1990年8月7日
昨夜は遅くまで旅行計画を考えたために睡眠不足気味。ParisからLyonに向かう列車SNCFで少し眠る。Lyonは遠藤周作が留学した街だが今でもその面影は残っているのかどうか。ルンペン風の男が多い。一人に小銭を少し提供する。
古い建築は駅の周囲には見あたらない。昼食はサラダを食べる。Lyonからマルセイユに向かう途中に工場群を見かける。Lyonは工業都市のようだ。列車の進行方向右手には美しい川が見えるのでご機嫌になる。途中で山火事を見る。軽飛行機が盛んに飛び交っていた。
マルセイユに夜の8時に到着する。ホテルは”Imperial”と言う名前だが、とんでも無く汚い。今までで最低のレベルに泊まってしまった。しかし受付の男は親切で、ホテルから海岸への道を丁寧に教えてくれる。港まで30分以上かかったが途中では子供たちがサッカーをしているところに出くわしたり、小道をうろついたりで結構楽しんだ。
港はレストランが並び、観光客と地元の人々でにぎわっていた。その中で適当な店を選び入る。そろそろ夕闇が迫り夜景が美しくなってきた。このところろくなものを食っていない。久しぶりに美味いものを食いたくなったのでブイヤベースを頼む。スープが実に旨い。これでこのところの欲求不満を解消できた。しめて155フラン払う。少し食い過ぎたかもしれない。
いい気持ちでホテルに帰り、部屋の鍵を出して開けようと思ったが開かない。部屋番号を間違えていた。トイレに入るとペーパーもおいていなかった。
8月8日
朝マルセイユの駅から山の上に白い塔が見えた。ニースに向かう。地中海の景色特に海の色がすばらしい。列車から見る山の地肌が荒々しくなってくる。岩肌は城っぽく見える。ニースに着くとすぐにドイツへ向かう列車の予約をすませる。駅員が親切でスムーズに席が取れる。列車の時間まで荷物を担いで街を散策する。途中でサンドイッチを買って食べる。トマトとチーズとハムそれにレタスが入って美味い。レタスがしゃきっとしている。19フラン。海岸をあるくと女性は老いも若きもトップレスなのに驚く。タンニングやマッサージをして寝そべる人々の間を縫うようにマッチョマンの黒人がジュースを売り歩いている。
ドイツ・フランクフルトに向かう途中にイタリアのVentimigliaで時間待ちをする為駅をでると、イタリア人の若者がうろついている。こちらに向かってきてなにか言っているが意味がとれない。その顔つきからすると金をせびっているらしい。わからない顔をして離れる。
フランクフルトへの夜行寝台列車(クッシェ)に乗り込むと同じ席にイタリア人のおじさんRenatoとドイツへ里帰りする18歳の若者が一緒になった。陽気なイタリア人はドクターストップで禁酒中だがワインはいいとか訳のわからない理屈を言ってはぐいぐい空けている。若者はピルスナービールが旨いといい、これまたよく飲む。若者は父がイタリア人で母はドイツ人で、そのためイタリア語も話せる。彼がレナートのイタリア語を英語に通訳してくれて話が通じ、三人は盛り上がって楽しい時間を過ごした。18歳の若者は育ちの良い好青年。イタリア人は日独伊三国同盟だといってはしゃいでいた。
追記 列車風景の断片
ベルリンでは適当な安宿がみつからなくて急にイタリアのベニスに向かいたくなった。ベルリン駅からイタリア行の夜行列車に飛び乗る。すさまじい混みようで荷台の上まで若者が寝ていた。指定席もダブルブッキングがあったのか席を争う老婦人の席を奪った相手を非難する鋭い罵声が聞こえた。イタリアではレディーファーストも老人を敬う文化もないように感じた。
座る席がなくて通路で寝ていると車掌が切符点検にやってきて、靴で起こされた。この無礼な車掌はのきなみ通路で寝ている客を足でけって起こしているようだ。さすがイタリア国鉄で上から目線の客あしらいに腹が立った。
ベニスに向かう途中駅で少し長めに停車したので改札を出て構内を少しぶらつくことにした。若い男が近づいてきてイタリア語で話しかけてきた。目が笑っていないのでどうも金をせびりに来たようだ。改札のほうに戻るとあきらめてついてこなかった。
ベニスを観光してイタリアのベニスからドイツのミュンヘンへ向かう列車では途中の駅で時間調整のために少し停車した。列車の寝台に横たわっていると少し空いた窓からすれ違った列車のだれかがいたずらで吐いた唾が飛んできてかかった。去っていく列車からの笑い声もドップラー効果を伴って去って行った。コンパートメントの若いドイツ人によるとイタリアの中学生のいたずらだという。たちの悪いいたずらをするものだ。