まさおレポート

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ベトナム紀行 3 フエ皇宮

2024-09-28 | 紀行 シンガポール・マレーシア・カンボジア・タイ・ベトナム・中国・韓国

蒸し暑いベトナムの午後、寺院の前には一人の旅行者とガイドが立っていた。旅行者は白い帽子を手にし、首に巻かれた黒いストールが軽く風に揺れている。彼の表情には、神妙さが浮かぶ。

背後には赤い柱と漢字が描かれた額縁が掲げられ、寺院の穏やかな静寂がそのまま空間に満ちている。大きな青銅の香炉が二人の間にあり、その古めかしい佇まいは、この場所に長い年月を感じさせた。

ガイドは白いシャツで、礼儀正しい表情で旅行者に語りかけていた。

非常に装飾的で、彩色された彫刻や龍のモチーフが用いられており、これは典型的なベトナム皇室建築の特徴。フエ皇宮の敷地内にはこうした装飾的な門がいくつか存在し、その多くが宮廷儀式や宗教的行事の際に使われた。複数のアーチを持つ門のデザインは、フエ皇宮で頻繁に見られる特徴。

木製の階段や梁のデザインも、フエ皇宮内の建築に多く見られる特徴。皇宮内の建物は木材を多用しており、彫刻が施された美しい梁や階段は、当時の工芸技術の高さを示している。

フエ皇宮は、19世紀初頭に阮朝(グエン朝)の王宮として建設され、ベトナム最後の王朝である阮朝の中心的な行政・宗教の要地として機能した。フエ皇宮は、世界遺産に登録されており、儒教、仏教、道教の影響を受けたベトナムの建築様式が色濃く反映されている。

黄色と赤を基調とし、黄色はベトナム王室の色であり、皇帝の権威を。曲線瓦屋根に龍や鳳凰が施され、霊的守護や皇帝の威厳を表現している。

建物の正面には、木製の扉が多数並んでおり、黄金の装飾が施されている。この装飾は、細かく彫り込まれた彫刻と色彩が施されている。柱や梁には複雑な模様が描かれており、職人の技術の高さを示している。

建物前の広場には、大きな青銅の香炉が設置され香を焚くことで天と地を繋ぎ、皇帝の神聖さを強調した。青銅の香炉は、儒教的な影響を受けた宮廷儀式として重要視された。

フエ皇宮は、風水の原則に従っており、自然を背にして開かれた形で建てられて前庭に置かれた植物や広々とした石畳の中庭は、風水の観点からエネルギーの流れを整える役割を果たしているとか。

 

フエ皇宮の壁画は、19世紀初頭にグエン朝の皇帝によって建設されたフエ皇宮内で、王朝の権威や儀式を描写したもの。この壁画は、儒教的な影響を受けた宮廷儀礼や政治的な秩序が反映されている。

フエ皇宮の建築とデザインは、儒教や中国の紫禁城の様式を取り入れているが、ベトナム独自の風土と文化も融合されている。「太和殿」や「乾元殿」などは、皇帝の即位式や宮廷の重要な儀式が行われる場であり、この壁画にはそうした儀式の様子が描かれている。

グエン朝の建物には風水思想が強く反映され、皇帝の住まいは宇宙の中心であり、四方に対して調和を保つように設計されている。この壁画に描かれた建築も、中央軸を重視した対称的な構造で、宮廷の秩序を体現している。

壁画に登場する人物たちは、皇帝や高官、文武百官といった宮廷の要人たちで、儒教的な序列に基づいた厳格なヒエラルキーのもとに配置されている。中央にいる人物が皇帝であり、周囲の臣下たちはそれぞれの役割に応じて配置され宮廷の格式と秩序を視覚的に伝えている。

壁画は歴史的、文化的なメッセージを伝える役割も持っていた。宮廷の秩序や儀式がいかに重要であるかを視覚的に示すことで、後世にその伝統を伝え、王朝の正統性を強調しベトナム王朝の権威を示す一種のプロパガンダ的役割も担っていた。

ベトナムのフエ皇宮にあるこの旗台は高さ37メートル、三層からなる石造りの基盤の上に立てられている。

フエの旗台は、フエ城塞の「京城(Kinh Thành)」の一部で、城塞全体はベトナム最後の王朝であるグエン朝(1802-1945)の時代に築かれた。フエ城塞とその皇宮は、1993年にユネスコ世界遺産に登録され歴史と文化の重要な観光名所。

フエ皇宮内にある儀門で、宮廷儀式の正式な入口。

この門も三門形式(三つの入口を持つ門)を採用し、皇帝専用の中央の通路、官僚や文官が通る左右の通路といった役割分担が守られていた。

柱に細かな彫刻が施され龍や鳳凰、雲紋など、特に龍のモチーフは皇帝の象徴。

フエ要塞は堅固な城壁と複雑な水路システムに囲まれており、外敵からの防御を意図して設計された。フエ皇宮やその周辺の要塞は風水思想に基づいて設計されており、この門もそうした思想に基づいた象徴的な位置に配置されているとか。

フエ城塞午門は、フエ皇宮への正門で、ベトナム最後の王朝であるグエン朝の時代に建設された。三重構造を持つこの門は、中央部分に特に強い装飾が施され門の上部には木造の建物があり、精巧な彫刻や彩色が施されている。特に瓦屋根の装飾は龍や鳳凰など、中国の建築様式に影響を受けているが、ベトナム独自の風格も。

午門は、中央にある大きな入口を通して皇帝が通る道で高官や臣下たちは左右の小さな入口を通った。

1993年にユネスコの世界遺産に登録され建築技術の高さを今に伝える貴重な遺産として評価されている。

この画像に写っている街灯は、フエ皇宮やその周辺の景観における西洋の影響を示す象徴的な要素の一つ。特に、ベトナムは19世紀後半からフランスの植民地支配下にあったため、フエの街や建築においてフランス風のデザインが見られるようになった。この街灯は、その時代のフランスの影響を反映しており、フランス植民地時代に導入された都市景観の一部として、フランスのアール・ヌーヴォーや古典主義の影響を受けたデザインが採用されている。

この街灯の形状は、クラシックなフランスの街灯を思わせるもので、特に19世紀後半から20世紀初頭にかけてのパリの街頭照明のスタイルに似ている。ランタン型の灯り部分や、鉄製の装飾が施された柱、さらに上部の王冠のようなデザインは、当時のフランスの影響を色濃く反映している。ベトナムがフランス領インドシナの一部であった時代に都市インフラとして導入されフランスの技術と美学が都市景観に取り入れられた例。

フエのような都市では、フランスの建築家や技術者が関与し、街並みや建物にその影響が残っている。フエは伝統的にベトナム文化と儒教的な影響が強い都市だが、フランスの植民地支配によって新たな西洋文化が流入し、街灯や建物の一部が残る。

テーブルの上に置かれた温かいお茶が、微かな湯気を立ち上らせている。私たちはしばし無言のまま、数日間の歴史と風景の旅を振り返っていた。ガイドのホアンは、真摯な仏教徒で、信念に満ちた語り口で、フエの歴史を丁寧に教えてくれた。彼の父親は、かつて北ベトナムの兵士であったことを、ふとした折に告げたのが印象深い。戦争の苦難と仏教への信仰が交差する人生だったのだろう。

「フエは特別な場所です。ここには仏教と王朝の深い歴史が息づいています。それに、私の父もこの土地に特別な思いを抱いていました。戦いが終わり、彼は仏教に救いを求め、今でもその道を歩んでいます。」

私はホアンの瞳に映る確かな信念を感じ取った。彼の話には、観光案内を超えた深い思いが込められていたのだ。でも仏教をしつこく説くことに多少ウザいなと感じたことも事実だ。

「仏教は私たちの心を落ち着かせ、人生の苦しみを和らげてくれます。父はいつも、人生とは無常であるが仏陀とともにいれば幸せだと語ってくれました。だからこそ、日々の一瞬一瞬を大切にするべきだと。戦争が終わっても、彼はその教えを胸に刻んで生きているんです。」

私は、彼の信仰への熱意を感じるのだが、その強さに少し辟易としていた。「このフエを歩きながら、あなたが見せてくれた場所や話してくれた物語が、私にとって新たな視点を与えてくれました。」この気持ちも事実だ。

ホアンは頷いた。「フエは、ただの歴史的な場所ではありません。ここには、私たちの祖先の魂が息づいています。戦争もありましたが、今は平和です。私たちは心を修養する場所として、仏教が強く根付いています。」

「それがあなたの信仰の強さに繋がっているんですね。」私は感慨深く言葉を続けた。

彼は微笑みを浮かべながら、少し照れたように肩をすくめた。「少々、熱が入りすぎましたか?(笑)」

「いやいや、あなたの熱心さに感謝しています。今日一日、フエの美しさと共に、あなたのお話が一つ一つ、この地の奥深さを感じさせてくれました。」多少の気遣いも入っているが本音を述べた。

ホアンは再び照れくさそうに笑った。「それなら良かったです。」歴史と信仰、そして今を生きる人々の思いが織りなす複雑な物語に触れ、私はこの地に刻まれた無数の記憶に思いを馳せながらその場を後にした。


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