まさおレポート

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カンボジア紀行 ハイライト1 旅の自画像

2025-01-26 | 紀行 シンガポール・マレーシア・カンボジア・タイ・ベトナム・中国・韓国

写真の中心には、古代クメール建築特有の石造りの門が映し出されている。門には精巧な彫刻が施され、高く積み上げられた石柱がその構造を支えている。

奥にそびえ立つ塔には、巨大な「観音菩薩」の顔が刻まれており、それぞれが四方を向いている。この表情は穏やかで優しく、訪れる者を静かに見守っている。これらの顔は、慈悲や平和の象徴とされ、しばしば「クメールの微笑み」として知られている。

中央の門の右手には、一体の石像が確認できる。この像はかつて完全な姿を保っていたと考えられるが、現在は首や一部の細部が破損しており、長い年月の経過を物語っている。

クメール帝国時代の建築物は、主に砂岩を使用して造られており、長年の風雨や熱帯気候の影響によって細部が損なわれている。しかし、その風化した姿は、遺跡の悠久の歴史と時の流れを感じさせ、訪れる者に深い感銘を与える。

カンボジアの大地にそびえ立つアンコール遺跡群。その中でも、ひときわ異彩を放つのがバイヨン寺院だ。ジャングルの奥深くに佇むこの寺院は、12世紀末にクメール王朝のジャヤヴァルマン7世によって建立されたと伝えられる。私は、その神秘的な微笑みに会うために、この場所を訪れた。

寺院へと続く道を歩くと、目の前に壮大な光景が広がる。中央にそびえ立つ石造りの塔、その周囲を取り囲む無数の顔、そしてその背後に広がる青空と緑の木々、まるで時が止まったかのような静寂が、ここにはあった。

門をくぐる前に、一際目を引くのが大きな木だ。その根はしっかりと大地に広がり、枝葉は空へと伸び、まるで寺院を優しく見守る守護者のように感じられる。熱帯の陽射しを和らげるその緑陰の下で、しばし立ち止まり、遠い昔に思いを馳せた。

門の奥へ進むと、バイヨン寺院の最大の特徴である「クメールの微笑み」が姿を現す。塔に刻まれた巨大な観音菩薩の顔が、四方を向いて静かに微笑んでいる。その穏やかで包み込むような表情は、訪れる者の心を和らげ、クメール王朝の慈悲深い精神を伝えてくれているようだった。

タ・プロームは、元々仏教の修道院兼大学として機能しており、その名の意味は「ブラフマーの祖先」を意味する。この寺院は、当初は「ラージャヴィハラ(Rajavihara)」という名前で呼ばれており、「王の修道院」という意味を持つ。

タ・プロームは他のアンコール遺跡とは異なり、意図的に修復されないまま自然と共生している姿を維持している。ジャングルがそのまま遺跡を覆い尽くすように成長しており、特にガジュマル(フィクス属)やスポンジツリー(テトラナンドラ)の根が、建物に侵入し、柱や壁を抱き込むように成長している。

この木の根は遺跡の崩壊を促進する一方で、ある種の補強効果も持ち、遺跡の一部を支えているという両儀的役割も果たしている。この特異な現象は、自然の力と人類が築いた文明との複雑な関係性を示す。

背景に見える建物には、バイヨン様式が見られ、これはジャヤヴァルマン7世の統治期に最も発展した建築スタイルで入り口には四面を持つ塔が見られ、これはクメール王の神格化された姿を示す。

石材の隙間や破損箇所から侵入した植物が自然に根を張っているため、寺院と自然との相互作用が視覚的にも際立っている。

カンボジアの強烈な日差しが容赦なく降り注ぐ中、私はバンテアイ・スレイ寺院の彫刻に見入っていた。焼けつくような暑さにハンカチと帽子を深くかぶり、汗を拭いながら歩を進める。周囲に広がる赤みがかった砂岩の建築は、太陽の光を浴びてさらに輝きを増している。

この寺院は、アンコール遺跡群の中でも最も精巧な彫刻で知られているが、その美しさを堪能するには暑さとの戦いが欠かせない。風もほとんど吹かず、寺院の石段や砂地が照り返しを生み、体力を奪っていく。しかし、その暑さを忘れさせるほど、目の前に広がる見事なレリーフと緻密な装飾が、私の心を捉えて離さなかった。

少し歩いては木陰で休み、冷たい水を口に含む。木々の間から聞こえてくる鳥のさえずりだけが、静寂な遺跡に響いている。この暑さの中、かつてのクメールの職人たちは、どれほどの汗と労力を費やしてこの美しい寺院を築き上げたのだろうか、そんなことを考えながら、私はさらに奥へと足を踏み入れる。

バンテアイ・スレイの彫刻は、まるで宝石のように繊細で、ヒンドゥー教の神々や神話が見事に表現されている。暑さに耐えながら、この芸術を目の当たりにすることで、私は改めてこの遺跡の持つ圧倒的な魅力に気づかされた。

その石段を見上げると、太陽が天空から容赦なく降り注ぎ、空気は乾ききり、肌に触れる熱気が地面から立ち上がっている。前方には、古びた石の階段が無数に続き、その先には崩れかけたレンガ造りの祠堂が静かに立っている。

時を経て風化したそのレンガは、クメールの時代の栄華を思わせるものの、今では静寂に包まれ、朽ちることなくそこに在り続けている。寺院の荘厳さは、その沈黙の中に一層強く漂っていた。

中央に立つわたしは、白い衣服に身を包み、腕を上げてボトルから一口水を飲んでいる。その一瞬、わたしは、まるでこの歴史と自然の中で、生命を繋ぎとめるかのように思えた。

その背後では、もう一人の男が石段を登り続ける。彼の姿は苦行僧のように疲労して見えるが遺跡への熱意が足取りに現れている。彼もまた、この場所の何かに導かれるように進み続けている。

石段は時間に削られ、所々にひび割れが見られるが、それでも彼らの足元をしっかりと支え続けている。大地に根ざしたこの階段は、幾世代にもわたり、無数の足音を聞き、歴史を見守ってきた。

わたしの視線は、静かな湖面に浮かぶ水上生活の村へと向けられている。背後には、青く塗られた水上家屋が並び、簡素な木造の構造と波板の屋根がその土地の生活のリアルを物語る。屋根の上には生活用品が無造作に積み上げられ、窓や戸口からは湖上での暮らしぶりが垣間見える。水上に浮かぶ小舟には漁具が積まれ、トンレサップ湖独特の風景が広がっている。

家々は質素であり、しかし、その中にある逞しさと、湖という限られた環境の中で生きる知恵に、思わず心を動かされる。この村に流れる時間はゆったりとしており、日常の喧騒からは遠い。

見つめる湖の水面には、空と家々の姿が映り込む。ゆらゆらと揺れるその光景は、移ろいゆく生活の儚さと、その中でたくましく生きる人々の力強さを映し出しているかのようだ。その目に映る風景には、青く塗られた家々、わらや波板で覆われた簡素な屋根、そしてその上に積み上げられた生活用品があり、すべてが独自の生活様式を物語っている。

背後の家々は、水の上に浮かびながらも、揺るぎない存在感を放っている。彼の視線が捉えるのは、その生活の厳しさだけではない。そこには、限られた環境の中で湖と共に生きる知恵や、人々のたくましさが宿っている。船や家々の色合いは決して鮮やかではなく、むしろその素朴さが、生活の現実味をより強く感じさせる。


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