている。


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