古代ギリシャ劇場
「胎内潜り」は日本の伝統的な宗教儀式の一つで、通常は神社や寺院にある洞窟や穴を潜り抜けることで、再生や浄化、そして新たな出発を象徴する。この儀式は、母親の胎内を再現し、それを潜り抜けることで新たな命を得る、という深い象徴性を持っている。
タオルミーナの劇場を前にしたとき、この「胎内潜り」の儀式が頭をよぎった。古代のアーチをくぐるという行為は物理的な通過ではなく、精神的な再生をも意味しているのではないかと感じたのだ。
この劇場のアーチをくぐることは、まるで一度死んで生まれ変わるような感覚を抱かせる。何世紀もの時を超えてこの場所に集った人々の魂が、このアーチの中で語り合い、訪れる者を浄化し、新たな視点を与えてくれる。
タオルミーナの古代ギリシャ劇場にあるこのフリーズは、古代ローマの建築装飾の一例であり、劇場全体の荘厳な雰囲気を高める重要な要素だ。
このフリーズには、アカンサスの葉やローレルの枝など、古代ギリシャやローマの芸術でよく見られる植物模様が彫られている。これらは繁栄や勝利を象徴し、劇場の華やかさと神聖さを強調している。
この石彫りのフリーズは、古代建築における美的要素と機能性が見事に調和した一例である。フリーズは建物のエンタブレーチャー(柱の上にある水平構造)の一部であり、特に古代ギリシャやローマ建築において重要な装飾的要素として機能していた。
このフリーズに刻まれている彫刻は、建物の持つ象徴的な意味を表現するために設計されたものであり、通常は神話や歴史的な出来事を描写することが多い。また、このような装飾は建物の視覚的な魅力を高めるだけでなく、建物全体の統一感を保つ役割も果たしている。
古代ローマの建築家ウィトルウィウスによると、建築における美しさ、機能性、そして堅牢性の三要素が重要であるとされていた。このフリーズも、その三要素を体現するものであり、建物の耐久性を示すと同時に、その美的価値を高める要素として機能している。
わたしは日差しの強さに野球帽を深く被り直す。そして三層になった色調をしばらく楽しむ。
タオルミーナの古代劇場に足を踏み入れた瞬間、時の流れを感じさせる静かな空間が広がっていた。紀元前3世紀に建設されたこの劇場は、ギリシャ人が築いたものであり、その後ローマ人によって改修された。その石段に座り、劇場全体を見渡すと、何千年もの歴史がこの場所に刻まれていることがひしひしと伝わってくる。
この劇場が持つ魅力は、その保存状態の良さだけではない。ここから見渡す風景、青い海、そして背後にそびえるエトナ山が、劇場の一部として完璧に調和している。その景色を背景に、古代の観客たちはどのような思いで舞台を見つめていたのだろうか。その思いを想像することで、この劇場が持つ歴史的な価値をより深く感じることができる。
この劇場は今でもイベントやコンサートが開催される「生きた遺産」である。
2024年の夏には、タオルミーナ・オペラ・フェスティバルが復活し、プッチーニの『マノン・レスコー』やベッリーニのオペラガラなどが披露される予定らしい。古代の人々が楽しんだであろう演劇や音楽が、現代の観客たちに新たな感動をもたらしている。
タオルミーナの古代ギリシャ劇場のアーチをくぐると、光と影が新しい物語を紡ぎ始める。光の当たり方が変わるだけではない、遺跡そのものが息を吹き返し、訪れる者を古代の時間へと誘い込むかのようだ。長い年月を経て、陽光は無数の物語を見てきた石の上に優しく降り注ぎ、石座に温かさを与え、対照的に影はひんやりとした冷気と生物のようなぬめりを残す。
太陽が照らす明るい部分は、かつてここに集まった人々の歓声や演目の記憶を照らし出し、影に包まれた部分は、その歴史の奥深さを物語る。オペラの世界が持つ栄光とある身近な事件の暗い影のようにわたしは思う。
古代のギリシャ人がこの劇場を神々との交信の場と信じていたのも納得がいく。光と影が織り成すコントラストは、この場所がただの遺跡ではなく、今も生き続ける劇場であることを思い出させる。
劇場の内部へと進むほどに、光は柔らかくなり、空間全体が静かで神聖な雰囲気に包まれる。古代の観客がここで感じた感情や物語が、光の反射によって今もなお鮮明に蘇るかのようだ。試みに劇場の下で声を出してみると劇場の隅々にまで通るように響くことを発見した。実に考えた設計になっているのだ。
光と影が作り出すこの劇場の息吹は、訪れる者に一歩一歩、過去と未来が交差する場所にいることを感じさせる。この古代ギリシャ劇場で感じる感動は痛みを伴った体験でもある。
この写真に映っている柱頭は、コリント式の柱頭だろう。コリント式の柱頭は、アカンサスの葉をモチーフにした複雑な装飾が特徴で、ギリシャ・ローマ時代に非常に人気があった。特にローマ時代には、この様式が広く用いられ、壮麗な建築物に多く見られる。
コリント式の柱頭は、ギリシャのコリントス市に由来する名前を持ち、紀元前5世紀頃に初めて使用された。ローマ帝国の時代になると、この様式はさらに洗練され、公共建築物や宗教建築の装飾として広く採用された。タオルミーナの劇場では、コリント式の柱頭がその建築の優雅さを象徴する重要な要素となっている。
ある伝説によると、コリント式の柱頭のデザインは、若くして亡くなった少女の墓を飾った籠に、アカンサスの葉が絡みついた様子から着想を得たと言われている。なるほど説得性がある。この伝説は紀元前1世紀のローマの建築家ウィトルウィウスによって記録されている。
古代劇場の建築物跡に見られる一石から削り出された石柱は、当時の卓越した技術力を象徴するものだ。
一石から削り出された石柱を製作するためには、まず大きな石の塊を慎重に選び、その後、熟練した職人たちが細心の注意を払って削り出す作業が行われた。完成品はその美しさと強度を兼ね備えていた。こうした石柱は、ローマ帝国がその時代に築き上げた技術的な先進性と、建築物への美的感覚をいかに重視していたかを物語っている。
古代ローマ時代の石柱に関連する具体的な事例としては、ローマのトラヤヌスの柱が挙げられる。この石柱は、ローマ帝国のトラヤヌス帝がダキア戦争での勝利を記念して建てたもので、高さ約30メートルに及ぶ巨大な柱だ。石柱全体には、トラヤヌス帝が指揮した戦争の詳細なレリーフが刻まれており、当時の戦争の様子やローマ軍の栄光が描かれている。
わたしはインドのブッダにまつわる石柱を思い出してしまう。アショーカ王(紀元前3世紀)が建立した「アショーカの石柱」はインド全土に点在しており、アショーカ王は、カリンガ戦争の後、非暴力と仏教への改宗を決意し石柱を建てたとされている。
アショーカの石柱には「ダルマ」を記した勅令、法輪やライオンの彫刻が施されていると言う。サールナートの石柱で、柱の頂部に四頭のライオンが向かい合う形で立つ「アショーカ・ライオン」が彫られている。
タオルミーナの劇場に残る石柱とアショーカの石柱を比べると、どちらも宗教的・政治的なメッセージを伝えるために建てられたものである点が共通している。ローマの石柱が帝国の栄光と技術力を誇示する役割を果たしたように、アショーカの石柱もまた、仏教の教えを伝えるための重要な役割を果たした。石柱からそんなことを考えた。