まさおレポート

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モロッコの民間療法 黒マントの女性の足首の石鹸マッサージ

2007-04-24 | 紀行 モロッコ・チュニジア

昨年の5月上旬はモロッコにいた。滞在中に娘婿の案内でアトラス山脈を越えてサハラ砂漠のキャンプホテルに向かった時の出来事だ。

途中、チャールトンヘストンの名作「ベン・ハー」の頃の風景もかくやと思い浮かべながらアイト・ベン・ハッドウを観光した。赤茶色の岩と土でできた巨大な天然要塞で12世紀に作られたそうだ。天然といっても、人の手で部屋が作られ、さまざまな加工はされている。世界遺産になった今尚、数十人が住んでいる。当人たちは他に移り住むことも出来なくて、「余儀なく」であろうが、都会から来た我が目には人間の営みの保守性に思いは飛ぶ。

ラッセル・クローの映画「グラディエーター」のロケ地に使われたらしい。この映画も私の好きなひとつだが、あの当時、つまり西暦180年ごろと全く変わっていないのだろう。当時を彷彿とさせるまで、飽きるまで眺めていたかったが、先を急ぐ身、半日ほど滞在し、宿泊地に向かった。

途中何気なく、本当に何気なく、映画の撮影所跡によった。特に予定があったわけではない。宿泊地にも近づいてきたし「せっかくだから、ちょっと寄っていくか」ののりで、人気のない寂れた雰囲気の撮影所跡に入り込んだ。壊れかけの年代ものの戦闘機模型や、古代エジプトの建築と巨大張りぼての像が立ち並ぶ中を進んだ。

敷地は広大で、前方に古代エジプト建造物の門がみえる。両翼に巨大なライオン像が狛犬のように門を守っている。門内に入って、なぜか彼女ははしゃぎ、カメラを手に走った。いきなり、前のめりに倒れた。足元の段差で躓いたらしい。痛くて呻っている。みるみる右足首が腫れ上がってきた。そのあたりにある棒切れで杖の代わりを作り、同行の3人がかりでなんとか車まで戻った。

宿泊先で松葉杖を調達しようとしたが、当然、そんなものはない。ホテルのマネージャー風に似たものでよいから作ってくれと頼むと、タオルと棒でそれらしいものを作ってくれた。彼女はためしてみたが、どうも具合がよくない。親切は有難いが不器用だ。その夜は痛みをこらえて寝たが、翌朝は一層ひどくはれているようだ。

翌日は、娘婿の実家があるリッサニに向かう。途中、障害者施設風があったので、中に入り、事情を説明して松葉杖が欲しいと頼む。今、取り込み中だから待てといわれて、1時間ほども待っただろうか。「全く、のんびりしてるぜ こちらは病人なのに」と腹の中で毒づきながら。ようやく、松葉杖を手に入れ、リッサニの実家にたどり着く。

ウサギ料理やクスクスで家族全員で大歓迎してくれる。手料理のクスクスは実にジューシーでうまい。以前、表参道の屋外レストランで食べたクスクスとは大違いだ。作りたてのうまさと、娘婿の姉の料理の上手さの相乗だろう。

そのあと、突如黒マントの女性がやってきた。黄色地に黒のマントの2枚がさねで、こんな色彩みたことがない。蜂とおなじカラーコンビネーションだ。警戒色だ。美人とは言いがたいが、すこぶる威厳のあるお顔だ。でっぷりと太っている。
推定年齢50歳くらいかな。彼女がどんと胡坐をかいて、やおら連れ合いのはれた足首の石鹸マッサージを始めた。腹の底からうめき声を発する。「大丈夫かいな、このおばさん」と心配しながら見ていると、またしても、大きなうめき声だ。

娘婿の姉はにこにこしてみている。娘婿は不在だが、彼もこの家で捻挫したときは、この石鹸マッサージが猛烈に痛いが劇的に効くと説明していたことを思い出して安心はしていた。それでも余りに悲鳴がすごいので、ストップをかけても一向にやめる気配がない。もうちょっとでタオルを投げようと考えていると、ようやくマッサージが終わった。あとはヘナを塗って包帯を巻き脂汗の治療は終わった。

翌日は不思議なほど腫れが引いていた。伝統的民間療法の威力をまざまざと見た一幕でした。




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