かつては杞憂と片付けられたかもしれない人類に対する脅威はいたって現実的となっている。福島原発や東日本大震災をなんとか潜り抜けてきたがまたもやコロナ禍という大災厄とそれに関連して浮かび上がったインフォデミック、そしてグローバリズムの脅威はこの世の地獄の出現をかなりの確度で招き寄せることを再認識させてくれた。
寺田寅彦が「天災と国防」(昭和九年十一月、経済往来)https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2509_9319.htmlで述べていることはスマートシティー構想を検討するにあたって傾聴に値する。
近来何かしら日本全国土の安寧を脅かす黒雲のようなものが遠い水平線の向こう側からこっそりのぞいているらしいという、言わば取り止めのない悪夢のような不安の陰影が国民全体の意識の底層に揺曳していることは事実である。
昭和九年十一月当時は取り止めのない悪夢のような不安の陰影だったが新たにコロナ禍のパンデミックが陰影から真っ黒な脅威として立ち昇っている。杞憂から現実へという文明論的な課題はここでは触れない。ここではスマートシティー構想に焦点をあてて、今後のビジョンに与える影響を考えてみたい。
テントか掘っ立て小屋のようなものであって見れば、地震にはかえって絶対安全であり、またたとえ風に飛ばされてしまっても復旧ははなはだ容易である。・・・自然があばれ出して高楼を倒壊せしめ堤防を崩壊ほうかいさせて人命を危うくし財産を滅ぼす。その災禍を起こさせたもとの起こりは天然に反抗する人間の細工であると言っても不当ではないはずである。・・・単細胞動物のようなものでは個体を切断しても、各片が平気で生命を持続することができる・・・高等動物になると、そういう融通がきかなくなって、針一本でも打ち所次第では生命を失うようになる。・・・二十世紀の現代では日本全体が一つの高等な有機体である。その神経や血管の一か所に故障が起こればその影響はたちまち全体に波及するであろう。
スマートシティーゆえのパンデミックリスク、インフォデミック、そしてグローバリズムの脅威をしっかりと考えなければいけないことを痛感する。スマートシティーは「一つの高等な有機体である。その神経や血管の一か所に故障が起こればその影響はたちまち全体に波及するであろう。」と読んでも差し支えなかろう。
わが国の地震学者や気象学者は従来かかる国難を予想してしばしば当局と国民とに警告を与えたはずであるが、当局は目前の政務に追われ、国民はその日の生活にせわしくて、そうした忠言に耳をかす暇いとまがなかったように見える。
ここで当局は総務省と読み替えることができる。かかる国難とはパンデミックやインフォデミック、そしてグローバリズムの脅威と読み替えることもできる。
スマートシティー構想がこのような批判を浴びないよう、しっかりとしたビジョン作成が必要だ。防疫やインフォデミックからの連想ではネットの高度なセキュリティーがなによりも重要ではないかと思う。さらにコンパクトシティー化も重要なテーマだろう。
先に進むことは極めて重要だが得てして当局は目前の政務に追われ防疫やネットの高度なセキュリティーなどは別の課題であり、グローバリズム讃歌は無反省に進めるもの考えがちだ。「当局は目前の政務に追われ、国民はその日の生活にせわしくて、そうした忠言に耳をかす暇がなかったように見える。」はIoT最先端を目指す総務省に今後起こりうる国難への対処への真剣な目配を促す言葉だと受け止めてほしい。
最後通牒も何もなしに突然襲来するのである。それだから国家を脅かす敵としてこれほど恐ろしい敵はないはずである。・・・こういうこの世の地獄の出現は、歴史の教うるところから判断して決して単なる杞憂ではない。