まさおレポート

転職の岐路 2 NTTからKDDIへ

1989年の暮れ12月にNTTデータ通信株式会社から新電電3社の一つである日本高速通信株式会社(1984年11月16日設立 のちにKDDI)に転職しました。

なぜ転職しようと思ったのか、動機はなにかを今一度振り返ってみたいと思います。


最初に最近の夢を紹介して転職の心理を理解する参考にしましたが、NTTデータ通信株式会社から転職した直後に見た夢もまた深層心理を理解するうえで参考になるかもしれません。

転職にたいする潜在的な不安、最初の転職というものはかくのごとく不安に満ちたもの、情けないものだったということが夢を振り返ることで実によくわかります。

大阪の堂島にある電電ビルの一室で人事担当の部長と今後のポストや処遇について話し合いをしている。夢なので転職後、再び元の職場に復帰するという非現実的なストーリーになっている。人事担当部長は以前の同僚でその後頭がすっかり禿げた繁田さんだ。今は立場が変わって相手は部長でこちらは平社員だ。おのずと繁田さんは態度が昔と変わってこちらを憐れんでいる風でもある。

「やはり、難しいでしょうかねえ。なにせ一回辞めた身ですからなかなか次のポストが見つからないのですね」とわたしが尋ねると、

「そうだねえ、希望者のなかから優先順位の高い人を選んでポジションを割り当てていくからねえ」と繁田さんがプリントされたリストを見ながら答える。もう話す前から、ポストがないことは分かっているのだがあえて形だけの面接をしているという感じだ。

「最終的に、ポジションがない場合はどうなるんですか」と私は聞かなくてもよい質問をあえてしてみる。人事の最終決定権をもつ坂田本部長の顔が浮かぶ。この人は私が辞めるきっかけになった男で向こうも私もこころよく思っていない。こいつがいる限り次のポジションは絶望的だ。

「そのときは、退職してもらうしかないねえ。やはり一回会社を辞めていることが上の印象を悪くしているからねえ」と繁田さんは顎を少し上げ気味にしてつぶやいた。繁田さんは次の面接者を迎え入れるように目で部下の社員に目配せをした。

また、こんな夢も見た。

転職先はなぜか町工場で転職前の高さ120メートルもある高層ビルとはうって変わって小さくて狭い。なにもかも比較にならない、ちょうど寅さんシリーズのタコ社長の町工場のようなところに転職している。制服を着た女子社員達が元気に働いているのだが、自分の働き場がなくてうろうろしている。情けなくなって落ち込んだ気持になったところで目が覚めた。

夢は予知夢とも解釈できますが、逆に深層の不安エネルギーを解消しているとも解釈できます。わたしの場合は結果的に後者の夢だったようです。


なぜ当時も今もうらやまれる職場をやめて転職を決意したのでしょうか。当時の日記を読めばわたしなりに追いつめられていたことがわかります。

家人の限界にきている心身を心配して「会社やめたら」のひとことが転職を決意させたのです。

某日 夜中の3時頃に電話あり。ここのところ夜中の緊急電話が増えているのでベル音で緊張が一気に高まる。一種のノイローゼになっているのかも知れない。疲労困憊してやっと寝た後の緊急電話は本当に嫌なものだ。朦朧とした頭の中で受話器を取る。
「もしもし 〇さんですか。保守担当のUですが夜分済みません。集合ディスクが障害で立ち上がらないのです。」

明日の朝8時までにはシステムを立ち上げなければならない。連日の作業で疲れているスタッフには悪いが召集をかけることに。富士通の保守にも召集をかける。

タクシーを呼んで職場まで向かう。武庫川の橋を渡る頃にはうっすらと空は明けかかっている。夜明けの武庫川はことのはか美しい。今月に入って既に夜明けをみながら出勤するのは4回目になるか。つまり24時間勤務が月に4回となる。

システム立ち上げまで後4時間しかないと思うと緊張と焦りが一気に高まる。もし立ち上がらないと西日本の各支店に甚大な迷惑をかける。それ以上に、又主要支店に一升瓶を下げて支社長と一緒に謝りに行かなければならないと思うと気が重い。

到着後マシン室に入ると予備のディスクにファイルを移し替えて何とかしのげるらしい。残り時間は三時間しかない。ぎりぎりセーフだが一刻の余裕もない、直ちに作業にとりかかりようやく8時10分前に作業は終了した。

仮眠室で仮眠後組合と労務厚生課から呼び出し。こんなときに全く腹が立つ。組合に断らずに社員を夜中に緊急に呼び出したのがいけないらしい。心の中で「ふざけるな。手続きをしていてシステム立ち上げが定刻にできなかったら大変なことになっているのだ」と叫ぶ。

午後は上司から叱責される。スタッフに労働上の不満がありそれが伝わっているとのこと。だれが報告したかは察しがついた。それにしてもこの上司は一体何を考えているのだろう。「誰がやってもこの員数では過剰労働時間になるのが分かっている。大変な中さらに不適切なスタッフ入れ替えをやったり減らしたりしたのはおまえだろう」と心の中で叫ぶ。

徹夜明けに組合と上司に責められほとほとこの職場が嫌になる。家人も限界にきている心身を心配して「会社やめたら」という。がしかし途中で投げ出すわけにはいかない。あと3ヶ月の辛抱。完成するまでとにかく頑張ろう。


心身の危険を感じたことが大きな要因だと今から振り返って思います。どんなに苦しくても途中で音を上げるのはダメ人間だ、そんな古い職業倫理観に染まっていたのだなと振り返って思います。そんなことで巨大システム開発はなんとか完成しました。若い世代の人はそんな古い職業倫理観と間違った責任感を持つ必要はありませんよとお伝えしたいですね。(古い職業倫理観と間違った責任感を持つたために身近で3人の方が自殺、過労死しています。このことは後で述べるつもりです)

いまなら常識外れの弱小体制でよく巨大システム開発を命じたものだと会社の責任を問われるかもしれませんが、当時は本社以外でシステム開発を経験した上司は皆無に近く、関西では体育会系のノリの根性論で押しまくる上司が「彼は優秀だね」と評価されていたりした時代でした。

前線を指揮したことのない上司に兵装も兵員も不十分な条件で死地に向かわされた心境でした。本社では考えれれないマネージメントを味わいました。

巨大システム開発はなんとか完成しましたが、次の処遇の時期にもその上司により屈辱を味わいました。わたしより成果を上げていないものが順調に昇格していきます。いよいよ転職の意向は心の中で高まってきます。

夏目漱石「坊ちゃん」が松山でさんざん苦労を味わい、清に会いたいと東京に帰る心境がよく理解できます。わたしも東京にいる友人たち「清」に会いたくてたまりませんでした。

NTTデータ通信株式会社の本社勤務13年間では上司や仲間にめぐまれ、一人前に育てていただいたことは深くこころに刻まれており、その恩は忘れておりません。

関西に転勤後のわたしから見た一方的な心情を述べていますので、当時の上司からすればいろいろ言い分はあるかと思います。「坊ちゃん」も見方を変えれば「坊ちゃん お前が悪い」との言い分もなりたつでしょう。

しかしわたしの本音を記すことがこうしたエッセイでは意味があるかと思いますので、そのつもりでお読みいただきたいと思います。


当時は新電電三社が発足したころです。その一社である日本高速通信に友人が三菱商事から出向していました。彼がいつも「俺のところにこないか。ポストはあるよ」とお誘いしてくれていました。

わたしは彼にお願いしてみました。まもなく面接をするので赤坂アークヒルズの本社に来いとの連絡がはいりました。NTTデータ通信株式会社ではオンライン・ネットワークシステムの開発に長年従事してきたので、当然その方面での部著に配属されるものと予想しての転職でした。

しかし入社面接でNTT出身の専務から企画部で、郵政とNTTへの対応をやってみないかとの打診があり、実に思いがけない展開となりました。今になってみると運命の神が引き寄せていたと思います。

面接で採用を決定していただき、処遇面でもNTTデータ通信の39歳課長職900万円から同じく課長職ながら1000万円と100万アップ、マンションの借り上げ社宅を用意するという処遇に喜んで応諾しました。

さあこれで転職への条件がわたしの心の中で整いました。上司に退職を申し入れるときの喜びはいまでもありありと思いだすことができます。風が吹くときは吹くのです。

万事塞翁が馬は転職時にも実に意味深い言葉です。一時的に味わった不遇も将来的には輝く人生に向かう岐路であり、輝く人生に向かって背中を押してくれるとの意味ですね。

わたしはこの馬に乗ってみることを決断しました。

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