観光で食べていたバリの人々はコロナ下をどう過ごしたのだろう。そして今後はどうやって行くのだろう。それが今回の関心事の一つのテーマだった。
バリ島クタビーチで長年働いているKさん夫妻はコロナで無人と化したビーチからキンタマーニに帰り米を作っていたという。おそらく観光客で食べている他のバリ人も同じようにして耐えたのだろう。
彼らにはいざというときに耐え忍ぶ場所があり、食べ物の自給がなんとかできる。そういう場所のないジャワ人のAさんはどうして耐え忍んだのだろう。10年ぶりに偶然出会ったが笑顔が絶えることはなかった。米などは年に3回とれるお国柄であり、一族で助け合ってなんとかしのげたのだろう。
バリ在住がすでに10年を超える日本人Aさんは「ビーチにでても誰もいない。無人島みたいでしたよ」と愛想の良いラブラドール犬の散歩時に説明してくれた。在住日本人も相当な苦難を強いられたと想像する。
滞在したビラのオーナーも客が来ないためにビラのメンテナンスが荒れてさらに来なくなると言う苦境を味わったと言う。プールの水が変えられなくて緑色に変色していたと在住者が話してくれた。今では客が増えだしメンテナンスも始まり復活の兆しを見せていた。
ビラには10年越しの滞在客が多数住み続けていてこちらの顔を覚えていてくれた。彼らも苦難の中でたくましく生き抜いてきたに違いない。
ビラのスタッフもやはり顔を覚えていてくれた。しかし若いスタッフ達はいなくなっていた。そのうち戻ってくるのだろうか。
マッサージのおばちゃんは10年越しのわたしの顔を覚えていて話しかけてきた。商売上の打算も入っているのは当然だがそれでも嬉しいものだ。このコロナ下の苦難を無かったかのような笑顔で迎えてくれた。
サヌールの目抜き通りタンブリンガンを歩くとクローズしている店がまだまだ多い。売りに出ている店もあったが通りには人が戻り始めていた。ウブドも人通りが復活していた。
サヌールでは巨大開発計画が進行していた。超特大のショッピングモールに米国チェーン大病院の建設が進んでいた。
サヌールビーチ舗道ではレンタル電動バイクが流行っていた。しかしそのうち廃止になるとバリ人が明かしてくれた。
10年前によく行ったリュッツは今も繁盛していた。既に老境に入ったフィンランド人夫妻が早めの夕食を向かい合って静かに食べていたのも以前と同じだ。異国で成功したレストラン経営者の人生がその姿に凝縮されていて時の流れという観念に打たれた。
彼らは誇りから他国の人に苦難を見せないのだろうか。笑顔を絶やさずに生き抜いていく彼らのたくましさに感動するバリ滞在だった。